童子問 / 卷中
問。晦翁云。三代以前盡出天理。三代以後總是人欲。此語如何。曰。此非仁人之言也。仁者嫉俗之心少。故知今之不遠于古。不仁者憤世之心勝。故知今之不可復古。設心不同。趣向頓異。後世之不能無君子。猶古之不能無小人也。豈可獨以三代以後盡爲人欲乎。孔子曰。斯民也。三代之所以直道而行也。豈惟民哉。貴賤皆然。斑固賛漢文帝曰。即位三十年。宮室苑囿無所增益。有不便。輙弛以利民。甞欲作露臺。召匠計之。直百金。上曰。百金中人十家之產也。吾奉先帝宮室。甞恐羞之。何以臺爲。身衣弋綈。所幸愼夫人。衣不曳地。帷帳無文繡。以示敦朴。爲天下先。斑史紀其仁政善行者。不可勝數焉。豈可不謂之王者乎。凡人之行。其大者不詭乎道。則其瑣瑣者。置而勿論可矣。傳曰。孔子見人一是。忘其百非。儒者以其好黃老之言。而不論列之。奚服善之淺。而責備之深邪。亦異乎夫子之心矣。吾雖未必左袒河汾永康。竊服其忠厚云。
新字:問。晦翁云。三代以前尽出天理。三代以後総是人欲。此語如何。曰。此非仁人之言也。仁者嫉俗之心少。故知今之不遠于古。不仁者憤世之心勝。故知今之不可復古。設心不同。趣向頓異。後世之不能無君子。猶古之不能無小人也。豈可独以三代以後尽為人欲乎。孔子曰。斯民也。三代之所以直道而行也。豈惟民哉。貴賤皆然。斑固賛漢文帝曰。即位三十年。宮室苑囿無所增益。有不便。輙弛以利民。甞欲作露台。召匠計之。直百金。上曰。百金中人十家之産也。吾奉先帝宮室。甞恐羞之。何以台為。身衣弋綈。所幸慎夫人。衣不曳地。帷帳無文繍。以示敦朴。為天下先。斑史紀其仁政善行者。不可勝数焉。豈可不謂之王者乎。凡人之行。其大者不詭乎道。則其瑣瑣者。置而勿論可矣。伝曰。孔子見人一是。忘其百非。儒者以其好黄老之言。而不論列之。奚服善之浅。而責備之深邪。亦異乎夫子之心矣。吾雖未必左袒河汾永康。窃服其忠厚云。
書き下し
問ふ。晦翁云ふ、三代以前は尽く天理より出で、三代以後は総て是れ人欲なり、と。此の語如何。曰く、此れ仁人の言に非ざるなり。仁者は俗を嫉むの心少なし、故に今の古に遠からざるを知る。不仁者は世を憤るの心勝る、故に今の古に復すべからざるを知る。心を設くること同じからざれば、趣向頓に異なる。後世の君子無きこと能はざるは、猶ほ古の小人無きこと能はざるがごときなり。豈に独り三代以後を以て尽く人欲と為すべけんや。孔子曰く、斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なり、と。豈に惟民のみならんや、貴賤皆然り。斑固漢の文帝を賛して曰く、即位三十年、宮室苑囿増益する所無し。不便有れば、輒ち弛めて以て民を利す。嘗て露台を作らんと欲し、匠を召して之を計らしむるに、直百金なり。上曰く、百金は中人十家の産なり。吾先帝の宮室を奉じて、嘗に之を羞づかしめんことを恐る。何ぞ台を以て為さん、と。身は弋綈を衣、幸する所の慎夫人も、衣地に曳かず、帷帳文繡無く、以て敦朴を示して、天下の先と為る、と。斑史其の仁政善行を紀す者、勝げて数ふべからず。豈に之を王者と謂はざるべけんや。凡そ人の行ひ、其の大なる者道に詭かざれば、則ち其の瑣瑣たる者は、置きて論ずること勿くして可なり。伝に曰く、孔子は人の一是を見て、其の百非を忘る、と。儒者は其の黄老の言を好むを以て、之を論列せず。奚ぞ善に服することの浅くして、備はるを責むることの深きや。亦夫子の心に異なれり。吾未だ必ずしも河汾・永康に左袒せずと雖も、窃かに其の忠厚に服すと云ふ。
現代語訳
問う。朱熹は「三代以前はすべて天理から出たもので、三代以後はすべて人欲である」と言う。この言葉はどうか。答える。これは仁ある人の言葉ではない。仁者は世俗を憎む心が少ないから、今が古からそれほど遠くないことを知っている。不仁の者は世を憤る心がまさっているから、今は古に戻ることができないと思い込む。心の持ち方が同じでないから、向かう方向がたちまち異なるのである。後世に君子がいないはずがないのは、古に小人がいないはずがないのと同じである。どうして三代以後だけをすべて人欲とできようか。孔子は「この民こそ、三代がまっすぐな道で治めてきた民である」と言った。民だけではない。身分の上下を問わずみな同じである。班固は漢の文帝をたたえて言う。「即位して三十年、宮殿や庭園を増やすことはなかった。不便なことがあれば、すぐに緩めて民の利益とした。かつて露台を作ろうとして職人を呼んで見積もらせたところ、費用は百金であった。帝は『百金は中流の家十軒分の財産である。私は先帝の宮殿を受け継ぎ、いつもそれを辱めることを恐れている。どうして台など作ろうか』と言った。帝自身は黒い粗末な絹を着、寵愛した慎夫人も裾を地に引きずるような衣を着ず、帳には刺繍がなく、質朴を示して天下の手本となった」。班固の史書が記す文帝の仁政や善行は、数え切れないほどである。どうしてこれを王者と言わずにいられようか。およそ人の行いは、大きなところで道に背かなければ、こまごましたことは脇に置いて論じなくてよい。伝に「孔子は人の一つの善を見れば、その百の非を忘れた」とある。儒者は文帝が黄老の言を好んだからといって、王者の列に数えない。なんと善に感服することが浅く、完全を求めることが深いことか。これもまた孔子の心とは異なっている。私は必ずしも王通(河汾)や陳亮(永康)の肩をもつわけではないが、ひそかにその忠厚さには敬服している。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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