童子問 / 卷上
譬諸以薪炊飯。一把薪可以炊一升米。而不能以炊一斗米。十把薪可以炊一斗米。而不能以炊一石米。至於一石米。則非用一車薪。則不可得炊也。一把薪能炊一升米。十把薪能炊一斗米。一車薪能炊一石米。盡其性分者也。一把薪不能炊一斗米。十把薪不能炊一石米。以非性分之所及也。苟向風吹火。添薪助之。則一片火寸可以燬宮。一點野火可以燎原。其勢燐燐烈烈。遷延囘轉。不可撲滅。是豈一把薪之力乎哉。人若立志不囘。力學不倦。則可以爲聖。可以爲賢。而可以盡人物之性。而贊天地之化育。敎之可貴也如此。孟子所謂擴充者。卽謂此也。
新字:譬諸以薪炊飯。一把薪可以炊一升米。而不能以炊一斗米。十把薪可以炊一斗米。而不能以炊一石米。至於一石米。則非用一車薪。則不可得炊也。一把薪能炊一升米。十把薪能炊一斗米。一車薪能炊一石米。尽其性分者也。一把薪不能炊一斗米。十把薪不能炊一石米。以非性分之所及也。苟向風吹火。添薪助之。則一片火寸可以燬宮。一点野火可以燎原。其勢燐燐烈烈。遷延囘転。不可撲滅。是豈一把薪之力乎哉。人若立志不囘。力学不倦。則可以為聖。可以為賢。而可以尽人物之性。而賛天地之化育。教之可貴也如此。孟子所謂擴充者。即謂此也。
書き下し
諸を薪を以て飯を炊くに譬ふ。一把の薪は以て一升の米を炊くべくして、以て一斗の米を炊くこと能はず。十把の薪は以て一斗の米を炊くべくして、以て一石の米を炊くこと能はず。一石の米に至りては、則ち一車の薪を用ふるに非ずんば、則ち炊くことを得べからざるなり。一把の薪の能く一升の米を炊き、十把の薪の能く一斗の米を炊き、一車の薪の能く一石の米を炊くは、其の性分を尽くす者なり。一把の薪の一斗の米を炊くこと能はず、十把の薪の一石の米を炊くこと能はざるは、性分の及ぶ所に非ざるを以てなり。苟も風に向かひて火を吹き、薪を添へて之を助くれば、則ち一片の火寸も以て宮を燬くべく、一点の野火も以て原を燎くべし。其の勢燐燐烈烈として、遷延回転し、撲滅すべからず。是れ豈に一把の薪の力ならんや。人若し志を立てて回らず、学に力めて倦まざれば、則ち以て聖と為るべく、以て賢と為るべくして、以て人物の性を尽くして、天地の化育を賛くべし。教の貴ぶべきこと此の如し。孟子の所謂擴充とは、即ち此を謂ふなり。
現代語訳
これを薪で飯を炊くことにたとえよう。一束の薪で一升の米は炊けるが、一斗の米は炊けない。十束の薪で一斗の米は炊けるが、一石の米は炊けない。一石の米となると、車一台分の薪を使わなければ炊くことはできない。一束の薪が一升の米を炊き、十束の薪が一斗の米を炊き、車一台の薪が一石の米を炊くのは、その本来の分量を尽くしたものである。一束の薪で一斗の米が炊けず、十束の薪で一石の米が炊けないのは、本来の分量の及ぶところではないからである。しかし、もし風に向かって火を吹き、薪を加えて助けるならば、ひとかけらの火種でも宮殿を焼くことができ、一点の野火でも野原を焼き尽くすことができる。その勢いは盛んに燃え上がり、広がりめぐって消し止められない。これがどうして一束の薪の力であろうか。人ももし志を立ててくじけず、学問に励んで倦まなければ、聖人にも賢人にもなることができ、人や物の性を尽くして天地の化育を助けることができる。教の貴いことはこのとおりである。孟子のいう擴充とは、まさにこのことを言うのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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