童子問 / 卷中
問。後世恐難行王道。曰。子爲不井田不封建。則不可行王道乎。將爲悉除後世之法。以復三代之舊乎。曰然。非邪。曰非也。王道豈在法度上乎。所謂王道者。以不忍人之心。行不忍人之政而已。何難之有。若使聖人生于今世。亦必因今之俗。用今之法。而君子豹變。小人革面。天下自治矣。孟子當戰國之擾擾。勸齊梁之庸主。豈以不可行之時。勸不可行之道乎。苟有其人。則雖戰國。猶可行之。況不爲戰國之時乎。雖齊宣梁惠。猶可能行之。況不爲齊宣梁惠之君乎。
新字:問。後世恐難行王道。曰。子為不井田不封建。則不可行王道乎。将為悉除後世之法。以復三代之旧乎。曰然。非邪。曰非也。王道豈在法度上乎。所謂王道者。以不忍人之心。行不忍人之政而已。何難之有。若使聖人生于今世。亦必因今之俗。用今之法。而君子豹変。小人革面。天下自治矣。孟子当戦国之擾擾。勧斉梁之庸主。豈以不可行之時。勧不可行之道乎。苟有其人。則雖戦国。猶可行之。況不為戦国之時乎。雖斉宣梁恵。猶可能行之。況不為斉宣梁恵之君乎。
書き下し
問ふ。後世は恐らくは王道を行ひ難からん。曰く、子は井田せず封建せざれば、則ち王道を行ふべからずと為すか。将た悉く後世の法を除きて、以て三代の旧に復さんと為すか。曰く、然り。非なるか。曰く、非なり。王道豈に法度の上に在らんや。所謂王道とは、人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行ふのみ。何の難きことか之れ有らん。若し聖人をして今の世に生まれしめば、亦必ず今の俗に因り、今の法を用ひて、君子は豹変し、小人は面を革め、天下自ら治まらん。孟子は戦国の擾擾たるに当たりて、斉梁の庸主に勧む。豈に行ふべからざるの時を以て、行ふべからざるの道を勧めんや。苟も其の人有らば、則ち戦国と雖も、猶ほ之を行ふべし。況んや戦国の時為らざるをや。斉宣・梁恵と雖も、猶ほ能く之を行ふべし。況んや斉宣・梁恵の君為らざるをや。
現代語訳
問う。後世ではおそらく王道は行いにくいであろう。答える。あなたは、井田制を行わず封建制をとらなければ王道を行うことができないと考えるのか。それとも後世の法をすべて取り除いて、三代の昔に戻そうと考えるのか。問う者が言う。そうです。間違いでしょうか。答える。間違いである。王道がどうして法制度の上にあろうか。いわゆる王道とは、人の不幸を見過ごせない心で、人の不幸を見過ごせない政治を行うことにすぎない。何の難しいことがあろうか。もし聖人を今の世に生まれさせたならば、やはり必ず今の風俗に従い、今の法を用いて、君子は豹の模様が変わるように鮮やかに善に移り、小人は顔つきを改め、天下はおのずから治まるであろう。孟子は戦国の乱れた時代にあって、斉や梁の凡庸な君主に王道を勧めた。どうして行えない時代に、行えない道を勧めたりしようか。もしふさわしい人がいれば、戦国の世であってもなお行うことができる。まして戦国の時代でなければなおさらである。斉の宣王や梁の恵王のような君主でさえなお行うことができる。まして斉宣王・梁恵王ほどの君主でなければなおさらである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之四井田の法は、中国広闊の地に於てすら、後世其の勢ひ行ひ難きの論有り。況や外夷の壌地褊少なるに於てをや。凡そ治を為すの道は、只だ政を発し仁を施すに在り。稼穡を教へ法制を厳にし、税斂を薄くし力役を省き、学校を興し倫理を明らかにするのみ。古制に泥むことを要せず。今其の土宜を知らずして古制に拘拘たる者、中華古昔の井田の法を以て外夷に行ふべしと為す。是れ陋儒の見にして、世変を諳んぜず、偏僻の説にして、時宜を知らざる者なり。智と謂ふべけんや。
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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