童子問 / 卷中
問。近時諸儒。經濟之書。亦足以發明王道歟。曰。知其要者。言必約。其言多者。必不知要。所謂要言不煩。是也。若馬氏通考。丘氏衍義補。馮氏類編。章氏圖書編。其書皆數百卷。此其適所以不識王道也。大學治國平天下章。中庸哀公問政章。其言皆不過數百字。而王道之旨包括無遺。得其要也。孟子一部。其論王道。橫說豎說。千變萬化。皆從一仁字紬繹來。可謂約而盡矣。非實知堯舜孔子之道者。豈能然乎。苟讀孟子。而不識王道。所謂雖多亦奚以爲者也。
新字:問。近時諸儒。経済之書。亦足以発明王道歟。曰。知其要者。言必約。其言多者。必不知要。所謂要言不煩。是也。若馬氏通考。丘氏衍義補。馮氏類編。章氏図書編。其書皆数百巻。此其適所以不識王道也。大学治国平天下章。中庸哀公問政章。其言皆不過数百字。而王道之旨包括無遺。得其要也。孟子一部。其論王道。横説豎説。千変万化。皆従一仁字紬繹来。可謂約而尽矣。非実知堯舜孔子之道者。豈能然乎。苟読孟子。而不識王道。所謂雖多亦奚以為者也。
書き下し
問ふ。近時諸儒の経済の書も、亦以て王道を発明するに足るか。曰く、其の要を知る者は、言必ず約なり。其の言多き者は、必ず要を知らず。所謂要言煩ならず、是れなり。馬氏の通考、丘氏の衍義補、馮氏の類編、章氏の図書編のごとき、其の書皆数百巻、此れ其の適に王道を識らざる所以なり。大学の治国平天下の章、中庸の哀公問政の章、其の言皆数百字に過ぎずして、王道の旨包括して遺す無し。其の要を得ればなり。孟子一部、其の王道を論ずる、横説竪説、千変万化、皆一の仁の字より紬繹し来たる。約にして尽くすと謂ふべし。実に堯舜孔子の道を知る者に非ずんば、豈に能く然らんや。苟も孟子を読みて、王道を識らずんば、所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふ者なり。
現代語訳
問う。近ごろの儒者たちの経世済民の書物も、王道を明らかにするのに足りるか。答える。要点を知る者は、言葉が必ず簡潔である。言葉の多い者は、必ず要点を知らない。いわゆる「要を得た言葉は煩わしくない」というのがこれである。馬端臨の文献通考、丘濬の大学衍義補、馮琦の類編、章潢の図書編のような書物は、いずれも数百巻もあるが、これこそがまさに王道を知らない証拠である。大学の治国平天下の章や中庸の哀公問政の章は、言葉がいずれも数百字にすぎないのに、王道の趣旨を余すところなく包み込んでいる。要点をつかんでいるからである。孟子一部が王道を論じるのは、縦横に説き、千変万化しながら、みな仁の一字から糸を引き出すように展開している。簡潔でいて言い尽くしていると言うべきである。本当に堯舜孔子の道を知る者でなければ、どうしてこのようにできようか。もし孟子を読んで王道を知らないならば、いわゆる「多く知っていても何の役に立とうか」というものである。
解説
この章句が説くこと
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『格言聯璧』學問類・萬物一體、之を仁と謂ふ忠を竭し孝を盡す、之を人と謂ふ。國を治め邦を經む、之を學と謂ふ。 危を安んじ變を定む、之を才と謂ふ。天を經とし地を緯とす、之を文と謂ふ。 霽月光風、之を度と謂ふ。萬物一體、之を仁と謂ふ。 心術を以て本根と爲し、倫理を以て楨幹と爲し、學問を以て菑畬と爲し、文章を以て花萼と爲し、事業を以て結實と爲し、書史を以て園林と爲し、歌詠を以て鼓吹と爲し、義理を以て膏粱と爲し、著述を以て文繡と爲し、誦讀を以て耕耘と爲し、記問を以て居積と爲し、前言往行を以て師友と爲し、忠信篤敬を以て修持と爲し、作善降祥を以て受用と爲し、樂天知命を以て依歸と爲す。
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『童子問』卷上問ふ、南軒張子、論語中の仁を言ふ諸章を類聚して一編と為し、名づけて洙泗言仁録と曰ふ。当れるか。曰く、然らず。魯論二十篇、頭より尾に至るまで、一言として仁に非ざる無し。南軒は唯仁を言ふ処の仁為るを知りて、仁を言はざる処も亦総て是れ仁なることを知らず。大伝に固より言ふ、「仁者は之を見て之を仁と謂ひ、智者は之を見て之を智と謂ふ。百姓は日に用ひて知らず。故に君子の道鮮し」と。然れども仁は徳の長なり。学仁に至れば、則ち衆徳合湊す。故に子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ。仁其の中に在り」と。夫れ博学篤志、切問近思は、皆学問の事なり。子夏何を以て仁其の中に在りと言ふや。蓋し仁は聖門学問の宗旨にして、仁の外に所謂学問なる者無きなり。諸老先生皆理に依りて之を解す。仁の義を去ること益々遠し。
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『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下親仁とは、善人に親み近づくを云ふ。汎く諸人を愛して、其内にて、とりわき、善人をば親むべし。善人を親めば、善事を見習ひ聞きならひ、又其諫を受け、我が過を聞きて改むるの益あり。此六事は、人の子となり弟となる者の、身を修め人に交る道なり。勤め行ふべし。行つて余力あれば則用ひて学文とは、余力はひまなり。上に見えたる孝弟以下六事を勤め行ひて、其ひまには、又古の聖人の書を読んで、人の道を学ぶべし。いかに聰明なりとも、聖人の教を学ばざれば、道理に通ぜず、身を修め人に交る道を知らずして、過多し。故に必古のふみを学んで、其道を知るべし。是則身を修め道を行ふ助なり。次には日用に助ある六芸をも学ぶべし。聖人の経書を読み、芸を学ぶは、すべて是文を学ぶなり。
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