五常訓 / 巻之二・仁之上
天地に從ふとは如何にぞや。我が心に生れつきたる仁の德は、是天地より我にさづけ給へる也。こゝを以て、仁を行ふは、卽天地の御心にしたがひて背かざるなり。たとへば主君よりさづけ給へる官職を、よく務むるを以て、君につかふる忠義とするが如し。仁を行ひて、天地のうみて子とし愛し給へる人倫を愛するが、天地につかへ奉る道なり。人倫は五あり、五倫と云ふ。五倫は、わが父子、君臣、夫婦、兄弟、朋友の五品を云ふ。倫は輩なり、類なり。天下の萬民かぎりなしといへど、其類をわかてば、此五に出でず。五倫を愛するは、萬民を愛するなり。萬民は天地の子にて、愛し給ふ所なれば、われ是を愛するは、卽天地の御心にしたがひて、天地につかへ奉る道なり。
新字:天地に従ふとは如何にぞや。我が心に生れつきたる仁の徳は、是天地より我にさづけ給へる也。こゝを以て、仁を行ふは、即天地の御心にしたがひて背かざるなり。たとへば主君よりさづけ給へる官職を、よく務むるを以て、君につかふる忠義とするが如し。仁を行ひて、天地のうみて子とし愛し給へる人倫を愛するが、天地につかへ奉る道なり。人倫は五あり、五倫と云ふ。五倫は、わが父子、君臣、夫婦、兄弟、朋友の五品を云ふ。倫は輩なり、類なり。天下の万民かぎりなしといへど、其類をわかてば、此五に出でず。五倫を愛するは、万民を愛するなり。万民は天地の子にて、愛し給ふ所なれば、われ是を愛するは、即天地の御心にしたがひて、天地につかへ奉る道なり。
書き下し
天地に従ふとは如何にぞや。我が心に生れつきたる仁の徳は、是天地より我にさづけ給へる也。ここを以て、仁を行ふは、即天地の御心にしたがひて背かざるなり。たとへば主君よりさづけ給へる官職を、よく務むるを以て、君につかふる忠義とするが如し。仁を行ひて、天地のうみて子とし愛し給へる人倫を愛するが、天地につかへ奉る道なり。人倫は五あり、五倫と云ふ。五倫は、わが父子、君臣、夫婦、兄弟、朋友の五品を云ふ。倫は輩なり、類なり。天下の万民かぎりなしといへど、其類をわかてば、此五に出でず。五倫を愛するは、万民を愛するなり。万民は天地の子にて、愛し給ふ所なれば、われ是を愛するは、即天地の御心にしたがひて、天地につかへ奉る道なり。
現代語訳
天地にしたがうとはどういうことでしょうか。自分の心に生まれつき備わった仁の徳は、天地から自分に授けられたものです。それゆえ仁を行うのは、すなわち天地の御心にしたがってそむかないことです。たとえば主君から授けられた官職をよく務めることを、君に仕える忠義とするようなものです。仁を行って、天地が生んで子として愛される人々を愛するのが、天地にお仕えする道です。人倫には五つあり、五倫といいます。五倫とは、自分の父子・君臣・夫婦・兄弟・朋友の五つの種類をいいます。倫とは輩、つまり仲間であり、類です。天下の万民は限りないといっても、その類を分ければこの五つを出ません。五倫を愛するのは、万民を愛することです。万民は天地の子であって天地が愛されるものであるから、自分がこれを愛するのは、すなわち天地の御心にしたがって、天地にお仕えする道です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五忠臣孝子の君父に於けるは、譬へば手足の面目を捍ぐが如く然り。毀折に遭ふと雖も懼れず。其の愛する所至りて深きなり。君子の人を愛するや、物我を忘る。故に其の危難の時に方りては、疎遠なりと雖も、救はざること能はず。况や其の至尊至親の者に於てをや。岳武穆の如き、其の君を愛し国を憂ふるの志至りて深く、終に奪ふべからざる者有り。是を以て利害死生を顧みず、讒人の枉陥して死に至ると雖も、其の節操を変ぜず。或るひと謂ふ、此れ明哲保身の道に非ず、進退の機に昧し、と。是れ豈に忠臣義士の心を知る者ならんや。
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『都鄙問答』卷之一・武士ノ道ヲ問ノ段答ふ、実に左もあるべきことかな。樊遅仁を問ふ。子曰く、人を愛す。知を問ふ。人を知る。仁知は大なりといへども、此の二語を以て尽くし玉ふ。文字によらずして、人の暁し易きこそよからん。愚元来不学なれば、幸ひなるかな、心易く汝が身にも備はりたることを以て語るべし。先づ手足は、口のために使はるるなり。如何となれば、口が物を食はねば、手足安穏なること能はず。このゆゑに手足が苦労して、一代口の為に使はるると云へども、少しも不屑らしきことなく、口に忠を尽くして、能く事へまつるものなり。君に事へまつる道も、手足の口に使はるることを法とすべし。臣下の飯と汁は、君より給はる奉禄なり。其の禄なくして、何を以て命をつぐべきや。このゆへに我が身を委ねて、君の身に代はり、
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論語・公冶長篇子張問いて曰く、「令尹子文、三たび仕えて令尹と為るも、喜ぶ色無し。三たび之を已めらるるも、慍る色無し。旧令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如。」子曰く、「忠なり。」曰く、「仁なりや。」曰く、「未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。」「崔子斉君を弑す。陳文子馬十乗有り、棄てて之を違る。他邦に至れば、則ち曰く、『猶お吾が大夫崔子のごときなり』と。之を違る。一邦に之けば、則ち又曰く、『猶お吾が大夫崔子のごときなり』と。之を違る。何如。」子曰く、「清なり。」曰く、「仁なりや。」曰く、「未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。」
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『童子問』卷上問ふ、令尹子文・陳文子は何を以て仁を許されざる。曰く、二子若し管仲の志と才とを有たば、亦当に其の仁を称すべし。子文は身の為に謀らず、人に告ぐるに忠を以てす。文子は能く其の身を潔くして去る。皆観るべきに足る。然れども利沢物に及ぶの功無し。此れ其の忠と清とに止まる所以なり。
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『童子問』卷上問ふ、朱子以謂へらく、子文・文子の仁為ることを得ざるは、是れ理に当たりて私心無きこと能はざればなりと。如何。曰く、然らず。藉令ひ二子の行事理に当たりて私心無くとも、亦只だ是れ忠と清とのみ。管仲の若きは、未だ其の事全く理に当たり、而して心果たして私無きを見ずと雖も、然れども夫子其の仁を称する者は、蓋し民其の賜を受くるを以てなり。理に当たりて私心無きを以て仁を解するは、是れ所謂其の説を得ずして、従りて之が辞を為す者にして、仁の義を去ること益々遠し。若し其の説の如くんば、則ち唯に仁為ることを得ざるのみならず、而も亦且つ忠清為ることを得ず。
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『翁問答』上卷之本大槪を論ずるに、先五倫を以ていへば、親を愛敬するが感通の根本なる故に、本分の名号を改めず、孝行と名付て、扨それより感通の光景に因て、名を立て教を示し給ことなり、二心なく君を愛敬するを忠と名付く、礼儀正しく臣下を愛敬するを仁と名付く、能く教へて子を愛敬するを慈と名付く、和順にして兄を愛敬するを悌と名付く、善をせめて弟を愛敬するを恵と名付く、正しき節を守りて夫を愛敬するを順と名付く、朋友を愛敬するを信と名付く、一身を以て云へば耳目の聰明、四肢の恭重、行住座臥の法則、皆愛敬の感通なり、如此親切なる道徳なれば、如何なる愚痴不肖の賤男賤女、五六歳の幼童迄も、能く知り能く行ひ、扨大至極の全体は聖人と雖共つくし難き物なり、誠に不二の要道、無双の重宝なれ共卞和が璧となりて、世俗の闇を照さゞる事なげかわしき事なるべし。
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