童子問 / 卷上
問。先生之談道固善矣。然得非甚過卑乎。曰。卑則自實。高則必虛。故學問無厭卑近。忽卑近者。非識道者也。道其如大地乎。天下莫卑於地。然人之所蹈。莫非地。無離地而能立。況載華嶽而不重。振河海而不洩。萬物載焉。則豈容以其居卑而賤之乎。惟天亦然。人惟知蒼蒼之天。而不知目前皆是天。天包地外。地在天內。地以上皆天也。左右前後亦皆天也。人囿於兩間而居。豈可謂遠乎。故知凡事皆當求諸邇。而不可求于遠。求于遠則不中矣。學者必自恥其道之卑近。敢爲高論奇行。以高世。或至窮異以爲神。援天以爲高。諸子百家異端之徒特甚。皆不知實德故也。苟不羞道卑近二字。則道可進學可明。而不至於違道之遠也。
新字:問。先生之談道固善矣。然得非甚過卑乎。曰。卑則自実。高則必虚。故学問無厭卑近。忽卑近者。非識道者也。道其如大地乎。天下莫卑於地。然人之所蹈。莫非地。無離地而能立。況載華嶽而不重。振河海而不洩。万物載焉。則豈容以其居卑而賤之乎。惟天亦然。人惟知蒼蒼之天。而不知目前皆是天。天包地外。地在天内。地以上皆天也。左右前後亦皆天也。人囿於両間而居。豈可謂遠乎。故知凡事皆当求諸邇。而不可求于遠。求于遠則不中矣。学者必自恥其道之卑近。敢為高論奇行。以高世。或至窮異以為神。援天以為高。諸子百家異端之徒特甚。皆不知実徳故也。苟不羞道卑近二字。則道可進学可明。而不至於違道之遠也。
書き下し
問ふ、先生の道を談ずる、固より善し。然れども甚だ卑きに過ぐるに非ざるを得んやと。曰く、卑ければ則ち自ら実なり、高ければ則ち必ず虚なり。故に学問は卑近を厭ふこと無かれ。卑近を忽せにする者は、道を識る者に非ざるなり。道は其れ大地の如きか。天下地より卑きは莫し。然れども人の蹈む所、地に非ざるは莫し。地を離れて能く立つこと無し。況んや華嶽を載せて重しとせず、河海を振めて洩らさず、万物焉に載る。則ち豈に其の卑きに居るを以て之を賤しむを容れんや。惟だ天も亦た然り。人惟だ蒼蒼の天を知りて、目前皆是れ天なることを知らず。天は地の外を包み、地は天の内に在り。地より以上は皆天なり。左右前後も亦た皆天なり。人は両間に囿まれて居る。豈に遠しと謂ふべけんや。故に知る、凡そ事皆当に諸を邇きに求むべくして、遠きに求むべからず。遠きに求むれば則ち中らず。学者必ず自ら其の道の卑近なるを恥ぢ、敢へて高論奇行を為して、以て世に高ぶり、或いは異を窮めて以て神と為し、天を援きて以て高しと為すに至る。諸子百家異端の徒特に甚だし。皆実徳を知らざるが故なり。苟も卑近の二字を羞ぢずんば、則ち道進むべく学明らかにすべくして、道に違ふことの遠きに至らざるなり。
現代語訳
問う。「先生の道の説き方は、もちろん結構です。しかし、あまりに卑近すぎるのではないでしょうか。」答えて言う。「卑近であればおのずから充実しており、高遠であれば必ず空虚である。だから学問は卑近を嫌ってはならない。卑近をおろそかにする者は、道を知る者ではない。道は大地のようなものであろうか。天下に大地より低いものはない。しかし人が踏むところで大地でないものはなく、大地を離れて立つことはできない。まして大地は華山・嶽山を載せても重いとせず、黄河や海を収めても漏らさず、万物がその上に載っている。どうしてそれが低いところにあるからといって賤しめてよかろうか。天もまたそうである。人は青々とした空だけを天と思って、目の前がすべて天であることを知らない。天は地の外を包み、地は天の内にある。地より上は皆天であり、左右前後も皆天である。人は天地の間に包まれて暮らしている。どうして天が遠いと言えようか。だから、すべての事は身近なところに求めるべきで、遠くに求めてはならないことが分かる。遠くに求めれば的を外す。学ぶ者はきまって自分の道が卑近であることを恥じ、あえて高遠な議論や奇抜な行いをして世に誇り、あるいは奇異を窮めて神妙だとし、天を持ち出して高尚だとするに至る。諸子百家や異端の徒はとりわけひどい。皆、真実の徳を知らないからである。もし卑近の二字を恥じなければ、道は進み、学問は明らかになり、道から遠く外れることはない。」
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之五凡そ事は必ず咨訪して後に明らかなり。故に曰く、問ふことを好めば則ち裕かなり、と。必ず経歴して後に熟す。故に曰く、一事に躓く者は一智を長ず、と。苟も咨訪せずして自ら用ひ、経歴せずして妄りに行へば、亦殆ふいかなと曰ふ。朱子曰く、学は道を知るを以て本と為す。道を知れば則ち学純にして心正し、と。愚謂ふ、是れ学を為すの本旨なり。学者の志を立つる、宜しく此くの如くなるべし。蓋し学は将に以て道を知らんとす。苟も学を為して、道を知るを以て本と為さずんば、博学広聞すと雖も益無く、徒に心思を労するのみ。所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふものなり。夫れ道を知るは固より極めて難し。然れども道を知るを以て志と為さざれば、則ち学を為すこと駁雑にして純一ならず、心を立つること邪僻にして平正ならず。其の本を失ふに因るなり。然らば則ち宏才博聞の人に逾ゆる有りと雖も、儒者の学と為すべからず。百家衆技の流と相同じきを免れず。此れ即ち俗学の習ひにして、亦貴しと為すに足らず。若し乃ち朱子の言を以て之を反覆して言はば、道を知らんと欲すれば、則ち先づ須らく学純にして心正しきを要すべし。苟も学雑にして純一ならず、心正しからずして邪僻なれば、則ち道と相乖戻す。何を以てか道を知るを得んや。
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