童子問 / 卷上
問。吾聞富貴爵祿皆外物也。爲其所誘而可乎。曰。富貴爵祿皆人事之所不可無者。只當辨禮義。豈可徒以爲外物而厭之也哉。子猶泥于舊見。不嚴洗滌此意。後來必至於厭人事樂枯寂遠日用而廢人倫。甚不可也。今夫飮食衣服非外物乎。然不服飮食。不御衣服。枵腹裸體而居。不五日十日而必隕軀命。且藥物如人參黃芪之類。多產于外國。若以其外物。而不用之。死亡立至。外物之不可惡也如此。儒者或以錙銖軒冕塵芥富貴爲高。世間亦以超然遐擧蔑視人事爲至。皆不知道之甚也。若夫不辨禮義。而徒有惡外物之心。必爲異端。外物二字本出莊子。非儒者之所合用也。
新字:問。吾聞富貴爵禄皆外物也。為其所誘而可乎。曰。富貴爵禄皆人事之所不可無者。只当弁礼義。豈可徒以為外物而厭之也哉。子猶泥于旧見。不厳洗滌此意。後来必至於厭人事楽枯寂遠日用而廃人倫。甚不可也。今夫飲食衣服非外物乎。然不服飲食。不御衣服。枵腹裸体而居。不五日十日而必隕躯命。且薬物如人参黄芪之類。多産于外国。若以其外物。而不用之。死亡立至。外物之不可悪也如此。儒者或以錙銖軒冕塵芥富貴為高。世間亦以超然遐挙蔑視人事為至。皆不知道之甚也。若夫不弁礼義。而徒有悪外物之心。必為異端。外物二字本出荘子。非儒者之所合用也。
書き下し
問ふ、吾聞く、富貴爵禄は皆外物なり、其の誘ふ所と為りて可ならんやと。曰く、富貴爵禄は皆人事の無かるべからざる所の者なり。只だ当に礼義を弁ずべし。豈に徒らに以て外物と為して之を厭ふべけんや。子猶ほ旧見に泥みて、厳しく此の意を洗滌せずんば、後来必ず人事を厭ひ、枯寂を楽しみ、日用を遠ざけて人倫を廃するに至らん。甚だ不可なり。今夫れ飲食衣服は外物に非ずや。然れども飲食を服せず、衣服を御せず、枵腹裸体にして居らば、五日十日ならずして必ず軀命を隕さん。且つ薬物の人参・黄芪の類の如きは、多く外国に産す。若し其の外物なるを以て之を用ひざれば、死亡立ちどころに至らん。外物の悪むべからざること此の如し。儒者或いは錙銖軒冕、塵芥富貴を以て高しと為し、世間も亦た超然遐挙して人事を蔑視するを以て至れりと為す。皆道を知らざるの甚だしきなり。若し夫れ礼義を弁ぜずして、徒らに外物を悪むの心有れば、必ず異端と為らん。外物の二字は本荘子に出づ。儒者の合に用ふべき所に非ざるなり。
現代語訳
問う。「富貴や爵禄は皆外物だと聞きます。それに誘われてよいものでしょうか。」答えて言う。「富貴や爵禄は皆、人の世になくてはならないものである。ただ礼義をわきまえるべきなのだ。どうしてむやみに外物だとして嫌ってよかろうか。あなたがなお古い見方にとらわれて、この考えを厳しく洗い流さなければ、のちには必ず人の世の務めを嫌い、ひっそりとした寂しさを楽しみ、日々の用から遠ざかって人倫を捨てるに至るだろう。それはまったくいけない。そもそも飲食や衣服は外物ではないか。しかし飲食をとらず衣服を着ず、空腹で裸のまま暮らせば、五日十日もたたずに必ず命を落とす。また人参や黄芪のような薬物は多く外国で産する。外物だからといってこれを用いなければ、たちまち死んでしまう。外物を憎んではならないことはこのとおりである。儒者の中には、高位高官をわずかなものとみなし、富貴を塵芥のようにみなすことを高尚とする者がおり、世間もまた超然と世を離れて人の世の務めを蔑むことを至上とする。皆、道を知らないことのはなはだしいものである。もし礼義をわきまえずに、ただ外物を憎む心だけがあれば、必ず異端となる。外物の二字はもともと荘子に出るもので、儒者が用いるべき言葉ではない。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、学問は果たして性の内に在りや、性の外に在りやと。曰く、内外一致す。内は以て外を資け、外は以て内を養ふ。相無かるべからず。譬へば猶ほ人の一体のごとし。心思知慮は内なり、視聴動作は外なり。専ら心思知慮を貴びて、尽く視聴動作を廃するは、可ならんや。且つ生養の具の若きは、飲食薬餌より、以て宮室衣服、平生の合用、凡百の器具に至るまで、皆之を外に資らざること靡し。豈に独り学問に至りて、之を疑はんや。樹は土に非ざれば則ち生ぜず、魚は水に非ざれば則ち活きず。然れども樹と魚とに由りて之を見れば、則ち土と水とは皆外なり。然れども須臾も離るることを得ざるなり。人の学問、生養の具、何物か之を外に資らざらん。設若し其の外なるを以て之を棄てば、猶ほ樹の土を離れ、魚の水を去るがごとく、一日も生くることを得ず。其の不可なること必せり。人の五倫に於ける、父子の親、兄弟の睦と雖も、既に其の体を異にす。況んや君臣夫婦朋友は皆義を以て合ふ。豈に之を外と謂ひて可ならんや。凡そ内外の二字、古人の称する所と、後世の謂ふ所と、其の義適に別なり。所謂内とは之を親しむの辞、外とは之を疎んずるの辞なり。大学に外本内末と曰ひ、荘周に内聖外王と曰ふが若き、是れなり。性を以て内と為して、性に非ざる者を以て外と為して、之を棄つるに非ざるなり。告子の外義も、亦た義を以て外と為して之を行ふを謂ふ。棄てて用ひざるの謂に非ず。聖賢初めより内外の弁無し。其の内外の分を立つるは、後儒の陋説なり。
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『童子問』卷上問ふ、何をか人の外に道無しと謂ふと。曰く、人とは何ぞ。君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友なり。夫れ道は一のみ。君臣に在りては之を義と謂ひ、父子には之を親と謂ひ、夫婦には之を別と謂ひ、昆弟には之を叙と謂ひ、朋友には之を信と謂ふ。皆人に由りて顕はる。人無ければ則ち以て道を見ること無し。故に曰く、人の外に道無しと。何をか道の外に人無しと謂ふ。曰く、道とは何ぞ。仁なり、義なり、礼なり、智なり。人其の中に囿まれて、須臾も離るることを得ず。離るれば則ち人に非ざるなり。故に曰く、道の外に人無しと。凡そ天地の外・古今の遠きを説きて、人倫に資すること無く、天下国家の治に益すること無き者は、皆邪説の魁なり。設令宇宙の外に復た宇宙有りとも、苟も人其の間に生まるること有らば、必ず当に君臣父子夫婦の倫有りて、仁義礼智の道に循ふべし。故に曰く、人に由りて顕はる、人無ければ則ち以て道を見ること無しと。謹んで此の説を聴き、異説の惑はす所と為ること勿かれ。
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『塩鉄論』貧富篇文學曰く、孔子云う、『富にして求むべくんば、執鞭の事と雖も、吾も亦た之を為さん、如し求むべからずんば、吾が好む所に從わん』と。君子は義を求む、茍くも富まんとするに非ざるなり。故に子貢の命を受けずして貨殖するを刺る。君子は時に遭えば則ち富み且つ貴し、遇わざれば、退きて道を樂しむ。利を以て己を累わさず、故に義に違いて妄りに取らず。隱居して節を修め、行いを妨げんと欲せず、故に名を毀ちて勢に趨らず。之に付するに韓・魏の家を以てすと雖も、其の志に非ざれば、則ち居らざるなり。富貴も榮とする能わず、謗毀も傷つくる能わざるなり。故に原憲の缊袍は、季孫の狐貉より賢れり、趙宣孟の魚飧は、智伯の芻豢より甘し、子思の銀佩は、虞公の垂棘より美なり。魏の文侯は段幹木の閭に軾す、其の勢有るを以てするに非ざるなり、晉の文公は韓慶を見て、車を下りて趨る、其の財多きを以てするに非ず、其の仁に富み、德に充つるを以てなり。故に貴きは何ぞ必ずしも財ならん、亦た仁義のみ。
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『童子問』卷中禍福の然る所以を問ふ。曰く、禍無きは便ち是れ福、凶ならざれば則ち吉と為す。世人富貴貧賤を以て吉凶禍福を論ずる者は、非なり。苟も富貴にして身に憂患多く、子孫不肖なる者は、貧賤にして身長く事無く、子孫聡明なるの愈れりと為すこと遠甚しきに若かざるなり。若し夫れ富貴貧賤を以て吉凶禍福を論ずる者は、実に市道の見なり。鄙しいかな。
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『童子問』卷下問ふ、承る、朱陸の学は皆天下古今の同じく然る所の道に非ずと。然らば則ち古人は之を己の心と事物の理とに求めざるか。曰く、古人何ぞ嘗て己の心に求めざらん。亦何ぞ物理を講明せざらん。但宋の諸老と夐然として自ら異なり。仁に居り義に由り、忠信以て之を守り、敬恕以て之を行ふ。此れ古人の己の心に求むる所以なり。後世の学問、聖賢の書を講議せざるに非ず。然れども其の自ら学を為す所以に至つては、則ち別に一段の名目を立てて、以て学問の宗旨と為す。無欲・主静・持敬・致良知の説のごとき、是れなり。物理を講究するがごときは、古人も亦廃せず。但古人は己を修め人を治むるを以て学と為して、物理を講究するに至つては自ら其の余事と為して、専ら力を此れに用ひず。後世は格物窮理を以て最初入門の功夫と為し、天文・地理・律暦・兵刑・農圃・医より、以て一艸一木の微に至るまで、鑽研講磨して以て其の理を求めざる莫し。其の言に曰く、一書を読まざれば、則ち一書の理を闕き、一事を窮めざれば、則ち一事の理を闕くと。夫れ天下の書は其の多きに勝へず、天下の事は其の繁きに堪へず。如し一一其の理に通暁せんと欲せば、則ち惟日も足らず。己を修め人を治むるの術に至つては、自ら之を度外に置かざること能はず。近世の諸大儒も、亦多く此れを以て許多の歳月を糜爛す。惜しむべし。
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『童子問』卷中問ふ、上達の時、畢竟如何。曰く、中庸に曰く、富貴に素しては富貴に行ひ、貧賤に素しては貧賤に行ひ、夷狄に素しては夷狄に行ひ、患難に素しては患難に行ふ。君子入るとして自得せざる無しと。此れ是れ上達の功験なり。蓋し学者の道に進むや、其の初め学問と日用と扞格齟齬して、相入ること能はず。真積力久しくして、自ら得る所有るに及べば、則ち向に之を視て以て遠しと為せし者、今始めて近きを得、向に之を視て以て難しと為せし者、今始めて易きを得。漸次に近前し、学問に非ざれば楽しまず、学問に非ざれば言はず。其の愈々熟するに及べば、殆ど布帛菽粟の須臾も離るべからざるが如し。子女臧獲の賤、米塩柴薪の細に至るまで、大凡耳目に接し、日用に施す者、総べて是れ道に非ざる莫し。俗の外に道無く、道の外に俗無し。而して一点の俗気と雖も、亦著け得ず。此れ是れ上達の光景なり。
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