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童子問 / 卷中

問朋友之義。曰。朋友有輔仁責善之道。有通財許死之義。古人或有互爲臣僕者。或有養其寡婦孤女者。居五倫之一。而與師並稱。其爲道甚大矣。然於締交之初。不可不審其善否如何。人誰不欲其身之善而無惡。然與君子倶居。則不欲善而自善。小人與處。則不欲惡而自惡。所關係尤重。不可不謹爲。杜子美貧交行曰。君不見管鮑貧時交。此道今人棄如土。孟郊審交詩曰。君子芳桂性。春濃秋更繁。小人槿花心。朝在夕不存。古人云。君子之交淡若水。小人之交甘若醴有味哉。

新字:問朋友之義。曰。朋友有輔仁責善之道。有通財許死之義。古人或有互為臣僕者。或有養其寡婦孤女者。居五倫之一。而与師並称。其為道甚大矣。然於締交之初。不可不審其善否如何。人誰不欲其身之善而無悪。然与君子倶居。則不欲善而自善。小人与処。則不欲悪而自悪。所関係尤重。不可不謹為。杜子美貧交行曰。君不見管鮑貧時交。此道今人棄如土。孟郊審交詩曰。君子芳桂性。春濃秋更繁。小人槿花心。朝在夕不存。古人云。君子之交淡若水。小人之交甘若醴有味哉。

書き下し

朋友の義を問ふ。曰く、朋友には輔仁責善の道有り、通財許死の義有り。古人或いは互ひに臣僕と為る者有り、或いは其の寡婦孤女を養ふ者有り。五倫の一に居りて、師と並び称す。其の道為る甚だ大なり。然れども締交の初めに於て、其の善否如何を審らかにせざるべからず。人誰か其の身の善にして悪無きを欲せざらん。然れども君子と倶に居れば、則ち善を欲せずして自ら善なり。小人と処れば、則ち悪を欲せずして自ら悪なり。関係する所尤も重し。謹まざるべからず。杜子美の貧交行に曰く、君見ずや管鮑貧時の交はり、此の道今人棄てて土の如しと。孟郊の審交の詩に曰く、君子は芳桂の性、春濃くして秋更に繁し。小人は槿花の心、朝に在りて夕に存せずと。古人云ふ、君子の交はりは淡きこと水の若く、小人の交はりは甘きこと醴の若しと。味有るかな。

現代語訳

朋友の義について問うた。答えていう。朋友には、互いの仁を助け善を求め合う道があり、財を融通し合い、命を預け合う義がある。昔の人には、互いに臣下や僕となって仕え合った者もあれば、友の残した妻や孤児を養った者もある。朋友は五倫の一つであり、師と並び称される。その道はまことに大きい。しかし交わりを結ぶ初めに、相手が善か否かをよく見きわめなければならない。誰しも自分が善であって悪のないことを望まない者はない。しかし君子とともにいれば、善を望まなくても自然に善になり、小人とともにいれば、悪を望まなくても自然に悪になる。かかわるところがきわめて重いのである。慎まなければならない。杜甫の「貧交行」に「君は見ないか、管仲と鮑叔の貧しい時の交わりを。この道を今の人は土くれのように捨てている」とある。孟郊の「審交」の詩に「君子は芳しい桂の性で、春に濃く秋にはいっそう茂る。小人は槿の花の心で、朝に咲いて夕べにはもうない」とある。古人は「君子の交わりは水のように淡く、小人の交わりは甘酒のように甘い」と言った。味わい深い言葉である。

解説

仁斎は朋友を五倫の一つとして、仁を助け合い、善を責め合い、財も命も預け合う重い関係と見る。だからこそ交わりの初めに相手を見きわめよと説く。人は君子と居れば望まずとも善になり、小人と居れば望まずとも悪になるという指摘は、環境が人を作るという実感に根ざしている。杜甫や孟郊の詩を引いて、利害で結ぶ交わりのはかなさと、淡くても長続きする君子の交わりを対比する。働く者にとっても、誰と日々時間を過ごすかが自分の人柄をつくるという点で、付き合う相手を選ぶことの重さを思い出させる一章である。

この章句が説くこと

朋友五倫善君子交わり仁

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