童子問 / 卷中
問孝。曰。孝以愛爲本。愛則順矣。順則百行成矣。順者。不逆于父母之心。是也。不愛其親。而愛他人。謂之悖德。不順乎其親。而順乎他人。謂之逆德。孟子曰。大孝終身慕父母。五十而慕者。予於大舜見之矣。慕者愛之發。大孝愛之至也。
新字:問孝。曰。孝以愛為本。愛則順矣。順則百行成矣。順者。不逆于父母之心。是也。不愛其親。而愛他人。謂之悖徳。不順乎其親。而順乎他人。謂之逆徳。孟子曰。大孝終身慕父母。五十而慕者。予於大舜見之矣。慕者愛之発。大孝愛之至也。
書き下し
孝を問ふ。曰く、孝は愛を以て本と為す。愛すれば則ち順なり。順なれば則ち百行成る。順とは、父母の心に逆らはざる、是れなり。其の親を愛せずして、他人を愛する、之を悖徳と謂ふ。其の親に順はずして、他人に順ふ、之を逆徳と謂ふ。孟子曰く、大孝は終身父母を慕ふ。五十にして慕ふ者は、予大舜に於て之を見る、と。慕ふとは愛の発なり。大孝は愛の至りなり。
現代語訳
孝について問う。答える。孝は愛を根本とする。愛すれば素直に従うようになり、素直に従えばあらゆる行いが成り立つ。素直に従うとは、父母の心に逆らわないことである。自分の親を愛さずに他人を愛することを、道に背く徳という。自分の親に従わずに他人に従うことを、逆らう徳という。孟子は「大孝の人は生涯父母を慕う。五十歳になっても慕い続けた人を、私は大舜に見る」と言った。慕うとは愛が外に表れたものであり、大孝とは愛の極みである。
解説
仁斎は孝を、規範や形式からではなく愛から説き起こす。孝は愛を本とし、愛すれば自然に父母の心に逆らわない順が生まれ、順からあらゆる善行が成り立つという。親を愛さず他人を愛するのは悖徳、親に順わず他人に順うのは逆徳と呼び、孝経の言葉で愛の順序を確かめる。孟子が五十歳になっても父母を慕い続けた舜を大孝と称えたことを引き、慕うことは愛の発露であり、大孝とは愛の極みだと結ぶ。仁を愛とする仁斎の思想が、家族の場面で端的に表れた章である。身近な人への愛こそが、職場や社会での誠実さの土台になる。
この章句が説くこと
孝愛順仁孟子家族
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『慎思録』巻之四君子の道、親を親しみ民を仁しみ物を愛する者は、義有り。蓋し親と民と物と、三者は皆天の生ずる所にして、愛育する所なり。是を以て吾が天に事ふるの道は、当に天の愛する所を厚くすべし。吾の之を親しみ之を仁しみ之を愛する者は、乃ち天心に順ひて之に事ふる所以なり。此れ一義と為す。且つ三者は本是れ天地の生ずる所にして、吾と一気同体なり。所謂民は吾が同胞、物は吾が与なり。是れ厚くせざるべからず。故に吾の之を親しみ之を仁しみ之を愛する者は、乃ち吾が気類を厚くする所以なり。此れ一義と為す。然れども二義有りと雖も、之を要するに皆是れ天に事ふるの道なり。人子の親に事ふるの道も、亦た此に猶し。蓋し人の子為る者は、父母の生む所を厚くし、父母の愛する所を愛す。是れ兄弟を宜しくすれば、則ち親に事ふるの道なり、一義と為す。又克く兄弟に友なるは、此れ同気を厚くするなり、是れ一義と為す。然れども其の友愛此の如くなれば、則ち是れ父母も亦た之を悦楽す。此れも亦た親に事ふるの道なり。故に二者は、之を要するに皆是れ親に事ふるの事なり。夫れ仁人の親に事ふるや、天に事ふるが如く、天に事ふること親に事ふるが如し。蓋し仁孝は一理なり。天に事ふると親に事ふると、其の事異なりと雖も、然れども其の心同じく、其の理一なり。
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