童子問 / 卷中
問。仁義爲孔孟學問之宗旨者。何哉。曰。孟子之書。述論語之旨者也。而仁義二字。是開卷第一義。七篇之書。言言句句。莫非說仁義之功也。其言性善者。明仁義之實有於己也。言浩然之氣者。論仁義之功用也。千言萬語雖至多端。莫不總括於仁義二字。自親親充之。而至朋友鄕黨所識疎薄之人。慈愛之心。周遍浹洽。無所不底。而無一毫殘忍忮害之念者。謂之仁。自一取舍間充之。而辨別分明。苟非其義。則祿之以天下。而不顧者。謂之義。他卓行偉績。雖有可取。然少於仁有闕焉。則皆不足爲德。於義有欠。亦不足稱之。智者。知斯二者而不去。是也。禮者。節文斯二者。是也。皆仁義之推也。仁義之所以爲孔孟學問之宗旨者。以此也。
新字:問。仁義為孔孟学問之宗旨者。何哉。曰。孟子之書。述論語之旨者也。而仁義二字。是開巻第一義。七篇之書。言言句句。莫非説仁義之功也。其言性善者。明仁義之実有於己也。言浩然之気者。論仁義之功用也。千言万語雖至多端。莫不総括於仁義二字。自親親充之。而至朋友郷党所識疎薄之人。慈愛之心。周遍浹洽。無所不底。而無一毫残忍忮害之念者。謂之仁。自一取舎間充之。而弁別分明。苟非其義。則禄之以天下。而不顧者。謂之義。他卓行偉績。雖有可取。然少於仁有闕焉。則皆不足為徳。於義有欠。亦不足称之。智者。知斯二者而不去。是也。礼者。節文斯二者。是也。皆仁義之推也。仁義之所以為孔孟学問之宗旨者。以此也。
書き下し
問ふ。仁義を孔孟学問の宗旨と為すは、何ぞや。曰く、孟子の書は、論語の旨を述ぶる者なり。而して仁義の二字は、是れ開巻第一義なり。七篇の書、言言句句、仁義の功を説くに非ざるは莫し。其の性善を言ふは、仁義の実に己に有るを明らかにするなり。浩然の気を言ふは、仁義の功用を論ずるなり。千言万語至つて多端なりと雖も、仁義の二字に総括せざるは莫し。親を親しむより之を充てて、朋友・郷党・識る所の疎薄の人に至り、慈愛の心、周遍浹洽して、底らざる所無く、而して一毫残忍忮害の念無き者、之を仁と謂ふ。一取舎の間より之を充てて、辨別分明、苟も其の義に非ざれば、則ち之に禄するに天下を以てすとも顧みざる者、之を義と謂ふ。他の卓行偉績、取るべき有りと雖も、然れども少しく仁に於て闕くること有れば、則ち皆徳と為すに足らず。義に於て欠くこと有れば、亦之を称するに足らず。智とは、斯の二者を知りて去らざる、是れなり。礼とは、斯の二者を節文する、是れなり。皆仁義の推なり。仁義の孔孟学問の宗旨たる所以は、此を以てなり。
現代語訳
問う。仁義を孔孟の学問の宗旨とするのはなぜか。答える。孟子の書は論語の趣旨を述べたものである。そして仁義の二字は、巻を開いて第一に掲げられる大義である。七篇の書は、一言一句、仁義の働きを説かないものはない。性善を言うのは、仁義が実際に自分に備わっていることを明らかにするためであり、浩然の気を言うのは、仁義の働きを論じたものである。千言万語、きわめて多岐にわたるといっても、仁義の二字にまとめられないものはない。親を親しむことから押し広げて、友人や郷里の人、知り合いの疎遠な人にまで至り、慈しみ愛する心がすみずみまで行き渡り、届かないところがなく、ほんのわずかも残忍で人を害する思いがないもの、これを仁という。一つの取るか捨てるかの判断から押し広げて、けじめがはっきりし、かりにも義にかなわなければ、天下を禄として与えられても見向きもしないもの、これを義という。ほかの卓越した行いや偉大な業績は、取るべきところがあっても、少しでも仁に欠けるところがあれば徳とするには足りず、義に欠けるところがあれば、これまたほめるに足りない。智とはこの二つを知って離れないことであり、礼とはこの二つをほどよく節して形にすることである。みな仁義を推し広げたものである。仁義が孔孟の学問の宗旨である理由はここにある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
-
『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
-
司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
-
『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・義に過ぐれば固くなる而して又たここに予の、更に此問題に就きて一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げんか。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而してひとり、造物主に対して甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も、君王をして能く此れより免れしむること能はず』と。仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べきか。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るるは、人の深く戒むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。仁は美はしくて又た遍し。
-
司馬法・仁本古者(いにしえ)は仁を以て本と為し、義を以てこれを治め、これを治めて正と為す。
-
『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る