童子問 / 卷中
問。濂溪先生曰。不復古樂。不變今樂。而欲至治者遠矣。然乎。曰。濂溪之言固也。然可用之於王道既成之後。而不可施之於行王道之初。葢王者之於天下也。專在與民同憂樂。而不以辨樂之今古爲先務。苟與民同憂樂。則人心和平。風俗醇厚。而禮樂可興。於是作樂。以宣八風之氣。以平天下之情。葢聖人但去泰甚。而其餘皆從時因俗。以爲治耳。不有意變之也。若欲徒變今之樂。則禮樂未必遽興而天下騷然矣。聖人豈爲之邪。
新字:問。濂渓先生曰。不復古楽。不変今楽。而欲至治者遠矣。然乎。曰。濂渓之言固也。然可用之於王道既成之後。而不可施之於行王道之初。葢王者之於天下也。専在与民同憂楽。而不以弁楽之今古為先務。苟与民同憂楽。則人心和平。風俗醇厚。而礼楽可興。於是作楽。以宣八風之気。以平天下之情。葢聖人但去泰甚。而其余皆従時因俗。以為治耳。不有意変之也。若欲徒変今之楽。則礼楽未必遽興而天下騷然矣。聖人豈為之邪。
書き下し
問ふ。濂渓先生曰く、古楽を復さず、今楽を変ぜずして、治に至らんと欲する者は遠し、と。然るか。曰く、濂渓の言固なり。然れども之を王道既に成るの後に用ふべくして、之を王道を行ふの初めに施すべからず。蓋し王者の天下に於けるや、専ら民と憂楽を同じくするに在りて、楽の今古を辨ずるを以て先務と為さず。苟も民と憂楽を同じくすれば、則ち人心和平に、風俗醇厚にして、礼楽興すべし。是に於て楽を作り、以て八風の気を宣べ、以て天下の情を平らかにす。蓋し聖人は但泰甚を去りて、其の余は皆時に従ひ俗に因りて、以て治を為すのみ。意有りて之を変ぜざるなり。若し徒に今の楽を変ぜんと欲すれば、則ち礼楽未だ必ずしも遽かに興らずして、天下騒然たらん。聖人豈に之を為さんや。
現代語訳
問う。周濂渓先生は「古の音楽を復活させず、今の音楽を変えずに、治世に至ろうとする者は、目的から遠い」と言った。そうか。答える。濂渓の言葉はもっともである。しかしそれは王道がすでに成った後に用いるべきことで、王道を行い始める時に施すべきことではない。思うに王者が天下を治めるにあたっては、もっぱら民と憂いや楽しみを共にすることにあり、音楽の今と昔を区別することを先の務めとはしない。もし民と憂楽を共にするならば、人の心は和らぎ、風俗は厚くなり、礼楽を興すことができる。そこで音楽を作って八方の風の気をのびやかにし、天下の人の情を穏やかにするのである。思うに聖人はただ甚だしすぎるものを除くだけで、その他はみな時勢に従い風俗によって治めるのであり、意図して変えようとはしない。もしいたずらに今の音楽を変えようとすれば、礼楽は必ずしもすぐには興らず、天下が騒然とするであろう。聖人がどうしてそんなことをしようか。
解説
この章句が説くこと
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