童子問 / 卷中
問。然則。仁義重於中歟。曰然。學問莫貴於仁義。而存仁義。莫要於禮。故論語言禮。而不言中。顏淵問仁。子曰。克己復禮爲仁。又曰。君子博學於文。約之以禮。亦可以弗畔矣夫。又曰。恭而無禮則勞。愼而無禮則葸。勇而無禮則亂。直而無禮則絞。是皆孔門敎人切要之言。萬世學問之規矩準繩。所謂至當歸一。精義無二者也。蓋唐虞之時。敎法未詳。其所行莫非仁義。而未有仁義之目。故曰。允執其中。及至孔孟。專以仁義爲敎。而以禮爲要。中猶無星之秤。禮猶秤之量物。中有泛然難據之患。而禮有秩然可執之則。禮雖本由仁義而生。又有能存仁義之功。所以夫子常以禮敎人。而不言中也。
新字:問。然則。仁義重於中歟。曰然。学問莫貴於仁義。而存仁義。莫要於礼。故論語言礼。而不言中。顔淵問仁。子曰。克己復礼為仁。又曰。君子博学於文。約之以礼。亦可以弗畔矣夫。又曰。恭而無礼則労。慎而無礼則葸。勇而無礼則乱。直而無礼則絞。是皆孔門教人切要之言。万世学問之規矩準縄。所謂至当帰一。精義無二者也。蓋唐虞之時。教法未詳。其所行莫非仁義。而未有仁義之目。故曰。允執其中。及至孔孟。専以仁義為教。而以礼為要。中猶無星之秤。礼猶秤之量物。中有泛然難拠之患。而礼有秩然可執之則。礼雖本由仁義而生。又有能存仁義之功。所以夫子常以礼教人。而不言中也。
書き下し
問ふ。然らば則ち仁義は中より重きか。曰く、然り。学問は仁義より貴きは莫く、而して仁義を存するは、礼より要なるは莫し。故に論語は礼を言ひて、中を言はず。顔淵仁を問ふ。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す、と。又曰く、君子博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦以て畔かざるべきか、と。又曰く、恭にして礼無ければ則ち労す。慎にして礼無ければ則ち葸す。勇にして礼無ければ則ち乱す。直にして礼無ければ則ち絞す、と。是れ皆孔門の人を教ふる切要の言にして、万世学問の規矩準縄、所謂至当一に帰し、精義二無き者なり。蓋し唐虞の時は、教法未だ詳らかならず。其の行ふ所、仁義に非ざるは莫くして、未だ仁義の目有らず。故に曰く、允に其の中を執れ、と。孔孟に至るに及びて、専ら仁義を以て教と為して、礼を以て要と為す。中は猶ほ星無きの秤のごとく、礼は猶ほ秤の物を量るがごとし。中には泛然として拠り難きの患ひ有り、而して礼には秩然として執るべきの則有り。礼は本仁義に由りて生ずと雖も、又能く仁義を存するの功有り。夫子常に礼を以て人を教へて、中を言はざる所以なり。
現代語訳
問う。それならば仁義は中より重いのか。答える。そのとおりである。学問において仁義より貴いものはなく、仁義を保つには礼より大切なものはない。だから論語は礼を言って中を言わない。顔淵が仁を問うと、孔子は「己に克って礼に立ち返ることを仁とする」と答えた。また「君子が広く文を学び、礼によってそれを引き締めれば、道に背かずにすむであろう」と言い、また「恭しくても礼がなければ疲れるだけであり、慎み深くても礼がなければいじけてしまい、勇敢でも礼がなければ乱を起こし、まっすぐでも礼がなければ人を締めつける」と言った。これらはみな孔門が人を教えた切実な言葉であり、万世の学問の規矩準縄、いわゆる至当は一に帰し精義に二つはないというものである。思うに堯舜の時代には教えの方法がまだ詳しくなく、行うことはすべて仁義であったが、仁義という名目はまだなかった。だから「まことにその中を執れ」と言ったのである。孔子・孟子に至って、もっぱら仁義を教えとし、礼をその要とした。中は目盛りのない秤のようなもので、礼は秤で物を量るようなものである。中には漠然としてよりどころのない心配があるが、礼には整然として手に取れる規則がある。礼はもともと仁義から生まれたものだが、また仁義を保つ働きもある。孔子がいつも礼によって人を教え、中を言わなかったのはこのためである。
解説
この章句が説くこと
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史記 孔子世家吾は周に従はん」と。故に書伝・礼記は孔氏よりす。孔子魯の大師に語る、「楽は其れ知るべきなり。始め作すに翕如たり、之を縦てば純如たり、皦如たり、繹如たり、以て成る」と。「吾衛より魯に反り、然る後に楽正しく、雅頌各々其の所を得たり」と。古者詩三千余篇、孔子に至るに及び、其の重なるを去り、礼義に施すべきを取り、上は契・后稷を采り、中は殷周の盛んなるを述べ、幽厲の缺くるに至る、衽席に始まる、故に曰く「関雎の乱以て風の始めと為し、鹿鳴を小雅の始めと為し、文王を大雅の始めと為し、清廟を頌の始めと為す」と。三百五篇孔子皆之を弦歌し、以て韶武雅頌の音に合はんことを求む。礼楽此より得て述ぶべく、以て王道を備へ、六芸を成す。孔子晩にして易を喜み、彖・繫・象・説卦・文言を序す。易を読み、韋編三たび絶つ。曰く、「我に数年を仮さば、是くの若くして、我易に於て則ち彬彬たらん」と。孔子詩書礼楽を以て教ふ、弟子蓋し三千、身六芸に通ずる者七十有二人。顔濁鄒の徒の如き、頗る業を受くる者甚だ衆し。孔子四を以て教ふ、文・行・忠・信。四を絶つ、意毋く、必毋く、固毋く、我毋し。慎む所は、斉・戦・疾。子罕に利と命と仁とを言ふ。憤せざれば啓せず、一隅を挙げて三隅を以て反さざれば、則ち復たせざるなり。其の郷党に於ては、恂恂として言ふ能はざる者に似たり。其の宗廟朝廷に於ては、辯辯として言ふ、唯謹むのみ。朝にて、上大夫と言ふには、誾誾如たり。下大夫と言ふには、侃侃如たり。公門に入るには、鞠躬如たり。趨り進むには、翼如たり。君召して儐せしむれば、色勃如たり。君命じて召せば、駕を俟たずして行く。魚餒れ、肉敗れ、割正しからざれば、食はず。席正しからざれば、坐せず。喪有る者の側に食するときは、未だ嘗て飽かざるなり。是の日哭すれば、則ち歌はず。斉衰・瞽者を見れば、童子と雖も必ず変ず。「三人行へば、必ず我が師を得」と。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一学問の道は、師を尊ぶにあり。師尊くして道尊ぶべし。道尊くして民道をうやまふ。故に君として位高しといへども、師をば臣として賤しめず。いにしへ大学にしては、天子にをしふるにも北面せず。師をたつとべばなり。
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孔子家語・致思孔子伯魚に謂いて曰わく、「鯉よ、吾聞く、以て人と終日倦まざる者は、其れ唯だ学のみと。其の容体は観るに足らず、其の勇力は憚るに足らず、其の先祖は称するに足らず、其の族姓は道うに足らず。終わりて大名有り、以て四方に顕聞し、声を後裔に流す者は、豈に学の効に非ずや。故に君子は学ばずんばある可からず。其の容は飭らずんばある可からず、飭らざれば類無く、類無ければ親を失い、親を失えば忠ならず、忠ならざれば礼を失い、礼を失えば立たず。夫れ遠くして光有る者は、飭なり。近くして愈々明らかなる者は、学なり。之を汙池に譬うるに、水潦焉に注ぎ、雚葦焉に生ず。之を観る者有りと雖も、孰か其の源を知らんや。」
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『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
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荀子・勧学篇学は悪くにか始まり、悪くにか終わる。曰く、其の数は則ち経を誦するに始まり、礼を読むに終わる。其の義は則ち士為るに始まり、聖人為るに終わる。真に積み力むること久しければ則ち入る。学は没するに至りて後に止むなり。故に学の数は終わり有るも、其の義の若きは則ち須臾も舎つ可からざるなり。之を為すは人なり、之を舎つるは禽獣なり。故に書は政事の紀なり、詩は中声の止まる所なり、礼は法の大分、類の綱紀なり。故に学は礼に至りて止まる。夫れ是れを之れ道徳の極と謂う。礼の敬文、楽の中和、詩書の博、春秋の微、天地の間に在る者畢くせり。
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『童子問』卷上問ふ、平生論孟を熟読すと雖も、然れども未だ其の要領を得ず。願はくは詳らかに教へられんことを。曰く、可なり。聖門学問の第一字は是れ仁なり。義以て配と為し、礼以て輔と為し、忠信以て之が地と為す。仁の義に与けるや、猶ほ陰の陽に与けるがごとし。故に曰く、義以て配と為すと。相離るることを得ざるを言ふなり。礼は防閑の在る所なり。故に曰く、礼以て輔と為すと。礼に非ざれば則ち以て仁を存すること無きを言ふなり。己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ。乃ち学問の基本なり。故に曰く、忠信以て之が地と為すと。猶ほ屋を造るに基址有るがごとし。是れ其の総要なり。皆夫の仁の徳を成す所以なり。
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