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童子問 / 卷中

問。孟子之論王道。何篇最詳而明。曰。篇篇詳矣。章章精矣。初學以梁惠王篇爲勸時君而發。故見之以爲尋常說話。以告子盡心二篇爲精蘊處。不然。惠王一篇。反是孟子一生事業備矣。不可不熟翫焉。予故謂。此篇必是孟子之自著。自公孫丑篇以下。至離婁上篇。無一句非說王道。爾後初及種種議論。蓋七篇各是一部書。苟得一篇熟讀翫味有得焉。則何憂其不識王道也。昔黃石公授張良一卷書曰。讀此可以爲王者師。余亦以爲熟讀孟子梁惠王一篇。可以爲帝者之師也。

新字:問。孟子之論王道。何篇最詳而明。曰。篇篇詳矣。章章精矣。初学以梁恵王篇為勧時君而発。故見之以為尋常説話。以告子尽心二篇為精蘊処。不然。恵王一篇。反是孟子一生事業備矣。不可不熟翫焉。予故謂。此篇必是孟子之自著。自公孫丑篇以下。至離婁上篇。無一句非説王道。爾後初及種種議論。蓋七篇各是一部書。苟得一篇熟読翫味有得焉。則何憂其不識王道也。昔黄石公授張良一巻書曰。読此可以為王者師。余亦以為熟読孟子梁恵王一篇。可以為帝者之師也。

書き下し

問ふ。孟子の王道を論ずる、何れの篇か最も詳らかにして明らかなる。曰く、篇篇詳らかなり、章章精なり。初学は梁恵王篇を以て時君に勧むる為にして発すと為す。故に之を見て以て尋常の説話と為し、告子・尽心の二篇を以て精蘊の処と為す。然らず。恵王の一篇、反つて是れ孟子一生の事業備はれり。熟翫せざるべからず。予故に謂ふ、此の篇は必ず是れ孟子の自著ならん、と。公孫丑篇より以下、離婁上篇に至るまで、一句として王道を説くに非ざるは無し。爾後初めて種種の議論に及ぶ。蓋し七篇各是れ一部の書なり。苟も一篇を得て熟読翫味して得ること有らば、則ち何ぞ其の王道を識らざるを憂へんや。昔黄石公張良に一巻の書を授けて曰く、此を読まば以て王者の師と為るべし、と。余も亦以為へらく、孟子梁恵王の一篇を熟読せば、以て帝者の師と為るべし、と。

現代語訳

問う。孟子が王道を論じているのは、どの篇が最も詳しく明らかか。答える。どの篇も詳しく、どの章も精密である。初学者は梁恵王篇を当時の君主に勧めるために述べたものと考え、ありふれた話と見なして、告子・尽心の二篇を奥深い核心だと考える。そうではない。梁恵王の一篇こそ、かえって孟子の生涯の事業がそなわっている。よくよく味わわなければならない。だから私は、この篇は必ず孟子自身の著作であろうと言うのである。公孫丑篇から離婁上篇までは、一句として王道を説かないものはなく、そのあとで初めてさまざまな議論に及ぶ。思うに七篇はそれぞれが一部の書である。もし一篇でも熟読し味わって得るところがあれば、どうして王道を知らないことを心配する必要があろうか。昔、黄石公は張良に一巻の書を授けて「これを読めば王者の師となれる」と言った。私もまた、孟子の梁恵王の一篇を熟読すれば、帝王の師となれると思う。

解説

朱子学の伝統では、心性を論じる告子篇・尽心篇が孟子の精髄とされやすかった。仁斎はこれをひっくり返し、王に仁政を説く梁恵王篇にこそ孟子一生の事業が備わると言う。梁恵王篇は孟子の自著に違いないとまで述べ、公孫丑から離婁上までは一句残らず王道を説くと見る。抽象的な心性論より、具体的な政治の場で人を思いやる道を説いた部分を重んじるところに、人倫日用を重視する古義学の姿勢が表れている。私たちも、理論的で難しそうな部分ほど高級だと思い込みがちである。現場の具体的な問答の中にこそ、その人の思想の核心が凝縮されていることが多い。

この章句が説くこと

王道孟子梁恵王熟読学問帝王学

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