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童子問 / 卷中

問。朋友有信。信者。謂有爲有無爲無。多謂多寡謂寡。而不少欺詐之類與。曰否。信實也。能踐其言而不失之謂。若約爲兄弟。則終身以兄弟待之。一旦有朋友之義。則守之如初。始終不變。正謂之朋友有信。非但言一言之有實也。語曰。久要不忘平生之言。是也。若有大故。不得已而後絕之。雖君子所不免。苟尤小過逞小忿。因一旦之怒。而棄平生之交。假令有理。而非忠厚之道。君子不爲也。朋友之間。謙己相下。揚善隱惡。赦小過懲小忿。始終全交。斯可矣。

新字:問。朋友有信。信者。謂有為有無為無。多謂多寡謂寡。而不少欺詐之類与。曰否。信実也。能践其言而不失之謂。若約為兄弟。則終身以兄弟待之。一旦有朋友之義。則守之如初。始終不変。正謂之朋友有信。非但言一言之有実也。語曰。久要不忘平生之言。是也。若有大故。不得已而後絶之。雖君子所不免。苟尤小過逞小忿。因一旦之怒。而棄平生之交。仮令有理。而非忠厚之道。君子不為也。朋友之間。謙己相下。揚善隠悪。赦小過懲小忿。始終全交。斯可矣。

書き下し

問ふ、朋友信有り。信とは、有るを有りと為し無きを無しと為し、多きを多しと謂ひ寡なきを寡なしと謂ひて、少しも欺詐せざるの類を謂ふか。曰く、否。信は実なり。能く其の言を践みて之を失はざるの謂なり。若し約して兄弟と為れば、則ち終身兄弟を以て之を待つ。一旦朋友の義有れば、則ち之を守ること初めの如く、始終変ぜざる、正に之を朋友信有りと謂ふ。但だ一言の実有るを言ふのみに非ざるなり。語に曰く、久要平生の言を忘れずと。是れなり。若し大故有りて、已むを得ずして後に之を絶つは、君子と雖も免れざる所なり。苟も小過を尤め小忿を逞しくし、一旦の怒りに因りて、平生の交はりを棄つれば、仮令理有りとも、忠厚の道に非ず。君子は為さざるなり。朋友の間は、己を謙りて相下り、善を揚げ悪を隠し、小過を赦し小忿を懲らし、始終交はりを全うして、斯れ可なり。

現代語訳

問う。「朋友に信あり」という。信とは、あるものをあると言い、ないものをないと言い、多いものを多いと言い、少ないものを少ないと言って、少しも欺かないといったことを言うのか。答えていう。そうではない。信とは実(まこと)である。自分の言葉を踏み行って失わないことを言う。たとえば兄弟の約束を結んだなら、生涯兄弟として相手を遇する。ひとたび朋友の義を結んだなら、初めのとおりにそれを守り、始めから終わりまで変わらない。これこそを「朋友に信あり」と言うのである。ただ一言一言に偽りがないことを言うだけではない。論語に「久しい約束でも、ふだんの言葉を忘れない」とあるのがこれである。もし重大な事故があって、やむをえず後に交わりを絶つのは、君子でも免れないことである。しかし小さな過ちを咎め、小さな怒りをほしいままにし、一時の怒りで平生の交わりを捨てるならば、たとえ理があっても忠厚の道ではない。君子はそうしない。朋友のあいだでは、自分をへりくだって互いに譲り、善を揚げて悪を隠し、小さな過ちを赦し小さな怒りをおさえて、始めから終わりまで交わりを全うする。それでこそよいのである。

解説

朋友の「信」を、仁斎は一言一句の正確さではなく、交わりを始めから終わりまで変えずに守り通すことだと解する。信とは「実」であり、言葉を踏み行って失わないことだからである。小さな過ちや一時の怒りで長年の関係を断つのは、たとえ理屈が通っていても忠厚の道ではないと戒める。ここには、理で人を裁くことを嫌い、寛く厚い心を重んじる仁斎の一貫した姿勢がある。職場の人間関係でも、相手の小さな落ち度を正しく指摘することより、長く信頼を保つ寛さのほうが大切な場面は多い。正しさと関係の全うとをどう両立させるかを考えさせる一章である。

この章句が説くこと

信朋友忠厚実寛容約束

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