童子問 / 卷上
問。管仲覇者之臣也。故孟子議其不知王道。而夫子許其仁者。何也。曰。仁之成德。其利澤恩惠足遠被干天下後世。而極矣。堯典曰。光被四表。格干上下。堯之仁也。詩曰。於戯前王不忘。文武之仁也。若管仲之志之才。甚大矣。其志不在於區區修政事善齊國之間。將以振頽綱拯生民。而貽利澤於後世。其才亦稱之。故夫子曰。管仲相桓公覇諸侯。一匡天下。民到干今受其賜。微管仲。吾其被髮左衽矣。又曰。桓公九合諸侯。不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁。集註謂。未爲仁人。而有仁之功。其意葢不以此爲仁。而徒爲有仁之功。然子路曰。未仁乎。子貢曰。管仲非仁者與。夫子一答以如其仁如其仁。一答以民到干今受其賜。是直以仁許之也。子當以意理會。
新字:問。管仲覇者之臣也。故孟子議其不知王道。而夫子許其仁者。何也。曰。仁之成徳。其利沢恩恵足遠被干天下後世。而極矣。堯典曰。光被四表。格干上下。堯之仁也。詩曰。於戯前王不忘。文武之仁也。若管仲之志之才。甚大矣。其志不在於区区修政事善斉国之間。将以振頽綱拯生民。而貽利沢於後世。其才亦称之。故夫子曰。管仲相桓公覇諸侯。一匡天下。民到干今受其賜。微管仲。吾其被髪左衽矣。又曰。桓公九合諸侯。不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁。集註謂。未為仁人。而有仁之功。其意葢不以此為仁。而徒為有仁之功。然子路曰。未仁乎。子貢曰。管仲非仁者与。夫子一答以如其仁如其仁。一答以民到干今受其賜。是直以仁許之也。子当以意理会。
書き下し
問ふ、管仲は覇者の臣なり。故に孟子は其の王道を知らざるを譏る。而るに夫子其の仁を許す者は、何ぞや。曰く、仁の成徳は、其の利沢恩恵、遠く天下後世に被るに足りて極まる。堯典に曰く、「四表に光被し、上下に格る」と。堯の仁なり。詩に曰く、「於戯、前王忘れられず」と。文武の仁なり。管仲の志の才の若きは、甚だ大なり。其の志は区区として政事を修め斉国を善くするの間に在らず。将に以て頽綱を振るひ生民を拯ひて、利沢を後世に貽さんとす。其の才も亦之に称ふ。故に夫子曰く、「管仲桓公を相けて諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん」と。又曰く、「桓公諸侯を九合して、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや」と。集註に謂ふ、「未だ仁人為らずして、仁の功有り」と。其の意蓋し此を以て仁と為さずして、徒に仁の功有りと為すなり。然れども子路曰く、「未だ仁ならざるか」と。子貢曰く、「管仲は仁者に非ざるか」と。夫子一たびは答ふるに「其の仁に如かんや、其の仁に如かんや」を以てし、一たびは答ふるに「民今に到るまで其の賜を受く」を以てす。是れ直ちに仁を以て之を許すなり。子当に意を以て理会すべし。
現代語訳
問う。管仲は覇者の臣である。だから孟子はその王道を知らないことを非難した。それなのに孔子がその仁を認めたのはなぜか。答える。仁の成就した徳は、その恩沢が遠く天下と後世にまで及ぶことで極まる。『書経』堯典に「(堯の徳は)四方の果てまで光り輝き、天地に至る」とある。これは堯の仁である。『詩経』に「ああ、前の王は忘れられない」とある。これは文王・武王の仁である。管仲の志と才のようなものは、非常に大きい。その志は、ちまちまと政事を修めて斉の国を良くすることにとどまっていなかった。衰えた綱紀を奮い起こし、民の生活を救って、恩沢を後世に残そうとしたのである。その才もまたそれにふさわしかった。だから孔子は「管仲は桓公を補佐して諸侯の覇者とし、天下を一つに正した。民は今に至るまでその恩恵を受けている。管仲がいなかったら、私たちは髪を結わずに着物を左前に着る(夷狄の風俗になっていた)だろう」と言った。また「桓公が諸侯を何度も集め、武力を用いなかったのは、管仲の力である。誰がその仁に及ぼうか、誰がその仁に及ぼうか」と言った。『集註』は「仁人とまでは言えないが、仁の功績はある」と言う。その意図は、思うにこれを仁とはせず、ただ仁の功績があるとするにすぎない。しかし子路は「(管仲は)仁ではないのではないか」と言い、子貢は「管仲は仁者ではないのではないか」と言った。それに対し孔子は、一度は「誰がその仁に及ぼうか」と答え、一度は「民は今に至るまでその恩恵を受けている」と答えた。これはそのまま仁として管仲を認めているのである。あなたはその意をよく汲んで会得すべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇子路曰く、「桓公、公子糾を殺す。召忽之に死し、管仲は死せず。」曰く、「未だ仁ならざるか。」子曰く、「桓公、諸侯を九合し、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや。」
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『童子問』卷上問ふ、聖人の仁と管仲の仁と、是れ同じきか、是れ同じからざるか。曰く、同じ。堯舜の仁は、猶ほ大海の水の汪汪洋洋として涯涘すべからざるがごときなり。管仲の仁は、猶ほ数尺の井泉の観るに足らずと雖も、然れども旱歳に遇へば則ち亦以て灌漑の利に資すべきがごとし。大小の差有りと雖も、豈に之を水に非ずと謂ひて可ならんや。子文・文子に至りては、則ち猶ほ瓶罌の水の、力を極めて負担すと雖も、数斗の多きに過ぎず、其の用限り有りて、之を水と謂ふに足らざるがごときなり。
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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」
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論語・憲問篇子貢曰く、「管仲は仁者に非ざるか。桓公、公子糾を殺すに、死する能わず、又之を相く。」子曰く、「管仲、桓公を相けて、諸侯に霸たり、天下を一匡す。民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ髪を被り衽を左にせん。豈に匹夫匹婦の諒を為すが若く、自ら溝瀆に経れて、之を知らるること莫からんや。」
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『童子問』卷上孔子の仁を問ふ。曰く、夫子管仲の仁を称して曰く、「民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん」と。夫子の仁の若きは、実に天地と準しく、管仲に度越すること、奚ぞ翅に億万のみならんや。夫子より今に到るまで、殆ど二千有余歳、四海九州、人皆善を善として悪を悪とし、君臣父子夫婦昆弟朋友の交はり、各々其の倫を叙することを得て、左衽の俗と為らざる者は、悉く夫子の賜なり。人皆夫子の教への中に在りて、夫子の教への大なるを知らず。猶ほ人の天地の内に囿まれて、天地の大為るを知らざるがごとし。夫子微かりせば、藉令ひ人皆化して鬼と為り蜮と為らずとも、而も三綱淪み九法斁れ、天下其の天下為ることを得ざらん。於戯、大なるかな。宋人、一古刹の梁上に「天孔子を生ぜずんば、万古長夜の如し」の十大字を書せるを見る。終に千古の名言と為る。宜なるかな。
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説苑・指武齊の桓公の時、霖雨十旬。桓公漅陵を伐たんと欲するも、其の城の雨に值うや、未だ合わず。管仲・隰朋卒徒を以て門に造る、桓公曰く、「徒眾何を以て為すか」と。管仲對えて曰く、「臣之を聞く、雨あれば則ち事有りと。夫れ漅陵雨に能わず、臣請う之を攻めん」と。公曰く、「善し」と。遂に師を興して之を伐つ。既に至れば、大卒外に間して士內に在り、桓公曰く、「其れ聖人有るか」と。乃ち旗を還して之を去る。
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