童子問 / 卷上
問。孔孟所謂仁者。其旨果如何。曰。仁者。人道之大本。衆善之總要。人道之有仁義。猶天道之有陰陽也。故曰。仁人之安宅也。義人之正路也。兩者不相離。而以仁爲要。故孔門諸子。以仁爲家常茶飯。而無敢疑其義者。故論語一書。皆言修仁之方。而無言仁之義者。諸子之所問。夫子之所答。皆是也。若欲明其義者。當自孟子入。孟子曰。惻隱之心。仁之端也。人之有是四端也。猶其有四躰也。知皆擴而充之矣。若火之始然。泉之始達。苟能充之。足以保四海。又曰。人皆有所不忍。達之於其所忍。仁也。子能熟讀此二章。當自理會其理。於孔孟所謂仁者。明白分曉。無復可疑。吾故曰。孟子之書。論語之義疏也。按古注疏曰。端本也始也。四端之心。生來具足。猶其有四躰。擴充云者。即達之之謂也。便擴充惻隱之心。而無所不至。正是仁。所謂足保四海者。即言擴充四端之心。以成仁義禮智之德。蓋以非仁義禮智之德。則不足以保四海也。
新字:問。孔孟所謂仁者。其旨果如何。曰。仁者。人道之大本。衆善之総要。人道之有仁義。猶天道之有陰陽也。故曰。仁人之安宅也。義人之正路也。両者不相離。而以仁為要。故孔門諸子。以仁為家常茶飯。而無敢疑其義者。故論語一書。皆言修仁之方。而無言仁之義者。諸子之所問。夫子之所答。皆是也。若欲明其義者。当自孟子入。孟子曰。惻隠之心。仁之端也。人之有是四端也。猶其有四体也。知皆擴而充之矣。若火之始然。泉之始達。苟能充之。足以保四海。又曰。人皆有所不忍。達之於其所忍。仁也。子能熟読此二章。当自理会其理。於孔孟所謂仁者。明白分暁。無復可疑。吾故曰。孟子之書。論語之義疏也。按古注疏曰。端本也始也。四端之心。生来具足。猶其有四体。擴充云者。即達之之謂也。便擴充惻隠之心。而無所不至。正是仁。所謂足保四海者。即言擴充四端之心。以成仁義礼智之徳。蓋以非仁義礼智之徳。則不足以保四海也。
書き下し
問ふ、孔孟の所謂仁なる者は、其の旨果たして如何。曰く、仁は人道の大本、衆善の総要なり。人道の仁義有るは、猶ほ天道の陰陽有るがごとし。故に曰く、「仁は人の安宅なり。義は人の正路なり」と。両者相離れずして、仁を以て要と為す。故に孔門の諸子は、仁を以て家常茶飯と為して、敢へて其の義を疑ふ者無し。故に論語一書は、皆仁を修むるの方を言ひて、仁の義を言ふ者無し。諸子の問ふ所、夫子の答ふる所、皆是れなり。若し其の義を明らかにせんと欲する者は、当に孟子より入るべし。孟子曰く、「惻隠の心は仁の端なり。人の是の四端有るや、猶ほ其の四体有るがごとし。皆拡めて之を充たすことを知らば、火の始めて然え、泉の始めて達するが若し。苟も能く之を充たせば、以て四海を保つに足る」と。又曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは仁なり」と。子能く此の二章を熟読せば、当に自ら其の理を理会し、孔孟の所謂仁なる者に於て、明白分暁にして、復た疑ふべき無かるべし。吾故に曰く、孟子の書は論語の義疏なりと。按ずるに古注疏に曰く、「端は本なり、始めなり」と。四端の心は、生来具足すること、猶ほ其の四体有るがごとし。拡充と云ふ者は、即ち之を達するの謂なり。便ち惻隠の心を拡充して、至らざる所無き、正に是れ仁なり。所謂四海を保つに足るとは、即ち四端の心を拡充して、以て仁義礼智の徳を成すを言ふ。蓋し仁義礼智の徳に非ざれば、則ち以て四海を保つに足らざるを以てなり。
現代語訳
問う。孔子・孟子のいう仁とは、その趣旨は結局どういうものか。答える。仁は人の道の大本であり、多くの善の総まとめである。人の道に仁義があるのは、天の道に陰陽があるようなものである。だから(孟子は)「仁は人の安らかな住まいであり、義は人の正しい道である」と言った。両者は互いに離れないが、仁を要とする。だから孔門の弟子たちは、仁を日常茶飯のこととして、あえてその意味を疑う者はいなかった。だから『論語』一書は、すべて仁を修める方法を述べていて、仁の意味を述べたものはない。弟子たちの問い、孔子の答えは、みなそうである。もしその意味を明らかにしたいなら、孟子から入るべきである。孟子は「惻隠の心は仁の端である。人にこの四つの端があるのは、四肢があるようなものである。皆これを押し広げて充たすことを知れば、火が燃え始め、泉が湧き出し始めるようなものだ。もしよくこれを充たせば、四海を保つのに十分である」と言った。また「人には皆忍びない心がある。それを忍んでしまうところにまで押し広げるのが仁である」と言った。あなたがこの二章を熟読すれば、きっと自然にその理を会得し、孔孟のいう仁について明白にはっきりと分かり、もはや疑うところはなくなるだろう。だから私は、孟子の書は『論語』の注釈書であると言うのである。考えてみると、古注疏には「端は本であり、始めである」とある。四端の心は、生まれながらに備わっていて、四肢があるようなものである。拡充というのは、すなわちこれを押し広げることをいう。つまり惻隠の心を押し広げて、行き届かないところがないこと、これこそが仁である。いわゆる「四海を保つのに十分である」とは、四端の心を押し広げて仁義礼智の徳を成就することをいう。思うに、仁義礼智の徳でなければ、四海を保つには足りないからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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