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童子問 / 卷上

孟子所謂放心者。則不然。蓋言放失仁義之良心。而非言此心之昏昧放逸者也。孟子又曰。充無欲害人之心。而仁不可勝用也。充無穿窬之心。而義不可勝用也。與宋儒知專收歛此心。而不以居仁由義爲先務。實天淵矣。若專以收歛此心爲務焉。則淸明寂靜。雖或可觀。然愛根斷喪。適足以牾仁義之良心。是豈孔孟之旨乎哉。故以仁爲性。則論孟二書。總說仁之用。而一無及體者。與退之之知情而不知性之病。奚以異。不思甚也。

新字:孟子所謂放心者。則不然。蓋言放失仁義之良心。而非言此心之昏昧放逸者也。孟子又曰。充無欲害人之心。而仁不可勝用也。充無穿窬之心。而義不可勝用也。与宋儒知専収歛此心。而不以居仁由義為先務。実天淵矣。若専以収歛此心為務焉。則清明寂静。雖或可観。然愛根断喪。適足以牾仁義之良心。是豈孔孟之旨乎哉。故以仁為性。則論孟二書。総説仁之用。而一無及体者。与退之之知情而不知性之病。奚以異。不思甚也。

書き下し

孟子の所謂放心なる者は、則ち然らず。蓋し仁義の良心を放失するを言ひて、此の心の昏昧放逸なる者を言ふに非ざるなり。孟子又曰く、「人を害せんと欲すること無きの心を充たせば、仁勝げて用ふべからざるなり。穿窬すること無きの心を充たせば、義勝げて用ふべからざるなり」と。宋儒の専ら此の心を収斂することを知りて、仁に居り義に由るを以て先務と為さざると、実に天淵なり。若し専ら此の心を収斂するを以て務めと為せば、則ち清明寂静、或いは観るべしと雖も、然れども愛根断喪し、適に以て仁義の良心に牾ふに足る。是れ豈に孔孟の旨ならんや。故に仁を以て性と為せば、則ち論孟二書は、総て仁の用を説きて、一も体に及ぶ者無し。退之の情を知りて性を知らざるの病と、奚を以て異ならん。思はざるの甚だしきなり。

現代語訳

孟子のいう放心とは、そうではない。思うに、仁義の良心を失ってしまうことを言っているのであって、この心が暗く乱れてしまりがないことを言っているのではない。孟子はまた「人を害しようとしない心を充たせば、仁は用いきれないほどになる。壁に穴をあけ垣を越えて盗むことをしない心を充たせば、義は用いきれないほどになる」と言った。宋儒がもっぱらこの心を引き締め収めることだけを知って、仁に居り義に従うことを先務としないのとは、まさに天と淵ほどの違いがある。もしもっぱらこの心を引き締め収めることを務めとすれば、清らかで明るく静寂な境地は、あるいは見るべきものがあっても、愛の根は断ち切られ損なわれ、かえって仁義の良心に背くことになる。どうしてこれが孔子・孟子の趣旨であろうか。だから仁を性とすれば、『論語』『孟子』の二書は、すべて仁の用(はたらき)を説いているだけで、一つも体(本体)に及んだものがないことになる。それでは、韓愈が情を知って性を知らないと言われた病と、どこが違おうか。考えの足りないことはなはだしい。

解説

前半を受け、孟子の「放心」の本当の意味を示して宋儒の修養論を退ける。放心とは仁義の良心を失うことであり、心が散漫になることではない。だから孟子は、人を害さない心、盗まない心を充たし広げよと説いた。心を収め静めることだけに努めれば、清明寂静の境地は得られても、愛の根が断たれて仁義の良心に背くと仁斎は言う。さらに仁を性とすれば論孟は仁の用しか説かない書になり、宋儒自身が韓愈に向けた批判がそのまま跳ね返ると鋭く指摘する。静かな心より、人を思う心を育てることを優先したい。

この章句が説くこと

仁義放心擴充良心孟子

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