童子問 / 卷上
問。承忽卑近者。非識道者。意思如何。曰。孟子曰。道在邇。而求諸遠。事在易。而求諸難。人人親其親長其長。而天下平。又曰。君子之言也。不下帶而道存。君子之守。修其身而天下平。中庸曰。君子之道辟。如行遠必自邇。辟如登高必自卑。言卑近之中。自有高遠之理也。而所謂高遠者。非世之所謂高遠也。事之卑近。不過親其親長其長。妻子好合兄弟既翕之間。而莫高遠於天下平矣。故愈卑近。則愈光明。猶泰山之高。遠見千里之外。本起於一撮土之積也。故曰。博厚則高明。顏子得一善。則拳拳服膺。而弗失之。蓋一善甚微矣。然積而又積。積累不止。則足以成大德。但衆人之心以爲。一善之微不足以成大德。每忽焉而不務。惟顏子至聰明。故拳拳於此。而不失。此顏子所以能至於亞聖之地也。猶世之起家累巨萬者。其初爭錐刀之利。直以一錢當性命。至於其所息之多。則雖以天下之巧。莫能布算。卑近之不可忽如此。知者鮮矣哉。
新字:問。承忽卑近者。非識道者。意思如何。曰。孟子曰。道在邇。而求諸遠。事在易。而求諸難。人人親其親長其長。而天下平。又曰。君子之言也。不下帯而道存。君子之守。修其身而天下平。中庸曰。君子之道辟。如行遠必自邇。辟如登高必自卑。言卑近之中。自有高遠之理也。而所謂高遠者。非世之所謂高遠也。事之卑近。不過親其親長其長。妻子好合兄弟既翕之間。而莫高遠於天下平矣。故愈卑近。則愈光明。猶泰山之高。遠見千里之外。本起於一撮土之積也。故曰。博厚則高明。顔子得一善。則拳拳服膺。而弗失之。蓋一善甚微矣。然積而又積。積累不止。則足以成大徳。但衆人之心以為。一善之微不足以成大徳。毎忽焉而不務。惟顔子至聰明。故拳拳於此。而不失。此顔子所以能至於亜聖之地也。猶世之起家累巨万者。其初争錐刀之利。直以一銭当性命。至於其所息之多。則雖以天下之巧。莫能布算。卑近之不可忽如此。知者鮮矣哉。
書き下し
問ふ、卑近を忽せにする者は道を識る者に非ずと承る。意思如何と。曰く、孟子曰く、道は邇きに在り、而るに諸を遠きに求む。事は易きに在り、而るに諸を難きに求む。人人其の親を親とし其の長を長として、天下平らかなりと。又曰く、君子の言や、帯を下らずして道存す。君子の守りは、其の身を修めて天下平らかなりと。中庸に曰く、君子の道は辟へば遠きに行くに必ず邇きよりするが如く、辟へば高きに登るに必ず卑きよりするが如しと。卑近の中、自ら高遠の理有るを言ふなり。而して所謂高遠なる者は、世の所謂高遠に非ざるなり。事の卑近なる、其の親を親とし其の長を長とし、妻子好合し兄弟既に翕ふの間に過ぎずして、天下平らかなるより高遠なるは莫し。故に愈卑近なれば、則ち愈光明なり。猶ほ泰山の高き、遠く千里の外に見ゆるも、本一撮土の積に起こるがごとし。故に曰く、博厚なれば則ち高明なりと。顔子一善を得れば、則ち拳拳服膺して、之を失はず。蓋し一善は甚だ微なり。然れども積みて又積み、積累して止まざれば、則ち以て大徳を成すに足る。但だ衆人の心以為へらく、一善の微は以て大徳を成すに足らずと。毎に忽せにして務めず。惟だ顔子は至聡明なり。故に此に拳拳として失はず。此れ顔子の能く亜聖の地に至る所以なり。猶ほ世の家を起こして巨万を累ぬる者、其の初め錐刀の利を争ひ、直に一銭を以て性命に当つるがごとし。其の息する所の多きに至りては、則ち天下の巧みを以てすと雖も、能く算を布くこと莫し。卑近の忽せにすべからざること此の如し。知る者鮮きかな。
現代語訳
問う。「卑近をおろそかにする者は道を知る者ではない、と承りました。その意味はどういうことでしょうか。」答えて言う。「孟子は『道は身近なところにあるのに、人はそれを遠くに求める。事は易しいところにあるのに、人はそれを難しいところに求める。人々がそれぞれ自分の親を親として敬い、自分の年長者を年長者として敬えば、天下は平らかになる』と言い、また『君子の言葉は帯より下のこと(身近なこと)を言いながら道がそこにある。君子の守ることは、自分の身を修めて天下が平らかになることである』と言った。中庸には『君子の道は、たとえば遠くに行くには必ず近くから始め、高く登るには必ず低いところから始めるようなものだ』とある。卑近なことの中に、おのずから高遠な道理があることを言っているのである。そしてここでいう高遠とは、世間のいう高遠ではない。卑近な事とは、親を親とし年長者を年長者とし、妻子が仲睦まじく兄弟が和合するといったことにすぎないが、天下が平らかになることより高遠なことはない。だから卑近であればあるほど光り輝く。ちょうど泰山の高さが千里の外からも見えるほどでも、もとはひとつまみの土の積み重ねから始まったようなものである。だから『広く厚ければ高く明らかである』と言う。顔回は一つの善を得ると、しっかりと胸に抱いて失わなかった。一つの善はごくわずかなものである。しかし積んでまた積み、積み重ねてやまなければ、大きな徳を成すのに十分である。ところが多くの人は、一つの善のようなわずかなものでは大きな徳は成せないと思って、いつもおろそかにして努めない。ただ顔回だけはこの上なく聡明であったから、これをしっかり守って失わなかった。これが顔回が亜聖の境地に至った理由である。ちょうど世間で家を興して巨万の富を築く者が、はじめは錐の先ほどのわずかな利益を争い、一銭を命と同じくらい大切にするようなものである。やがて利息が増えて多くなると、天下の算術の名人でも数えきれない。卑近がおろそかにできないことはこのとおりである。それを知る者は少ないなあ。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、先生は易知易行なる者を是とし、難知難行なる者を非と説く。安んぞ難知難行なる者の真に是にして、易知易行なる者の是に非ざることを知らんや。乞ふ、申ねて論究せよ。曰く、中庸に曰く、「道なる者は、須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり」と。道の真是真非は、実に此に判る。須臾も離るべからざる者は、堯舜孔子の道是れのみ。仏老の道の若きは、之有りて天下に益無く、之無くして天下に損無し。皆得て離るべし。豈に之を道と謂ふに足らんや。老荘の説は、戦国秦漢の際に盛んなり。浮屠の法は、後漢永平八年に始めて漢土に来たる。唐虞三代の時には皆之無し。然れども天下泰平にして、黎民寿考し、治皆数百年に及ぶ。時に二氏無きを以て其の治を害せざるなり。秦皇・漢武・唐の玄宗・宋の徽宗は最も道教を信ず。然れども政治日に壊れ、国俗日に隳る。仏法は晋・宋・斉・梁・陳・隋に盛んにして、延いて唐宋に及ぶ。六朝の間、乱亡相尋ぐ。時に二氏有るを以て其の乱を救はざるなり。唐宋頗る小康なりと雖も、本仏法に関はるに非ず、亦太平と為すに足らず。則ち豈に之有りて天下に益無く、之無くして天下に損無きに非ずや。堯舜孔子の道の若きは、一日之を離るれば、則ち天下の君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友、皆其の所を失ふ。豈に須臾も離るべからざるの道に非ずや。其の真是真非も亦判然たり。
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『慎思録』巻之五孟子曰く、君子の言は、帯を下らずして、道存す、と。蓋し道は人に遠からず。性に率ふ、之を道と謂ふ。故に曰く、道なる者は、須臾も離るべからざるなり、と。身外の事に非ざるに由るなり。日用常行の間、至近の処にして、至道存す。此れ乃ち天理の流行発見する処なり。君子の道は、費にして隠なり。若し夫れ非常高遠の事に対して、以て至妙と為す者は、左太冲の所謂侈言験無く、麗なりと雖も経に非ずといふ者是れのみ。蓋し妙理を語ることは易し。一超直入、言下頓悟と雖も、亦為すべし。然れども真の悟りに非ざるのみ。
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『童子問』卷上中庸に曰く、「君子の道は、諸を身に本づけ、諸を庶民に徴し、諸を三王に考へて謬らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質して疑ひ無く、百世以て聖人を俟ちて惑はず」と。言ふこころは、聖人の道は、之を己に求め、之を人に察し、之を往古に考へ、之を来世に推し、之を天地鬼神に徴して、皆合はざる所無し。山川草木・禽獣虫魚・蚑行喙息の微に至るまで、徴して合はざる無く、推して通ぜざる無し。天下の達道なるが故なり。夫の隠微の説・高妙の理の若きは、之を視れども見る所無く、之を聴けども聞く所無し。之を人倫風俗に求むれば皆悖る。見るべし、天地の間本来此の理無きことを。其の実是実非、断じて知るべきなり。
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『初学訓』巻之一中庸に、性にしたがふを道といふとは、性とは人の心に生れつきたる五性をいふ。仁の性にしたがへば、父子を親み、臣民をいつくしみ、万物を愛する、皆是仁の道なり。義の性にしたがへば、君につかへて、忠を尽し、身を忘れ、老人を敬ひ、賢人をたふとび、利を好まず、財を貪らず、行ふべきすぢめの宜しきをうしなはざるは、皆是義の道なり。礼の性にしたがへば、長幼貴賤のまじはりに次第あり、貴人と老いたるを敬ひ、賤しきと少きをあなどらず、よろづの作法正しく、則を失はざるは、皆是、礼の道なり。智の性にしたがへば、夫婦の別正しく、人の善悪と、万事の邪正をよく知り弁ふる類、皆是智の道なり。信の性にしたがへば、朋友のまじはり偽なく、万の事まことあり、始終ありて、約束たがはざる、皆是、信の道なり。此五性にしたがひて五倫を行ふを、道といふ。中庸に、性にしたがふを道といふはこれなり。
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『童子問』卷上問ふ、中庸は性・道・教を以て序と為す。今道を以て上と為し、教之に次ぎ、而して性を以て道を尽くし教を受くるの地と為す。其の措詞の次第、同じからざる者有るが若し。何ぞやと。曰く、本中庸の理と異なること無し。但だ註家錯説するのみ。中庸の言は、聖人の道は本人性の自然に循ひて、相離れず、諸子百家の自ら私し智を用ひて、人倫日用を遠ざけて以て道と為すが若きに非ざるを言ふなり。故に曰く、性に率ふ之を道と謂ふと。又曰く、離るべきは道に非ざるなりと。夫れ性とは、天の我に賦予して、人人の固より有する所なり。若し性に循ふと否とを論ぜずんば、則ち以て道の邪正を見ること無し。故に中庸先づ性を挙げて言を為すのみ。性を以て道より貴しと為すに非ざるなり。
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『慎思録』巻之三君子の道は、固より敢て物を離れず、又敢て物を逐はず。夫れ物を逐ふ者は、其の心を放ちて求むることを知らず、其の欲に徇ひて反ることを知らず。道を失ふ所以なり。物を離るる者は、倫理を去り人事を廃す。道を為す所以に非ざるなり。
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