和俗童子訓 / 巻之二・総論下
親仁とは、善人に親み近づくを云ふ。汎く諸人を愛して、其内にて、とりわき、善人をば親むべし。善人を親めば、善事を見習ひ聞きならひ、又其諫を受け、我が過を聞きて改むるの益あり。此六事は、人の子となり弟となる者の、身を修め人に交る道なり。勤め行ふべし。行つて餘力あれば則用ひて學文とは、餘力はひまなり。上に見えたる孝弟以下六事を勤め行ひて、其ひまには、又古の聖人の書を讀んで、人の道を學ぶべし。いかに聰明なりとも、聖人の敎を學ばざれば、道理に通ぜず、身を修め人に交る道を知らずして、過多し。故に必古のふみを學んで、其道を知るべし。是則身を修め道を行ふ助なり。次には日用に助ある六藝をも學ぶべし。聖人の經書を讀み、藝を學ぶは、すべて是文を學ぶなり。
新字:親仁とは、善人に親み近づくを云ふ。汎く諸人を愛して、其内にて、とりわき、善人をば親むべし。善人を親めば、善事を見習ひ聞きならひ、又其諫を受け、我が過を聞きて改むるの益あり。此六事は、人の子となり弟となる者の、身を修め人に交る道なり。勤め行ふべし。行つて余力あれば則用ひて学文とは、余力はひまなり。上に見えたる孝弟以下六事を勤め行ひて、其ひまには、又古の聖人の書を読んで、人の道を学ぶべし。いかに聰明なりとも、聖人の教を学ばざれば、道理に通ぜず、身を修め人に交る道を知らずして、過多し。故に必古のふみを学んで、其道を知るべし。是則身を修め道を行ふ助なり。次には日用に助ある六芸をも学ぶべし。聖人の経書を読み、芸を学ぶは、すべて是文を学ぶなり。
書き下し
親仁とは、善人に親み近づくを云ふ。汎く諸人を愛して、其内にて、とりわき、善人をば親むべし。善人を親めば、善事を見習ひ聞きならひ、又其諫を受け、我が過を聞きて改むるの益あり。此六事は、人の子となり弟となる者の、身を修め人に交る道なり。勤め行ふべし。行つて余力あれば則用ひて学文とは、余力はひまなり。上に見えたる孝弟以下六事を勤め行ひて、其ひまには、又古の聖人の書を読んで、人の道を学ぶべし。いかに聰明なりとも、聖人の教を学ばざれば、道理に通ぜず、身を修め人に交る道を知らずして、過多し。故に必古のふみを学んで、其道を知るべし。是則身を修め道を行ふ助なり。次には日用に助ある六芸をも学ぶべし。聖人の経書を読み、芸を学ぶは、すべて是文を学ぶなり。
現代語訳
「仁に親しむ」とは、善人に親しみ近づくことを言います。広く多くの人を愛して、その中でも特に善人には親しみなさい。善人に親しめば、善いことを見習い聞き習い、またその諫めを受け、自分の過ちを聞いて改めるという益があります。この六つのことは、人の子となり弟となる者が、身を修め人と交わる道です。勤め行いなさい。「行ひて余力あらば、則ち以て文を学ぶ」とは、余力とは暇のことです。上に見た孝弟以下の六つのことを勤め行って、その暇には、また古えの聖人の書を読んで、人の道を学びなさい。どれほど聡明でも、聖人の教えを学ばなければ、道理に通じず、身を修め人と交わる道を知らずに過ちが多くなります。ですから必ず古えの書を学んで、その道を知りなさい。これがすなわち身を修め道を行う助けです。次には、日々の用に助けとなる六芸も学びなさい。聖人の経書を読み、芸を学ぶことは、すべて「文を学ぶ」ことなのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『格言聯璧』學問類・萬物一體、之を仁と謂ふ忠を竭し孝を盡す、之を人と謂ふ。國を治め邦を經む、之を學と謂ふ。 危を安んじ變を定む、之を才と謂ふ。天を經とし地を緯とす、之を文と謂ふ。 霽月光風、之を度と謂ふ。萬物一體、之を仁と謂ふ。 心術を以て本根と爲し、倫理を以て楨幹と爲し、學問を以て菑畬と爲し、文章を以て花萼と爲し、事業を以て結實と爲し、書史を以て園林と爲し、歌詠を以て鼓吹と爲し、義理を以て膏粱と爲し、著述を以て文繡と爲し、誦讀を以て耕耘と爲し、記問を以て居積と爲し、前言往行を以て師友と爲し、忠信篤敬を以て修持と爲し、作善降祥を以て受用と爲し、樂天知命を以て依歸と爲す。
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『五常訓』巻之三・仁之下一程子の言に、聖賢の仁をいへる処をあつめて見ば、仁を知り得んといへり。今の学者、仁を知らんとならば、孔孟程朱の仁を説き給へる言を、数年の間、心をひそめて、求め味ふべし。急迫にすべからず。誠積み力久しくば、自然に其理を知るべし。若然らずば、聰明博学の人といへども、仁をば知りがたかるべし。
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『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
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『童子問』卷上問ふ、南軒張子、論語中の仁を言ふ諸章を類聚して一編と為し、名づけて洙泗言仁録と曰ふ。当れるか。曰く、然らず。魯論二十篇、頭より尾に至るまで、一言として仁に非ざる無し。南軒は唯仁を言ふ処の仁為るを知りて、仁を言はざる処も亦総て是れ仁なることを知らず。大伝に固より言ふ、「仁者は之を見て之を仁と謂ひ、智者は之を見て之を智と謂ふ。百姓は日に用ひて知らず。故に君子の道鮮し」と。然れども仁は徳の長なり。学仁に至れば、則ち衆徳合湊す。故に子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ。仁其の中に在り」と。夫れ博学篤志、切問近思は、皆学問の事なり。子夏何を以て仁其の中に在りと言ふや。蓋し仁は聖門学問の宗旨にして、仁の外に所謂学問なる者無きなり。諸老先生皆理に依りて之を解す。仁の義を去ること益々遠し。
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『初学訓』巻之三一人となりては、稚き時より、其父兄となる人は、其子弟に、書を読ませ、道を学ばしむべし。学問の道は他なし、只道を知りて、善悪を明らかにわかち、善を行ひ悪を去るにあり。故に、君子の学問は、仁心を保ち、つねに善を行ふを宗とす。善を行はざれば、博学にして経伝に明らかなるも、無用のことなり。大人は、善を行へば、其ほどこしひろし。然れども、極めて賤しき乞丐といへども、善を行ふに志あれば、其分に随ひて、其功多し。故に、学問する人は、只つねに善をするに志ありて、日々、善を行ふをつとめとすべし。
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『童子問』卷上問ふ、先生曰く、文を学ばざれば則ち其の智必ず偏ると。然れども仏氏は不立文字を説き、近世王氏の学も、亦た読書・講義理を以て非と為す。彼皆非なるかと。曰く、規矩は方円の至りなり。至当は道の極なり。能く天下の知り難き所を知り、能く天下の行ひ難き所を行ふと雖も、然れども纔かに至当を失へば、則ち全体皆非なり。妙智は得易く、卓行は為し易し。唯だ至当を得るを難しと為す。其の悟り弥高ければ、其の偏り弥甚だし。故に君子読書窮理して、多く前言往行を蓄ふる者は、徒らに天下の道理を窮め尽くさんと欲するに非ず。蓋し天下の至当を得て止まらんと欲するなり。苟も学問に従事すれば、則ち高き者は俯し、卑き者は企て、軒き者は低れ、軽き者は昂がり、皆其の平らかなるを得て而る後に止む。豈に空虚に騖せ意の好みに任せて其の独智を恣にする者の能く及ぶ所ならんや。故に孔子曰く、仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞。勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂と。夫れ仁の徳は大なり、智の道は深し。然れども学びて以て之を照らさざれば、則ち猶ほ其の蔽有り。故に天下学問の功より大なるは莫く、亦た学問の道より貴きは莫きなり。
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