童子問 / 卷中
問。齊宣王曰寡人好貨。孟子對曰王如好貨。與百姓同之。於王何有。又曰寡人好色。則曰。王如好色。與百姓同之。於王何有。先儒以爲巽與之言。又以爲救時之論。然乎。曰不然。此卽王道也。孟子固曰。樂民之樂者。民亦樂其樂。憂民之憂者。民亦憂其憂。樂以天下。憂以天下。然而不王者。未之有也。觀夫自古以來人君好色好貨者。不顧人之怨。不察人之怒。奪民之婦女。掠民之貨寳。專悅己之耳目。而不能與民同好惡。禍門以開。怨府以成。而王者之心則不然。民之所欲。與之聚之。所惡勿施。己欲立而立人。己欲達而達人。己好色則推斯心以及民。己好貨。則推斯心以及民。其心何等公平。何等寬仁。實天地之心。故先王置媒氏。以合民之男女。內無怨女。外無曠夫。又深嫉聚歛之臣。掊克在位。則有讓。故與民同好惡。則好色好貨。皆爲王道。亦奚疑。
新字:問。斉宣王曰寡人好貨。孟子対曰王如好貨。与百姓同之。於王何有。又曰寡人好色。則曰。王如好色。与百姓同之。於王何有。先儒以為巽与之言。又以為救時之論。然乎。曰不然。此即王道也。孟子固曰。楽民之楽者。民亦楽其楽。憂民之憂者。民亦憂其憂。楽以天下。憂以天下。然而不王者。未之有也。観夫自古以来人君好色好貨者。不顧人之怨。不察人之怒。奪民之婦女。掠民之貨宝。専悦己之耳目。而不能与民同好悪。禍門以開。怨府以成。而王者之心則不然。民之所欲。与之聚之。所悪勿施。己欲立而立人。己欲達而達人。己好色則推斯心以及民。己好貨。則推斯心以及民。其心何等公平。何等寛仁。実天地之心。故先王置媒氏。以合民之男女。内無怨女。外無曠夫。又深嫉聚歛之臣。掊克在位。則有譲。故与民同好悪。則好色好貨。皆為王道。亦奚疑。
書き下し
問ふ。斉の宣王曰く、寡人貨を好む、と。孟子対へて曰く、王如し貨を好まば、百姓と之を同じくせよ、王に於て何か有らん、と。又曰く、寡人色を好む、と。則ち曰く、王如し色を好まば、百姓と之を同じくせよ、王に於て何か有らん、と。先儒以て巽与の言と為し、又以て時を救ふの論と為す。然るか。曰く、然らず。此れ即ち王道なり。孟子固より曰く、民の楽しみを楽しむ者は、民も亦其の楽しみを楽しむ。民の憂ひを憂ふる者は、民も亦其の憂ひを憂ふ。楽しむに天下を以てし、憂ふるに天下を以てす。然り而して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり、と。夫の古より以来人君の色を好み貨を好む者を観るに、人の怨みを顧みず、人の怒りを察せず、民の婦女を奪ひ、民の貨宝を掠め、専ら己の耳目を悦ばしめて、民と好悪を同じくすること能はず。禍門以て開け、怨府以て成る。而るに王者の心は則ち然らず。民の欲する所は、之が与に之を聚め、悪む所は施すこと勿し。己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。己色を好めば則ち斯の心を推して以て民に及ぼし、己貨を好めば、則ち斯の心を推して以て民に及ぼす。其の心何等の公平、何等の寛仁ぞ。実に天地の心なり。故に先王は媒氏を置きて、以て民の男女を合はせ、内に怨女無く、外に曠夫無し。又深く聚斂の臣を嫉み、掊克位に在れば、則ち譲有り。故に民と好悪を同じくすれば、則ち好色好貨も、皆王道たり。亦奚ぞ疑はん。
現代語訳
問う。斉の宣王が「私は財貨を好む」と言うと、孟子は「王がもし財貨を好むならば、民と共にしなさい。王にとって何の差し障りがあろうか」と答えた。また「私は色を好む」と言うと、「王がもし色を好むならば、民と共にしなさい。王にとって何の差し障りがあろうか」と答えた。先儒はこれを相手に逆らわず穏やかに導く言葉だとし、また時勢を救うための方便の論だとする。そうか。答える。そうではない。これこそが王道である。孟子はもとより「民の楽しみを楽しむ者は、民もまたその楽しみを楽しむ。民の憂いを憂える者は、民もまたその憂いを憂える。天下とともに楽しみ、天下とともに憂えて、それで王者にならなかった者はいない」と言っている。古来、色を好み財貨を好んだ君主を見ると、人の怨みを顧みず、人の怒りを察せず、民の婦女を奪い、民の財宝をかすめ取り、もっぱら自分の耳目を喜ばせて、民と好き嫌いを共にすることができなかった。そうして禍の門が開き、怨みの蔵が満ちたのである。だが王者の心はそうではない。民の欲するものは民のために集めてやり、民の嫌うものは押しつけない。自分が立ちたいと思えば人を立て、自分が達したいと思えば人を達せさせる。自分が色を好めばその心を推して民に及ぼし、自分が財貨を好めばその心を推して民に及ぼす。その心はなんと公平で、なんと寛大で慈しみ深いことか。まさに天地の心である。だから先王は媒氏という仲人の役人を置いて民の男女を結び合わせ、家の内には夫のない女がなく、外には妻のない男がいなかった。また民から搾り取る臣を深く憎み、取り立ての厳しい者が位にいれば責めを受けた。だから民と好き嫌いを共にするならば、色を好むことも財貨を好むことも、すべて王道である。何を疑うことがあろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下齊の宣王問いて曰く、「人皆我に明堂を毀てと謂う。諸を毀たんか、已めんか。」孟子對えて曰く、「夫れ明堂なる者は、王者の堂なり。王、王政を行わんと欲せば、則ち之を毀つこと勿れ。」王曰く、「王政聞くことを得可きか。」對えて曰く、「昔者、文王の岐を治むるや、耕す者は九の一、仕うる者は禄を世々にし、關市は譏して征せず、澤梁は禁無く、人を罪するに孥(ド)せず。老いて妻無きを鰥(カン)と曰い、老いて夫無きを寡と曰い、老いて子無きを獨と曰い、幼にして父無きを孤と曰う。此の四者は、天下の窮民にして告ぐる無き者なり。文王、政を發し仁を施すに、必ず斯の四者を先にせり。詩に云う、『哿(カ)なり富める人、此の煢獨(ケイ・ドク)を哀れむ。』」王曰く、「善きかな言や。」曰く、「王、如し之を善しとせば、則ち何為れぞ行わざる。」王曰く、「寡人、疾有り、寡人、貨を好む。」對えて曰く、「昔者、公劉、貨を好めり。詩に云う、『乃ち積し乃ち倉す。乃ち餱糧(コウ・リョウ)を裹(つつむ)む。橐(タク)に囊(ノウ)に。戢(あつめる)めて用て光(おおいに)いにせんことを思う。弓矢斯に張り、干戈戚揚あり。爰(ここ)に方(はじめ)めて行を啓く。』故に居る者は積倉有り。行く者は裹(カ)糧有り。然る後以て爰に方めて行を啓く可し。王如し貨を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於いて何か有らん。」王曰く、「寡人疾有り。寡人色を好む。」對えて曰く、「昔者、大王、色を好み、厥の妃を愛せり。詩に云う、『古公亶甫、來りて朝に馬を走らせ、西水の滸(ほとり)に率い、岐下に至る。爰に姜女と、聿(ともに)に來りて胥宇る。』是の時に當りて、內に怨女無く、外に曠夫無し。王如し色を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於いて何か有らん。」
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孟子・梁惠王章句下莊暴、孟子に見えて、曰く、「暴、王に見ゆ。王、暴に語ぐるに樂を好むを以てす。暴未だ以て對うる有らざるなり。」曰く、「樂を好むこと何如。」孟子曰く、「王の樂を好むこと甚しければ、則ち齊國は其れ庶幾からんか。」他日、王に見えて曰く、「王嘗て莊子に語ぐるに樂を好むを以てすと。諸れ有るか。」王色を變じて曰く、「寡人能く先王の樂を好むに非ざるなり。直だ世俗の樂を好むのみ。」曰く、「王の樂を好むこと甚しければ、則ち齊は其れ庶幾からんか。今の樂は猶ほ古の樂のごときなり。」曰く、「聞くことを得可きか。」曰く、「獨り樂を樂しむと、人と樂を樂しむと、孰れか樂しき。」曰く、「人と與にするに若かず。」曰く、「少と與に樂を樂しむと、衆と與に樂を樂しむと、孰れか樂しき。」曰く、「衆と與にするに若かず。」「臣請う、王の為に樂しみを言わん。今、王、此に鼓樂せんに、百姓、王の鐘鼓の聲・管籥(カン・ヤク)の音を聞き、舉(みな)首を疾ましめ頞(アツ)を蹙(しかめる)めて、相告げて曰く、『吾が王の鼓樂を好む、夫れ何ぞ我をして此の極に至らしむるや。父子相見ず、兄弟妻子離散す。』今、王此に田獵せんに、百姓、王の車馬の音を聞き、羽旄(ウ・ボウ)の美を見て、舉首を疾ましめ頞を蹙めて相告げて曰く、『吾が王の田獵を好む、夫れ何ぞ我をして此の極に至らしむるや。父子相見ず、兄弟妻子離散す。』此れ他無し、民と樂を同じくせざればなり。今、王此に鼓樂せんに、百姓、王の鐘鼓の聲、管籥の音を聞き、舉欣欣然として喜色有りて、相告げて曰く、『吾が王、疾病無きに庶幾からんか。何を以て能く鼓樂せんや。』今、王此に田獵せんに、百姓、王の車馬の音を聞き、羽旄の美を見て、舉欣欣然として喜色有りて、相告げて曰く、『吾が王、疾病無きに庶幾からんか。何を以て能く田獵せんや。』此れ他無し、民と樂を同じうすればなり。今、王、百姓と樂同じうすれば、則ち王たらん。」
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『童子問』卷中問ふ。唐の太宗礼楽に言及するに、房・杜愧づる色有る者は、何ぞや。曰く、是れ王道の難きを知りて、王道の易きを知らざるなり。孟子曰く、明君は民の産を制し、必ず仰いでは以て父母に事ふるに足り、俯しては以て妻子を畜ふに足り、楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしむ。然る後に駆りて善に之かしむ。故に民の之に従ふや軽し、と。蓋し礼は節倹に生じ、楽は有余に成る。先王の世、家給し財阜にして、民安く俗醇なり。晨より夕に至り、春より冬に至るまで、民心和洽すること、猶ほ正月の吉のごとし。被服儀を具へ、觶を挙げて寿を上り、各万歳を祝し、一家熙熙として、頓に窮歳の労を忘る。礼楽安んぞ興らざるを得んや。故に孟子王道を論ずるに、必ず民の産を制するを以て先と為す。房・杜是を之れ求めずして、漫りに望洋の心を生ず。故に愧づる色有り。孟子を知らざるが故なり。
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孟子・梁惠王章句下齊の宣王、孟子を雪宮に見る。王曰く、「賢者も亦た此の樂しみ有るか。」孟子對えて曰く、「有り。人得ざれば、則ち其の上を非る。得ずして其の上を非る者は、非なり。民の上と為りて、民と樂を同じくせざる者も、亦た非なり。民の樂しみを樂しむ者は、民も亦た其の樂しみを樂しむ。民の憂いを憂うる者は、民も亦た其の憂いを憂う。樂しむに天下を以てし、憂うるに天下を以てす。然り而して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり。昔者、齊の景公、晏子に問いて曰く、『吾、轉附朝儛を觀し、海に遵(したがう)いて南し、琅邪に放(いたる)らんと欲す。吾何を脩めて以て先王の觀に比す可きや。』晏子對えて曰く、『善きかな問いや。天子、諸侯に適くを巡狩と曰う。巡狩とは、守る所を巡るなり。諸侯、天子に朝するを述職と曰う。述職とは、職とする所を述ぶるなり。事に非ざる者無し。春は耕すを省みて足らざるを補い、秋は斂(おさめる)むるを省みて給(たる)らざるを助く。夏の諺に曰う、吾王遊ばずんば、吾何を以て休せん。吾王豫せずんば、吾何を以て助からん、と。一遊一豫、諸侯の度と為らん。今や然らず。師行きて糧食す。飢うる者は食わず、勞する者は息わず。睊睊(ケン・ケン)として胥(「相」の意)い讒り、民乃ち慝を作す。命を方(はなつ)ち民を虐げ、飲食流るるが若く、流連荒亡、諸侯の憂いと為る。流れに從いて下り、而して反るを忘る、之れを流と謂う。流れに從いて上り、而して反りを忘る、之を連と謂う。獸に從いて厭く無き、之を荒と謂う。酒を樂しみて厭く無き、之を亡と謂う。先王には流連の樂しみ、荒亡の行い無かりき。惟だ君の行う所のままなり。』景公說び、大いに國を戒め、出でて郊に舍す。是に於て始めて興發し不足を補う。大師を召して曰く、『我が為に君臣相說ぶの樂を作れ。』蓋し徴招・角招、是れなり。其の詩に曰く、『君を畜する何ぞ尤めん』君を畜すとは、君を好するなり。」
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孟子・梁惠王章句上之を御がんや。』」斉の宣王問ひて曰く、「斉桓・晋文の事、聞くことを得可きか。」孟子対へて曰く、「仲尼の徒、桓・文の事を道ふ者無し。是を以て後世伝ふること無し。臣未だ之を聞かざるなり。以む無くんば、則ち王か。」曰く、「徳何如なれば、則ち以て王たる可き。」曰く、「民を保んじて王たらば、之を能く禦ぐ莫きなり。」曰く、「寡人の若き者も、以て民を保んず可きか。」曰く、「可なり。」曰く、「何に由りて吾が可なるを知るや。」曰く、「臣之を胡齕に聞けり。曰く、王堂上に坐す。牛を牽きて堂下を過ぐる者有り。王之を見て曰く、『牛何くにか之く。』対へて曰く、『将に以て鐘に釁らんとす。』王曰く、『之を舎け。吾其の觳觫として、罪無くして死地に就くが若きに忍びず。』対へて曰く、『然らば則ち鐘に釁ることを廃せんか。』曰く、『何ぞ廃す可けんや。羊を以て之に易へよ。』と。識らず諸れ有りや。」曰く、「之有り。」曰く、「是の心以て王たるに足れり。百姓は皆王を以て愛めりと為すも、臣は固より王の忍びざるを知るなり。」王曰く、「然り。誠に百姓なる者有り。斉国褊小なりと雖も、吾何ぞ一牛を愛まん。即ち其の觳觫として、罪無くして死地に就くが若きに忍びず、故に羊を以て之に易へしなり。」曰く、「王、百姓の王を以て愛めりと為すを異しむこと無かれ。小を以て大に易ふ、彼悪くんぞ之を知らん。王若し其の罪無くして死地に就くを隠まば、則ち牛羊何ぞ択ばん。」王笑ひて曰く、「是れ誠に何の心ぞや。我其の財を愛みて之に易ふるに羊を以てせしに非ざるなり。宜なるかな百姓の我を愛めりと謂ふや。」曰く、「傷む無きなり。是れ乃ち仁術なり。牛を見て未だ羊を見ざればなり。君子の禽獣に於けるや、其の生けるを見ては、其の死するを見るに忍びず。其の声を聞きては、其の肉を食ふに忍びず。是を以て君子は庖廚を遠ざくるなり。」王説びて曰く、「詩に云ふ、『他人心有り、予之を忖度す』と。夫子の謂なり。夫れ我乃ち之を行ひ、反りて之を求むれども、吾が心を得ず。夫子之を言ひて、我が心に於て戚戚焉たる有り。此の心の王に合ふ所以の者は、何ぞや。」
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『童子問』卷中問ふ。然らば則ち王道は欲を戒めざるか。曰く、否。書に曰く、礼を以て心を制し、義を以て事を制す、と。孟子曰く、君子は仁を以て心に存し、礼を以て心に存す、と。苟も礼義以て之を裁する有れば、則ち情即ち是れ道、欲即ち是れ義、何の悪むことか之れ有らん。苟も礼義以て之を裁する無くして、特に愛を断ち欲を滅せんと欲すれば、則ち是れ枉を矯めて直に過ぐ。藹然たる至情、一斉に絶滅し、将に形骸を亡ぼし耳目を塞ぎて後に止まんとす。此れ人人の能く為す所に非ずして、天下に通ずるの道に非ず。故に聖人は為さざるなり。大凡天下国家の治に補ひ無く、人倫日用の道に裨け無き者は、皆之を邪説暴行と謂ふ。仏老の学、後世禅儒の高遠隠微の説のごとき、是れなり。
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