童子問 / 卷中
問。孟子之於齊宣王。其禮似甚倨。如何。曰。禮固稱矣。奚謂甚倨。古者道德隆。故尊賢。後世道德衰。故簡賢。尊賢。故賢者之權重。簡賢。故賢者之勢微。天下之治亂盛衰。其判于此歟。昔黃帝屈天子之尊。而問道崆峒之山。堯以萬乘之位。館甥于貳室。迭爲賓主。成湯之於伊尹。桓公之於管仲。其初皆師而尊之。晋平公大國之君也。師亥唐。入云則入。坐云則坐。食云則食。雖疏食菜羹。未甞不飽。孟子猶惜其弗與共天位。與治天職。戰國之時。雖道湮學廢。然先王之遺化尙在。人不以孟子爲簡禮。此後世之所不及也。
新字:問。孟子之於斉宣王。其礼似甚倨。如何。曰。礼固称矣。奚謂甚倨。古者道徳隆。故尊賢。後世道徳衰。故簡賢。尊賢。故賢者之権重。簡賢。故賢者之勢微。天下之治乱盛衰。其判于此歟。昔黄帝屈天子之尊。而問道崆峒之山。堯以万乗之位。館甥于貳室。迭為賓主。成湯之於伊尹。桓公之於管仲。其初皆師而尊之。晋平公大国之君也。師亥唐。入云則入。坐云則坐。食云則食。雖疏食菜羹。未甞不飽。孟子猶惜其弗与共天位。与治天職。戦国之時。雖道湮学廃。然先王之遺化尚在。人不以孟子為簡礼。此後世之所不及也。
書き下し
問ふ。孟子の斉の宣王に於けるや、其の礼甚だ倨るに似たり。如何。曰く、礼固より称へり。奚ぞ甚だ倨ると謂はん。古は道徳隆し、故に賢を尊ぶ。後世は道徳衰ふ、故に賢を簡る。賢を尊ぶ、故に賢者の権重し。賢を簡る、故に賢者の勢微なり。天下の治乱盛衰、其れ此に判るるか。昔黄帝は天子の尊を屈して、道を崆峒の山に問ふ。堯は万乗の位を以て、甥を弐室に館せしめ、迭ひに賓主と為る。成湯の伊尹に於ける、桓公の管仲に於ける、其の初め皆師として之を尊ぶ。晋の平公は大国の君なり。亥唐を師とし、入れと云へば則ち入り、坐せと云へば則ち坐し、食へと云へば則ち食ふ。疏食菜羹と雖も、未だ嘗て飽かずんばあらず。孟子猶ほ其の与に天位を共にし、与に天職を治めざるを惜しむ。戦国の時、道湮み学廃ると雖も、然れども先王の遺化尚ほ在り。人孟子を以て礼を簡ると為さず。此れ後世の及ばざる所なり。
現代語訳
問う。孟子が斉の宣王に対した態度は、礼がひどく傲慢であるように見える。どうか。答える。礼はもとよりかなっている。どうしてひどく傲慢だと言えようか。昔は道徳が盛んであったから賢者を尊び、後世は道徳が衰えたから賢者を軽んじる。賢者を尊ぶから賢者の権威は重く、賢者を軽んじるから賢者の勢いは弱い。天下の治乱盛衰は、ここで分かれるのであろうか。昔、黄帝は天子の尊さを屈して、崆峒山に道を問うた。堯は天子の位にありながら、婿の舜を副の館に住まわせ、互いに客となり主となった。成湯の伊尹に対する、桓公の管仲に対する態度も、初めはみな師として尊んだ。晋の平公は大国の君主であったが、亥唐を師とし、入れと言われれば入り、座れと言われれば座り、食べよと言われれば食べた。粗末な飯と野菜の汁であっても、満腹しなかったことはない。それでも孟子は、平公が亥唐と天位を共にし、天職を共に治めなかったことを惜しんだ。戦国の時代は道が埋もれ学問が廃れていたが、それでも先王の遺した教化がまだ残っていたので、人々は孟子を礼を軽んじる者とは見なさなかった。これは後世が及ばないところである。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』外篇・治道・惟だ禮を守るのみ以て人を笑ふ可し今四海九州の人は、郡ごとに風を異にし、鄉ごとに俗を殊にす。道德一ならざる故なり。故に天下皆な先王の禮を守り、上に事へ下に接し、交際往來、事を揆り物を宰するに、率ね一個の成法に遵はば、尚ほ安んぞ詆笑する者有らんや。故に惟だ禮を守るのみ以て人を笑ふ可し。
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言志四録・言志晩録 第二百二十六条 至富は其の富たるを知らず至富は、自ら其の富たるを知らず。至貴は、自ら其の貴たるを知らず。道徳功業も、其の至れる者は、或いは亦自ら然るを知らざるか。
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『慎思録』巻之五卑幼の輩、居れば則ち長者の位を避け、行けば則ち随ひ行き、言語応対は、則ち恂恂として謙遜す。是れ礼の当に然るべき所なり。後世の卑幼は此の礼に循はず。往往長者の位に居り、先生と並び行き、言語応対は、則ち尊長と抗敵す。唯速やかに成人の列に進まんことを欲し、等を躐え節を凌ぐ。分に安んぜざるの甚だしきなり。是を以て驕惰の心を養成して、教ふべからざるに至る。歎ずべきかな。
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史記 魏公子列伝魏に隠士有り、侯嬴と曰ふ、年七十、家貧しく、大梁の夷門の監者為り。公子これを聞き、往きて請ひ、厚くこれに遺らんと欲す。受くるを肯んぜずして曰く、「臣、身を脩め行ひを絜くすること数十年、終に監門の困しみの故を以て公子の財を受けず」と。公子是に於いて乃ち酒を置きて大いに賓客を会す。坐定まり、公子車騎を従へ、左を虚しくして、自ら夷門の侯生を迎ふ。侯生、敝れたる衣冠を摂め、直ちに上りて公子の上坐に載り、譲らず、以て公子を観んと欲す。公子轡を執ること愈々恭し。侯生また公子に謂ひて曰く、「臣に客の市の屠中に在る有り、願はくは車騎を枉げてこれに過れ」と。公子車を引きて市に入る。侯生下りてその客朱亥に見え、俾倪して故らに久しく立ち、その客と語り、微かに公子を察す。公子の顔色愈々和らぐ。是の時に当たり、魏の将相・宗室・賓客堂に満ち、公子の酒を挙ぐるを待つ。市人皆公子の轡を執るを観る。従騎皆竊かに侯生を罵る。侯生、公子の色の終に変ぜざるを視て、乃ち客に謝して車に就く。家に至り、公子、侯生を引きて上坐に坐せしめ、遍く賓客に賛す、賓客皆驚く。酒酣にして、公子起ち、寿を侯生の前に為す。侯生因りて公子に謂ひて曰く、「今日、嬴の公子の為にするもまた足れり。嬴は乃ち夷門の抱関者なり、而るに公子親ら車騎を枉げ、自ら嬴を衆人広坐の中に迎ふ、宜しく過る所有るべからざるに、今公子故らにこれに過る。然れども嬴は公子の名を就さんと欲す、故に久しく公子の車騎を市中に立たしめ、客に過りて以て公子を観る、公子愈々恭し。市人皆嬴を以て小人と為し、而して公子を以て長者にして能く士に下ると為すなり」と。是に於いて酒を罷め、侯生遂に上客と為る。
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