童子問 / 卷中
問求師之道。曰。治病須求良醫。不可委于庸醫。一誤其治。則雖有百良醫。而不能善其後。欲學道者。須擇天下第一等人而師之。勿師半上落下之人。學問之成否得失。非俗師村學之所能識也。始初爲其所誤。則爲終身之大害。習慣如天性。漸染難磨淬。後雖遭大賢君子。而自知其非。卒不能改其故步。況乎自安其陋。而不知悔者。十居八九。可不謹哉。人家爲子弟延師。多厭其禮遇。憚其嚴重。必先擇易狎易近者而招之。可謂大謬矣。
新字:問求師之道。曰。治病須求良医。不可委于庸医。一誤其治。則雖有百良医。而不能善其後。欲学道者。須択天下第一等人而師之。勿師半上落下之人。学問之成否得失。非俗師村学之所能識也。始初為其所誤。則為終身之大害。習慣如天性。漸染難磨淬。後雖遭大賢君子。而自知其非。卒不能改其故歩。況乎自安其陋。而不知悔者。十居八九。可不謹哉。人家為子弟延師。多厭其礼遇。憚其厳重。必先択易狎易近者而招之。可謂大謬矣。
書き下し
師を求むるの道を問ふ。曰く、病を治するには須らく良医を求むべく、庸医に委ぬべからず。一たび其の治を誤れば、則ち百の良医有りと雖も、其の後を善くすること能はず。道を学ばんと欲する者は、須らく天下第一等の人を択びて之を師とすべし。半上落下の人を師とすること勿れ。学問の成否得失は、俗師村学の能く識る所に非ざるなり。始初其の誤る所と為れば、則ち終身の大害と為る。習慣は天性の如く、漸染は磨淬し難し。後に大賢君子に遭ひて、自ら其の非を知ると雖も、卒に其の故歩を改むること能はず。況んや自ら其の陋に安んじて、悔ゆることを知らざる者、十に八九を居むるをや。謹まざるべけんや。人家子弟の為に師を延くに、多く其の礼遇を厭ひ、其の厳重を憚り、必ず先づ狎れ易く近づき易き者を択びて之を招く。大いに謬れりと謂ふべし。
現代語訳
師の求め方を問うた。答えていう。病を治すには良医を求めるべきで、凡庸な医者に任せてはならない。いったん治療を誤れば、あとで百人の良医がいても、その後を良くすることはできない。道を学ぼうとする者は、天下第一等の人を選んで師とすべきである。中途半端な人を師としてはならない。学問の成否や得失は、世俗の師や村の学者にわかるものではない。最初にその誤りに染まると、生涯の大きな害となる。習慣は生まれつきの性質のようになり、少しずつ染みついたものは磨いて落とすのが難しい。後に大賢の君子に会って自分の誤りを知っても、ついに古い歩き方を改めることができない。まして自分の狭さに安んじて悔いることを知らない者が、十人に八、九人もいるのである。慎まずにいられようか。世の家では子弟のために師を招くとき、多くは礼を尽くすのを面倒がり、厳しさを憚って、必ず馴れ親しみやすく近づきやすい者を選んで招く。大きな誤りというべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之三朱子曰く、好人得難く、好書も亦得難し、と。愚謂へらく、朱子の言、豈に然らざらんや。賢者以下、其の言純正ならざる者、信に多し。学者諸子百家の書を読む者は、須らく其の長を取り其の短を舎つべし。読書の法を得たりと為すに庶し。苟も其の好否を察せずして、概して玩読する者は、迷と謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之一人生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知りて行ふこと能はざれば、知らざると同じ。故に人為る者は、必ず学ばざるべからず。学を為す者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行はざるべからず。道を知ること至つて難し。古より英才敦行の士、多からずと為さず。然れども道を知る者は鮮し。学問思弁の功、闕くべからざる所以なり。
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『慎思録』巻之四食は以て生を養ふ。饕餮なる者は此を以て生を傷る。薬は以て人を救ふ。庸医は此を以て人を殺す。学は以て性を治む。小人は此を以て性を傷る。此の三者は、本是れ人を益するの物事なり。然り而して人を害すること此の如きは、之を用ふるの其の道を失ふに由るなり。
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『文武訓』文訓上之末一世に、文学なくしてみだりに道を説く人あり。孝弟忠信などの道を行ふことは、一文不通の愚夫愚婦も、其はしをば知りやすく行ひやすし。是を以て、学なき人に説ききかするはよし。かなの書をよみ、人の物語をきき覚えても、浅近なることは知りやすし。草医の、近世の名医の作れる国字書の方書を読みても、軽き病をばいやすが如し。しかるに、義理の学は、天地人の大道を知る事なれば、まづ文字をしり、四書五経以下、歴代の聖賢の書に通じ、三史、通鑑など、古今の事にもひろく通じてやうやく知るべし。かくの如く、博く書を見ても道をしらざる人は多し。聖賢の書に通ぜず、文学つたなくしては大道に通じがたし。文学なくして道を知りがたき事、たとへば通事なくして異国の人の言語に通じがたきが如く、又、小刀にて大厦を作らんとするがごとし。文学つたなく経伝にくらくしては、大道は知りがたかるべし。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、其所は、師たる人も、さつぱりとは済ねども、此は聖人のことにて、今の学者の知るべき所に非ず、忠恕のことなりと云て、此うへのことは、決して沙汰なきことなり。答、汝は今の学者の知るべき所に非ずと云。聖人の教は、古今に通じて変ことなし。今と古とを分るは、仏氏の末世と云教なり。混雑すべからず。扨孔子、適も無く莫も無しとの玉ひ、又顔淵の、前に在りと思へば忽焉として後に在りとの玉ひ、孟子、道は一のみとの玉ふ。加様の類多し。汝はいかゞ心得居られ候や。
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『文武訓』文訓下一文学ひろく、聖賢の書をあまねく読んでも、道を知らざる人古今多し。斯くひろく聖賢の書を読んでは、道を知るべくして知らざるは、志なく聰明なきゆゑなり。文学に通ぜず、聖賢の書を多く読まずして、道を知れらん人は古今これなし。是道理のなき所なり。舟橋なくして海河をわたり、梯なくして高きに登らんとするが如し。近世、種の学問文学をせずして、聖学をせんとするも、文学して義理を知らざるも同じ。たとへば歌学をせずして、和歌のあしき人はあり。歌学なくしてうたよく詠む人はなきが如し。但学問なく、すこし師の口伝をききて、頗心ををさめんとする人あり。是亦聴かざるに遥にまされり。稊稗の熟するは、五穀の熟せざるにまされるが如し。
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