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童子問 / 卷上

問。孔孟論仁。似有不與愛字相干涉者。如何。曰。一愛之所到。衆善自生。故曰。惻隱之心。仁之端也。猶原泉之混混。雖爲洄爲洑爲淵爲湍。奇態萬千不可名狀。皆一水之流派也。葢仁者。以愛爲心。故其心自平。其心自平。故寬裕容物。寬裕容物。故從容不迫。從容不迫。故樂而不憂。樂而不憂。故泰然自安。泰然自安。則無施不可。無行不得。此仁道脈絡相因之序。不可以一德名之。不仁者反之。觀夫子答諸弟子。問孝便以孝之道答之。問智便以智之方答之。至於論仁及答問仁。特擧仁者模樣而告之。所謂仁者己欲立而立人。及仁者先難而後獲。是已。葢以仁之成德。不可以一德盡之也。孟子以惻隱之心爲仁之端。而又曰。人皆有所不忍。達之於其所忍。仁也。又曰。充無欲害人之心。而仁不可勝用也。此孟子論仁之本旨也。而仁者如射等語。雖如不與愛字干涉者。然推究立言之本旨。則皆莫不以愛爲本焉。苟以孔孟之語參考併照。則可知矣。向謂不可以論語字面解之者。正爲此也。

新字:問。孔孟論仁。似有不与愛字相干渉者。如何。曰。一愛之所到。衆善自生。故曰。惻隠之心。仁之端也。猶原泉之混混。雖為洄為洑為淵為湍。奇態万千不可名状。皆一水之流派也。葢仁者。以愛為心。故其心自平。其心自平。故寛裕容物。寛裕容物。故従容不迫。従容不迫。故楽而不憂。楽而不憂。故泰然自安。泰然自安。則無施不可。無行不得。此仁道脈絡相因之序。不可以一徳名之。不仁者反之。観夫子答諸弟子。問孝便以孝之道答之。問智便以智之方答之。至於論仁及答問仁。特挙仁者模様而告之。所謂仁者己欲立而立人。及仁者先難而後獲。是已。葢以仁之成徳。不可以一徳尽之也。孟子以惻隠之心為仁之端。而又曰。人皆有所不忍。達之於其所忍。仁也。又曰。充無欲害人之心。而仁不可勝用也。此孟子論仁之本旨也。而仁者如射等語。雖如不与愛字干渉者。然推究立言之本旨。則皆莫不以愛為本焉。苟以孔孟之語参考併照。則可知矣。向謂不可以論語字面解之者。正為此也。

書き下し

問ふ、孔孟の仁を論ずる、愛の字と相干渉せざる者有るに似たり。如何。曰く、一たび愛の到る所、衆善自ら生ず。故に曰く、「惻隠の心は仁の端なり」と。猶ほ原泉の混混たるがごとし。洄と為り洑と為り淵と為り湍と為り、奇態万千名状すべからずと雖も、皆一水の流派なり。蓋し仁者は愛を以て心と為す。故に其の心自ら平らかなり。其の心自ら平らかなり、故に寛裕にして物を容る。寛裕にして物を容る、故に従容として迫らず。従容として迫らず、故に楽しみて憂へず。楽しみて憂へず、故に泰然として自ら安んず。泰然として自ら安んずれば、則ち施して可ならざる無く、行ひて得ざる無し。此れ仁道の脈絡相因るの序にして、一徳を以て之に名づくべからず。不仁者は之に反す。夫子の諸弟子に答ふるを観るに、孝を問へば便ち孝の道を以て之に答へ、智を問へば便ち智の方を以て之に答ふ。仁を論じ及び仁を問ふに答ふるに至りては、特に仁者の模様を挙げて之に告ぐ。所謂「仁者は己立たんと欲して人を立つ」、及び「仁者は難きを先にして獲るを後にす」、是れなり。蓋し仁の成徳は、一徳を以て之を尽くすべからざるを以てなり。孟子は惻隠の心を以て仁の端と為し、而して又曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは仁なり」と。又曰く、「人を害せんと欲すること無きの心を充たせば、仁勝げて用ふべからざるなり」と。此れ孟子の仁を論ずるの本旨なり。而して「仁者は射の如し」等の語は、愛の字と干渉せざる者の如しと雖も、然れども立言の本旨を推究すれば、則ち皆愛を以て本と為さざるは莫し。苟も孔孟の語を以て参考併照すれば、則ち知るべし。向に論語の字面を以て之を解すべからずと謂ひしは、正に此が為なり。

現代語訳

問う。孔子・孟子が仁を論じるとき、愛という字と関わりのないものもあるように見える。どうか。答える。ひとたび愛が行き届けば、多くの善は自然に生じる。だから「惻隠の心は仁の端である」と言うのである。それは水源の水がこんこんと湧き出るようなものである。渦となり、伏流となり、淵となり、早瀬となって、千変万化の姿は名状しがたいけれども、すべて一つの水の流れの分かれである。思うに、仁者は愛を心とする。だからその心はおのずから平らかである。その心がおのずから平らかであるから、寛大で物を受け入れる。寛大で物を受け入れるから、ゆったりとして切迫しない。ゆったりとして切迫しないから、楽しんで憂えない。楽しんで憂えないから、泰然として自ら安んじる。泰然として自ら安んじれば、何を施してもうまくいかないことはなく、何を行っても得られないことはない。これが仁の道の脈絡が互いにつながっている順序であって、一つの徳の名で呼ぶことはできない。不仁な者はこれと反対である。孔子が弟子たちに答えたのを見ると、孝を問われれば孝の道で答え、智を問われれば智の方法で答えている。ところが仁を論じたり、仁についての問いに答えたりするときには、とくに仁者の様子を挙げて告げている。いわゆる「仁者は、自分が立ちたいと思えば人を立たせる」や「仁者は、難しいことを先にして、得ることを後にする」がそれである。思うに、仁の成就した徳は、一つの徳で言い尽くすことができないからである。孟子は惻隠の心を仁の端とし、また「人には皆忍びない心がある。それを忍んでしまうところにまで押し広げるのが仁である」と言い、さらに「人を害しようとしない心を充たせば、仁は用いきれないほどになる」と言った。これが孟子が仁を論じる本旨である。そして「仁者は弓を射るようなものだ」などの言葉は、愛の字と関わりがないように見えるけれども、その言葉を立てた本旨を推し究めれば、すべて愛を根本としないものはない。もし孔子・孟子の言葉を互いに参照して照らし合わせれば、それが分かるはずである。先に『論語』の字面だけで解釈してはならないと言ったのは、まさにこのためである。

解説

仁を愛と言い切ると、愛と無関係に見える孔孟の言葉はどう説明するのかという疑問に答えた章である。仁斎は、一つの水源から渦や淵や早瀬が生まれるように、愛が行き届けば多くの善が自然に生じると説く。愛を心とする者は心が平らかで、寛大になり、ゆとりが生まれ、楽しんで憂えず、泰然と安んじる。この連なりこそ仁の道筋である。孔子が仁を問われると定義でなく仁者の姿を示したのも、仁が一つの徳で言い尽くせないからだという。相手への思いやりが、寛容さやゆとりとなって職場の空気を変えていく道筋を意識したい。

この章句が説くこと

仁愛惻隠寛裕孔孟本旨

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