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童子問 / 卷上

故曰。原泉混混不舍晝夜。盈科而進。放于四海。凡天下之水東注。則入于東海。西注則入于西海。今其曰放于四海者。何哉。又言其擴充之積。流行無窮也。又論浩然之氣曰。以直養而無害。則塞于天地之間。吾氣亦有限之物。其曰塞于天地之間者。亦謂其養成之極。無處而不到。皆擴充之謂也。舊解以爲滿本然之量。非也。以一升之水入一升之器。以一斗之水入一斗之器。謂之滿本然之量。孟子所謂擴充云者。謂推廣充大之勢不可遏止。非滿本然之量之謂也。舊解徒以理斷之。而不知孟子之本旨故也。

新字:故曰。原泉混混不舎昼夜。盈科而進。放于四海。凡天下之水東注。則入于東海。西注則入于西海。今其曰放于四海者。何哉。又言其擴充之積。流行無窮也。又論浩然之気曰。以直養而無害。則塞于天地之間。吾気亦有限之物。其曰塞于天地之間者。亦謂其養成之極。無処而不到。皆擴充之謂也。旧解以為満本然之量。非也。以一升之水入一升之器。以一斗之水入一斗之器。謂之満本然之量。孟子所謂擴充云者。謂推広充大之勢不可遏止。非満本然之量之謂也。旧解徒以理断之。而不知孟子之本旨故也。

書き下し

故に曰く、原泉混混として昼夜を舎かず、科に盈ちて而る後に進み、四海に放ると。凡そ天下の水は東に注げば、則ち東海に入り、西に注げば則ち西海に入る。今其の四海に放ると曰ふ者は、何ぞや。又其の擴充の積、流行して窮まり無きを言ふなり。又浩然の気を論じて曰く、直を以て養ひて害すること無ければ、則ち天地の間に塞がると。吾が気も亦た限り有るの物なり。其の天地の間に塞がると曰ふ者は、亦た其の養成の極、処として到らざること無きを謂ふ。皆擴充の謂なり。旧解以て本然の量を満たすと為すは、非なり。一升の水を以て一升の器に入れ、一斗の水を以て一斗の器に入るる、之を本然の量を満たすと謂ふ。孟子の所謂擴充と云ふ者は、推し広め充たし大にするの勢ひ遏め止むべからざるを謂ふ。本然の量を満たすの謂に非ざるなり。旧解徒らに理を以て之を断じて、孟子の本旨を知らざるが故なり。

現代語訳

だから孟子は『水源のある泉はこんこんと湧き出て昼も夜も休まず、窪みを満たしてから先へ進み、四方の海にまで至る』と言った。およそ天下の水は東に注げば東の海に入り、西に注げば西の海に入る。それなのに『四方の海に至る』と言うのはなぜか。それは擴充の積み重ねが流れ広がって窮まりのないことを言っているのである。また浩然の気を論じて『まっすぐに養って害することがなければ、天地の間に満ちる』と言った。自分の気も限りのあるものである。それが天地の間に満ちると言うのは、養い育てることの極みで、至らないところがないことを言っている。これらは皆擴充のことである。従来の注解(朱子の集註)が『本然の量を満たす』と解したのは誤りである。一升の水を一升の器に入れ、一斗の水を一斗の器に入れる、これを本然の量を満たすという。孟子のいう擴充とは、推し広め満たし大きくしていく勢いが止めようもないことを言うのであって、本然の量を満たすことではない。従来の注解はいたずらに理によってこれを断じて、孟子の本旨を知らなかったのである。

解説

仁斎はさらに孟子の二つの言葉で擴充を説明する。泉は窪みを満たしながら進んでついに四海に至り、浩然の気はまっすぐ養えば天地の間に満ちる。東に流れる水が四海に至るはずがないのに四海と言うのは、積み重ねが窮まりなく広がる勢いを表すためだという。朱子が擴充を「本然の量を満たす」と解したのを、仁斎は器に水を注ぐだけの理屈だと退ける。人の成長はあらかじめ決まった器を満たすことではなく、日々の学びが窪みを一つずつ満たしながら想像を超えた所まで流れていく、その勢いこそが擴充なのである。

この章句が説くこと

擴充浩然の気孟子朱子学批判学問積

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