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童子問 / 卷中

問。孟子以仁義爲宗旨。而又屢談王道者。何哉。曰。王道卽仁義。非仁義之外復有王道也。孟子曰。以德行仁者王。又曰仁者無敵。又曰。先王有不忍人之心。斯有不忍人之政矣。以不忍人之心。行不忍人之政。治天下可運之掌上。是也。王道雖固不出仁義兩者。然約而論之。則一仁字盡之矣。荀子所謂粹而王。駁而覇。及諸儒有盡天理之極。而無一毫人欲之私等論。皆議論可聞。而非實知王道者也。不善讀孟子故也。

新字:問。孟子以仁義為宗旨。而又屡談王道者。何哉。曰。王道即仁義。非仁義之外復有王道也。孟子曰。以徳行仁者王。又曰仁者無敵。又曰。先王有不忍人之心。斯有不忍人之政矣。以不忍人之心。行不忍人之政。治天下可運之掌上。是也。王道雖固不出仁義両者。然約而論之。則一仁字尽之矣。荀子所謂粋而王。駁而覇。及諸儒有尽天理之極。而無一毫人欲之私等論。皆議論可聞。而非実知王道者也。不善読孟子故也。

書き下し

問ふ。孟子は仁義を以て宗旨と為して、又屢王道を談ずるは、何ぞや。曰く、王道は即ち仁義なり。仁義の外に復た王道有るに非ざるなり。孟子曰く、徳を以て仁を行ふ者は王たり、と。又曰く、仁者は敵無し、と。又曰く、先王人に忍びざるの心有りて、斯に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上に運らすべし、と。是れなり。王道は固より仁義の両者を出でずと雖も、然れども約して之を論ずれば、則ち一の仁の字之を尽くす。荀子の所謂粋にして王たり、駁にして覇たり、及び諸儒の、天理の極を尽くして、一毫人欲の私無し、有る等の論、皆議論聞くべくして、実に王道を知る者に非ざるなり。善く孟子を読まざるが故なり。

現代語訳

問う。孟子は仁義を宗旨としながら、たびたび王道を論じるのはなぜか。答える。王道とは仁義のことである。仁義のほかに別に王道があるのではない。孟子は「徳によって仁を行う者が王者となる」と言い、また「仁者には敵がない」と言い、また「先王は人の不幸を見過ごせない心があって、そこで人の不幸を見過ごせない政治があった。人の不幸を見過ごせない心で、人の不幸を見過ごせない政治を行えば、天下を治めることは手のひらの上で転がすようにたやすい」と言った。これである。王道はもとより仁義の二つから出ないが、要約して論じれば、仁の一字で言い尽くせる。荀子のいう「純粋であれば王者、雑じれば覇者」や、諸儒の「天理の極みを尽くして一毫の人欲の私もない」などの論は、みな議論としては聞くべきものだが、実際に王道を知る者ではない。孟子をよく読んでいないからである。

解説

仁斎にとって王道は、仁義と別の政治理論ではなく、仁義を天下に及ぼしたものにすぎない。さらに要約すれば仁の一字に尽きるという。根拠として孟子の「人に忍びざるの心」から「人に忍びざるの政」へという一節が引かれる。苦しむ人を見過ごせない心がそのまま政治になれば天下はたやすく治まるという見方に、王道を特別な修養の果てに置かない立場が表れている。一方で、荀子の粋駁論や「天理の極を尽くし人欲の私なし」という宋儒の定式は、王道の実を知らないと退ける。組織を率いる立場でも、高尚な理念より、目の前の人の痛みを放っておけない心を政策や制度に移すことが王道の出発点になる。

この章句が説くこと

王道仁仁義不忍人之心孟子政治

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