童子問 / 卷中
唐太宗之初卽位也。嘗與羣臣語及敎化。上曰。今承大亂之後。恐斯民未易化也。魏徵對曰不然。久安之民驕逸。驕逸則難敎。經亂之民愁苦。愁苦則易化。譬猶饑者易爲食渴者易爲飮也。上深然之。封德彝非之曰。魏徵書生。未識時務。若信其虛論。必敗國家。徵曰。五帝三王。不易民而化。行帝道而帝。行王道而王。顧所行如何耳。上卒從徵言。貞觀元年關中饑。米斗直絹一疋。二年天下蝗。三年大水。上勤而撫之。是歳天下大稔。米斗不過三四錢。終歲斷死刑二十九人。外戶不閉。行旅不齎糧。帝謂群臣曰。此徵勸我行仁義。既效矣。此近代之明效也。王道豈可行于古。而不可行于今耶。徵之學。未爲知孟子。然其言猶有明效如此。況不爲徵者乎。
新字:唐太宗之初即位也。嘗与羣臣語及教化。上曰。今承大乱之後。恐斯民未易化也。魏徴対曰不然。久安之民驕逸。驕逸則難教。経乱之民愁苦。愁苦則易化。譬猶饑者易為食渇者易為飲也。上深然之。封徳彝非之曰。魏徴書生。未識時務。若信其虚論。必敗国家。徴曰。五帝三王。不易民而化。行帝道而帝。行王道而王。顧所行如何耳。上卒従徴言。貞観元年関中饑。米斗直絹一疋。二年天下蝗。三年大水。上勤而撫之。是歳天下大稔。米斗不過三四銭。終歳断死刑二十九人。外戸不閉。行旅不齎糧。帝謂群臣曰。此徴勧我行仁義。既効矣。此近代之明効也。王道豈可行于古。而不可行于今耶。徴之学。未為知孟子。然其言猶有明効如此。況不為徴者乎。
書き下し
唐の太宗の初めて即位するや、嘗て群臣と語りて教化に及ぶ。上曰く、今大乱の後を承く、恐らくは斯の民未だ化し易からざらん、と。魏徴対へて曰く、然らず。久安の民は驕逸なり、驕逸なれば則ち教へ難し。経乱の民は愁苦す、愁苦すれば則ち化し易し。譬へば猶ほ饑うる者は食を為し易く、渇する者は飲を為し易きがごとし、と。上深く之を然りとす。封徳彝之を非として曰く、魏徴は書生にして、未だ時務を識らず。若し其の虚論を信ぜば、必ず国家を敗らん、と。徴曰く、五帝三王は、民を易へずして化す。帝道を行ひて帝たり、王道を行ひて王たり。顧ふに行ふ所如何のみ、と。上卒に徴の言に従ふ。貞観元年、関中饑ゑ、米斗ごとに絹一疋に直す。二年、天下蝗あり。三年、大水あり。上勤めて之を撫す。是の歳、天下大いに稔り、米斗三四銭に過ぎず。終歳死刑を断ずること二十九人、外戸閉ぢず、行旅糧を齎さず。帝群臣に謂ひて曰く、此れ徴我に仁義を行ふを勧む、既に效あり、と。此れ近代の明效なり。王道豈に古に行ふべくして、今に行ふべからざらんや。徴の学は、未だ孟子を知ると為さず。然れども其の言猶ほ明效有ること此くのごとし。況んや徴為らざる者をや。
現代語訳
唐の太宗が即位したばかりのころ、群臣と語って教化の話に及んだ。太宗は「今は大乱の後を受けている。おそらくこの民はまだ教化しにくいであろう」と言った。魏徴は答えて「そうではありません。長く安泰に慣れた民はおごり怠けており、おごり怠ければ教えにくい。乱世を経た民は憂い苦しんでおり、憂い苦しめば教化しやすい。たとえば飢えた者は何でも食べやすく、渇いた者は何でも飲みやすいようなものです」と言った。太宗は深く納得した。封徳彝はこれを非難して「魏徴は書生で、まだ時務をわかっていません。もしその空論を信じれば、必ず国家を滅ぼすでしょう」と言った。魏徴は「五帝・三王は民を取り替えずに教化しました。帝道を行って帝となり、王道を行って王となったのです。ただ何を行うかにかかっているだけです」と言った。太宗はついに魏徴の言葉に従った。貞観元年、関中が飢饉となり、米一斗が絹一疋の値となった。二年には天下に蝗の害があり、三年には大水があった。太宗は努めて民をいたわった。この年、天下は大豊作となり、米一斗は三、四銭にすぎなかった。一年を通じて死刑に処したのは二十九人で、家の外戸は閉ざさず、旅人は食糧を持たずに旅ができた。太宗は群臣に「これは魏徴が私に仁義を行うことを勧め、すでに効果があったのだ」と言った。これは近代の明らかな効果である。王道がどうして古には行えて、今には行えないことがあろうか。魏徴の学問は、孟子を知っていたとは言えない。それでもその言葉にこれほどの明らかな効果があった。まして魏徴以上の者ならばなおさらである。
解説
この章句が説くこと
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貞観政要・政体貞観七年、太宗、秘書監魏徴と従容として自古の理政の得失を論ず。因りて曰く、「当今は大乱の後なり。造次に化を致すべからず」と。徴曰く、「然らず。凡そ人は危困に在れば、則ち死亡を憂う。死亡を憂うれば、則ち化を思う。化を思えば、則ち教え易し。然らば則ち乱後は教え易きこと、猶お飢人の食らい易きがごときなり」と。太宗曰く、「善人邦を為(おさ)むること百年、然る後に残に勝ち殺を去る。大乱の後、将に化を致すを求めんとす。寧ろ造次にして望むべけんや」と。徴曰く、「此れ常人に拠る。聖哲に在らず。若し聖哲化を施し、上下心を同じくせば、人の応ずること響の如く、疾(と)くせずして速やかに、期月にして可ならん。信に難しと為さず。三年にして功を成すも、猶お其の晩しと謂わん」と。太宗以て然りと為す。封徳彜(ほうとくい)等対えて曰く、「三代より後、人は漸く澆訛(ぎょうか)なり。故に秦は法律に任じ、漢は霸道を雑(まじ)う。皆な理めんと欲して能わず。豈に能く化して欲せざらんや。若し魏徴の説く所を信ぜば、恐らくは国家を敗乱せん」と。徴曰く、「五帝・三王は、人を易えずして化す。帝道を行えば則ち帝たり、王道を行えば則ち王たり。当時の理むる所に在り、之を化するのみ。之を載籍に考うれば、得て知るべし。昔、黄帝は蚩尤(しゆう)と七十余戦す。其の乱れたること甚だし。既に之に勝ちて後、便ち太平を致す。九黎(きゅうれい)徳を乱す。顓頊(せんぎょく)之を征す。既に克ちて後、其の化を失わず。桀は乱虐を為す。而して湯は之を放つ。湯の代に在りて、即ち太平を致す。紂は無道を為す。武王之を伐つ。成王の代に、亦た太平を致す。若し人漸く澆訛にして、純樸に及ばずと言わば、今に至りて応(まさ)に悉く鬼魅と為るべし。寧ろ復た得て教化すべけんや」と。徳彜等之を難ずる無し。然れども咸(みな)以て不可と為す。太宗毎に力行して倦まず。数年の間、海内康寧、突厥破滅す。因りて群臣に謂いて曰く、「貞観の初め、人皆な異論す。云く、当今必ず帝道・王道を行うべからず、と。惟だ魏徴のみ我に勧む。既に其の言に従い、数載を過ぎずして、遂に華夏の安寧、遠戎の賓服を得たり。突厥は古より以来、常に中国の勍敵(けいてき)為り。今、酋長は並びに刀を帯びて宿衛し、部落は皆な衣冠を襲(つ)ぐ。我をして遂に此に至らしむるは、皆な魏徴の力なり」と。顧みて徴に謂いて曰く、「玉は美質有りと雖も、石間に在り、良工の琢磨に値(あ)わざれば、瓦礫と別(わか)たず。若し良工に遇わば、即ち万代の宝と為る。朕は美質無しと雖も、公の切磋する所と為る。公が朕を約するに仁義を以てし、朕を弘むるに道徳を以てし、朕の功業をして此に至らしむるを労す。公も亦た良工為るに足るのみ」と。
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貞観政要・政体太宗即位の始めより、霜旱(そうかん)災を為し、米穀踴貴(ようき)す。突厥侵擾し、州県騒然たり。帝の志は人を憂うるに在り、精を鋭くして政を為し、節倹を崇尚し、大いに恩徳を布(し)く。是の時、京師より河東・河南・隴右に及ぶまで、饑饉尤も甚だし。一匹の絹、纔(わず)かに一斗の米を得るのみ。百姓は東西に食を逐うと雖も、未だ嘗て嗟怨(さえん)せず。自ら安んぜざる莫し。貞観三年に至り、関中豊熟す。咸(みな)自ら郷に帰る。竟に一人の逃散する無し。其の人心を得ること此くの如し。加うるに諫に従うこと流るるが如く、雅(つね)に儒術を好み、孜孜として士を求め、務めて官を択ぶに在り。旧弊を改革し、制度を興復す。一事に因る毎に、類に触れて善を為す。初め、息隠(そくいん)・海陵の党、同謀して太宗を害せんとする者、数百千人なり。事寧(しず)まりて後、引きて左右近侍に居らしむ。心術豁然として、疑阻有らず。時論以為(おも)えらく、能く大事を断決し、帝王の体を得たり、と。深く官吏の貪濁を悪(にく)む。法を枉(ま)げて財を受くる者有らば、必ず赦免する無し。京に在る流外にして贓(ぞう)を犯す者有らば、皆な執奏せしめ、其の犯す所に随い、寘(お)くに重法を以てす。是に由りて官吏は多く自ら清謹なり。王公・妃主の家、大姓豪猾の伍を制馭す。皆な威を畏れて跡を屏(しりぞ)け、敢えて細人を侵欺する無し。商旅は野に次(やど)るも、復た盗賊無し。囹圄(れいご)は常に空しく、馬牛は野に布(し)き、外戸閉ざさず。又た頻りに豊稔を致し、米は斗三四銭。行旅は京師より嶺表に至り、山東より滄海に至るまで、皆な糧を賫(もた)らさず、給を路に取る。山東の村落に入れば、行客の経過する者、必ず厚く供待を加え、或いは発する時に贈遺(ぞうい)有り。此れ皆な古昔にも未だ有らざるなり。
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貞観政要・直諫貞観六年、匈奴克(よ)く平らぎ、遠夷入貢し、符瑞日に至り、年穀頻りに登(みの)る。岳牧等屢々封禅を請う。群臣等又た功徳を称述し、以為えらく「時は失うべからず、天は違うべからず。今、之を行うも、臣等は猶お其れ晩しと謂う」と。惟だ魏徴のみ以て不可と為す。太宗曰く、「朕は卿の直言を得んと欲す。隠す所有る勿かれ。朕の功は高からざるか」と。曰く、「高し」と。「徳は未だ厚からざるか」と。曰く、「厚し」と。「華夏は未だ安からざるか」と。曰く、「安し」と。「遠夷は未だ慕わざるか」と。曰く、「慕う」と。「符瑞は未だ至らざるか」と。曰く、「至る」と。「年穀は未だ登らざるか」と。曰く、「登る」と。「然らば則ち何為れぞ不可なる」と。対えて曰く、「陛下の功は高し。而れども民は未だ恵みに懐(なつ)かず。徳は厚し。而れども沢は未だ旁(あまね)く流れず。華夏は安し。而れども未だ事に供するに足らず。遠夷は慕う。而れども以て其の求めに供する無し。符瑞は臻(いた)ると雖も、而れども罻羅(いら)は猶お密なり。歳を積みて豊稔なるも、而れども倉廩は尚お虚し。此れ臣の窃かに未だ可ならずと謂う所以なり。臣は未だ遠く譬うる能わず。且く近く人に喩を借らん。人有り、長く疼痛を患い、任持する能わず。療理して且(まさ)に愈えんとするも、皮骨僅かに存す。便ち一石の米を負い、日に百里を行かんと欲するも、必ず得べからず。隋氏の乱は、十年に止まらず。陛下は之が良医と為り、其の疾苦を除く。已に乂安なりと雖も、未だ甚だしくは充実ならず。成るを天地に告ぐるは、臣窃かに疑い有り。且つ陛下、東のかた封ぜば、万国咸な萃(あつ)まらん。要荒の外、奔馳せざる莫し。今、伊・洛の東より、海・岱に暨(およ)ぶまで、萑莽(かんぼう)の巨沢、茫茫たること千里。人煙は断絶し、鶏犬も聞こえず。道路は蕭条として、進退は艱阻なり。寧ぞ彼の戎狄を引き、示すに虚弱を以てすべけんや。財を竭くして以て賞するも、未だ遠人の望みを厭(あ)かしめず。年を加え復を給するも、百姓の労に償わず。或いは水旱の災、風雨の変に遇わば、庸夫は邪議し、悔ゆるも追うべからず。豈に独り臣の誠懇のみならんや。亦た輿人の論有り」と。太宗善しと称す。是に於て乃ち止む。
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貞観政要・誠信太宗嘗て長孫無忌等に謂いて曰く、「朕の即位の初め、書を上る者は一に非ず。或いは言う、人主は必ず須らく威権を独り任ずべし。群下に委任するを得ず、と。或いは兵を耀かし武を振るい、四夷を懾服せんことを欲す。惟だ魏徴のみ朕に勧む、『革を偃(ふ)せて文を興し、徳を布き恵を施さば、中国既に安く、遠人自ら服せん』と。朕は此の語に従う。天下大いに寧し。絶域の君長、皆な来たりて朝貢す。九夷は重訳し、道に相い望む。凡そ此等の事は、皆な魏徴の力なり。朕の任用、豈に人を得ざらんや」と。徴拝謝して曰く、「陛下の聖徳は天より、心を政術に留む。実に庸短を以て、承受するに暇あらず。豈に聖明に益有らんや」と。
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貞観政要・直諫貞観十二年、太宗魏徴に謂いて曰く、「比来の行う所の得失・政化は、往前に何如」と。対えて曰く、「若し恩威の加うる所、遠夷の朝貢は、貞観の始めに比すれば、等級を以ては言うべからず。若し徳義の潜かに通じ、民心の悦服は、貞観の初めに比すれば、相い去ること又た甚だ遠し」と。太宗曰く、「遠夷来服するは、応に徳義の加うる所に由るべし。往前の功業は、何に因りてか益ます大なる」と。徴曰く、「昔者、四方未だ定まらざるとき、常に徳義を以て心と為す。旋(や)がて海内虞(うれ)い無きを以て、漸く驕奢自溢を加う。所以に功業は盛なりと雖も、終に往初に如かず」と。太宗又た曰く、「行う所は往前に比して何ぞ異なる」と。徴曰く、「貞観の初め、人の言わざるを恐れ、之を導きて諫めしむ。三年已後、人の諫むるを見れば、悦びて之に従う。一二年来、人の諫むるを悦ばず。勉強して聴受すと雖も、意は終に平らかならず、諒(まこと)に難色有り」と。太宗曰く、「何の事に於て此くの如き」と。対えて曰く、「即位の初め、元律師を死罪に処す。孫伏伽諫めて曰く、『法は死に至らず。濫りに酷罰を加うるを容(ゆる)す無かれ』と。遂に蘭陵公主の園を賜う。直(あたい)は銭百万。人或いは曰く、『言う所は乃ち常事なるに、賞する所は太(はなは)だ厚し』と。答えて曰く、『我は即位より来、未だ諫むる者有らず。賞する所以なり』と。此れ之を導きて言わしむるなり。徐州司戸柳雄は隋の資に於て妄りに階級を加う。人の之を告ぐる者有り。陛下は其れをして自首せしめ、首せずんば罪を与うとす。遂に固く是れ実なりと言い、竟に首するを肯んぜず。大理は推して其の偽を得、将に雄を死罪に処せんとす。少卿戴冑奏す、法は止だ徒に合うのみと。陛下曰く、『我は已に其れと断当し訖(お)われり。但だ当に死罪を与うべし』と。冑曰く、『陛下既に然らずんば、即ち臣が法司に付せ。罪は死に合わず。酷濫なるべからず』と。陛下色を作して殺すを遣(し)む。冑之を執りて已まざること、四五に至る。然る後に之を赦す。乃ち法司に謂いて曰く、『但だ能く我が為に此くの如く法を守らば、豈に濫りに誅夷有るを畏れんや』と。此れ則ち悦びて以て諫に従うなり。往年、陝県の丞皇甫徳参は書を上りて大いに聖旨に忤らう。陛下は以て訕謗と為す。臣奏して称す、上書は激切ならずんば、人主の意を起こす能わず。激切なれば即ち訕謗に似たりと。時に臣の言に従うと雖も、物二十段を賞す。意は甚だ平らかならず、諫を受くるに難(かた)んず」と。太宗曰く、「誠に公の言の如し。公に非ずんば能く此を道う者無し。人は皆な自ら覚らざるに苦しむ。公が未だ道わざる時に向(さき)んじては、都(すべ)て自ら行う所は変わらずと謂えり。公の論説を見るに及び、過失は驚くに堪えたり。公は但だ此の心を存せよ。朕は終に公の語に違わず」と。
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貞観政要・政体貞観八年、太宗侍臣に謂いて曰く、「隋の時、百姓は縦(たと)い財物有るも、豈に此を保つを得んや。朕天下を有ちてより已来、心を存して撫養し、科差する所有る無し。人人皆な生を営むを得、其の資財を守る。即ち朕の賜う所なり。向(さき)に朕をして科喚(かかん)して已まざらしめば、数(しばしば)資賞賜すと雖も、亦た得ざるに如かず」と。魏徴対えて曰く、「堯・舜上に在り、百姓も亦た『田を耕して食らい、井を鑿(うが)ちて飲む』と云う。哺(ほ)を含み腹を鼓し、而して『帝何の力か』其の間に有らんと云えり。今、陛下は此の如く含養す。百姓は日に用いて知らずと謂うべし」と。又た奏して称す、「晋の文公出でて田(かり)し、獣を碭(とう)に逐い、大沢に入り、迷いて出づる所を知らず。其の中に漁者有り。文公之に謂いて曰く、『我は、若(なんじ)の君なり。道は将に安(いず)くにか出でん。我且つ厚く若に賜わん』と。漁者曰く、『臣は献ずること有らんことを願う』と。文公曰く、『沢を出でて之を受けん』と。是に於いて送りて沢を出づ。文公曰く、『今、子の寡人に教えんと欲する所の者は、何ぞや。願わくは之を受けん』と。漁者曰く、『鴻鵠(こうこく)は河海に保(よ)る。厭(あ)きて之を小沢に徙(うつ)せば、則ち矰丸(そうがん)の憂い有り。黿鼉(げんだ)は深淵に保る。厭きて之を浅渚に出ださば、必ず釣射の憂い有り。今、君は獣を碭に逐い、入りて此に至る。何ぞ行くことの太(はなは)だ遠きや』と。文公曰く、『善いかな』と。従者に謂いて漁者の名を記さしむ。漁者曰く、『君何ぞ名を以てせん。君の天を尊び地に事え、社稷を敬し、四国を保ち、万民を慈愛し、賦斂を薄くし、租税を軽くせんが為なれば、臣も亦た焉(ここ)に与(あずか)らん。君、天を尊ばず、地に事えず、社稷を敬せず、四海を固くせず、外は礼を諸侯に失い、内は民心に逆らわば、一国流亡せん。漁者は厚賜有りと雖も、保つを得ざるなり』と。遂に辞して受けず」と。太宗曰く、「卿の言は是なり」と。
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