童子問 / 卷上
問。於性道敎之分。既得聞其詳矣。願詳見諭敎之條目。曰。子以四敎。文行忠信。此孔門學問之定法。而初學入道之規矩。萬世學者不得違焉。文者。詩書六藝是已。行者。孝悌禮讓是已。盡己之謂忠。與人有實之謂信。學文則其智不偏。力行則其學不虛。忠則道足以行。信則德有以立。不學文則其智必偏。佛老之學是也。不力行則其學自虛。俗儒之學是也。不忠信則人道不立。市井之小人是也。此四者雖有次序。而非有階級。葢學者終身之業也。苟以此爲法。則安宅可居。大路可由。而爲學之道備矣。
新字:問。於性道教之分。既得聞其詳矣。願詳見諭教之条目。曰。子以四教。文行忠信。此孔門学問之定法。而初学入道之規矩。万世学者不得違焉。文者。詩書六芸是已。行者。孝悌礼譲是已。尽己之謂忠。与人有実之謂信。学文則其智不偏。力行則其学不虚。忠則道足以行。信則徳有以立。不学文則其智必偏。仏老之学是也。不力行則其学自虚。俗儒之学是也。不忠信則人道不立。市井之小人是也。此四者雖有次序。而非有階級。葢学者終身之業也。苟以此為法。則安宅可居。大路可由。而為学之道備矣。
書き下し
問ふ、性・道・教の分に於て、既に其の詳を聞くことを得たり。願はくは詳らかに教の条目を諭されんと。曰く、子四を以て教ふ、文・行・忠・信と。此れ孔門学問の定法にして、初学入道の規矩なり。万世の学者違ふことを得ず。文とは、詩書六芸是れのみ。行とは、孝悌礼譲是れのみ。己を尽くす之を忠と謂ひ、人に与ふるに実有る之を信と謂ふ。文を学べば則ち其の智偏らず、行に力むれば則ち其の学虚ならず。忠なれば則ち道以て行ふに足り、信なれば則ち徳以て立つ有り。文を学ばざれば則ち其の智必ず偏る。仏老の学是れなり。行に力めざれば則ち其の学自ら虚なり。俗儒の学是れなり。忠信ならざれば則ち人道立たず。市井の小人是れなり。此の四者は次序有りと雖も、而も階級有るに非ず。蓋し学者終身の業なり。苟も此を以て法と為さば、則ち安宅居るべく、大路由るべくして、学を為すの道備はる。
現代語訳
問う。「性・道・教の区別については、すでに詳しくお聞きしました。どうか教の具体的な項目を詳しくお諭しください。」答えて言う。「孔子は四つのことを教えた。文・行・忠・信である。これは孔子門下の学問の定まった方法であり、初学者が道に入るための規矩である。万世の学者もこれに背くことはできない。文とは、詩経・書経や六芸のことである。行とは、孝悌・礼譲のことである。自分を尽くすことを忠といい、人と交わるのに真実があることを信という。文を学べば知恵が偏らず、行に努めれば学問が空虚にならない。忠であれば道を行うのに十分であり、信であれば徳が立つ。文を学ばなければ知恵は必ず偏る。仏教・老荘の学がそれである。行に努めなければ学問はおのずと空虚になる。世俗の儒者の学がそれである。忠信でなければ人の道は立たない。市井の小人がそれである。この四つには順序はあるが、段階があるのではない。思うにこれは学ぶ者が一生をかけて行う仕事である。もしこれを法とするなら、安らかな住まいに住むことができ、大きな道を通ることができて、学問をする道が備わる。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、忠信は固より美徳たり。然れども信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊なり。則ち又未だ必ずしも蔽無からず。曰く、然り。語に曰く、「信、義に近ければ、言復むべし」と。孟子曰く、「大人は、言必ずしも信ならず、行ひ必ずしも果ならず、唯義の在る所のままにす」と。蓋し徒に信を好みて義に合はざれば、必ず道を害す。然れども十分に通徹し、必ず忠に必ず信にして、而る後に以て此の言を為すべし。若し内に忠信を尽くさず、少しの疎漏有れば、則ち先づ義を併せて之を失ふ。何の学問か之有らん。蓋し物に接するの間、欺かず詐らず、十分真実にして、堅く執りて回らざる、忠信の謂なり。千変万化、機に臨みて宜しきを制し、取捨失はざる、義の功なり。忠信は万事の根本、義は学問の大用なり。故に学者は当に忠信を以て基と為して、義以て之を制すべし。故に曰く、「忠信を主とし義に従ふは、徳を崇くするなり」と。夫子も亦嘗て曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。忠信は固より美徳たり、然れども学びて以て之を成さざれば、則ち善と為すに足らざるを言ふなり。此れ亦学者の当に慮りを弾くすべき所なり。
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『翁問答』下卷之本次第に書物多くなりて、孔子の時には六経みな備はりたり、孔門の教へ文と行と忠と信との四なり、文は六経の文なり、行は性にしたがふ道の行ひなり、忠信は自満の心根をたちすてゝ誠の道を求め、明徳を明にする工夫なり、此四に本末衡鑑の差別あり、忠信は根本なり行は幹梢なり、文は忠信と行との鑑なり、六経の文をよみその本意を講明してかゞみと定め、根本幹梢の工夫をよくつとめて、明徳の宝珠をみがくものなり、聖人のましまして直におしへ給ふにさへ、かくの如し、まして末代聖賢のましまさぬ時に、鑑とさだむる聖経賢伝をすてゝ講ぜず、暗く迷ひたる心まかせて学問したるが、よきなといへるは、灯をすてゝ暗室に物をたずぬる如し。
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『囲炉夜話』第百五十四則・生資の高きは忠信に在り生資の高きは忠信に在り、機巧に關はるに非ず。學業の美は德行に於いてし、僅かに文章のみならず。
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『慎思録』巻之六吾が夫子は文行忠信を以て教へと為し、且つ屢忠信を主とすることを言ふ。蓋し学問の道は、文を学びて以て道を明らかにし、力行して以て善を為し、忠信を主として以て誠を立つ。此の三者、一を闕くべからず。蓋し文行に非ずば、則ち理を窮め善を為すこと能はず。忠信に非ずば、則ち文行も亦進益を得ず、皆虚妄なるのみ。蓋し人道は只忠信に在り。忠信ならずば徳を立つるの基無し。故に易に曰く、忠信は徳に進む所以なりと。郷里の常人と雖も、苟も忠信無くば、則ち世に立つべからず。況んや君子の道をや。此の故に君子は之を誠にするを貴しと為す。
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『童子問』卷上問ふ、先生屢々道の易知易行を明らかにす。然るに今儒を業とする者、皆其の入り難きに苦しむは、何ぞや。曰く、人の学問に於ける、之を視て以て一種至貴至高、流俗に出で、人情に遠き、甚だ高くして行ひ難きの事と為す。此れ其の人を苦難せしむる所以なり。夫れ聖人の教へを設くるや、人に因りて以て教へを立て、教へを立てて以て人を駆らず。造作する所無く、添飾する所無く、人心の同じく然る所に出でて、強ふる所有るに非ざるなり。夫の孝弟忠信の人の若きは、天下皆以て善と為し、皆以て美と為して、敢へて議する者無し。此れ即ち是れ学なり。此の外に更に所謂学問なる者無きなり。村畝の野夫、商販奴隷の賤も、或いは孝友廉直天性に出でて、士人の及ばざる所の者有り。或いは学問に由らずして、信義遜譲、澹泊自ら治め、慷慨義に赴く者、亦往往之有り。此れ反つて是れ学問の基本なり。所謂学問とは、此を充たすのみ。
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『童子問』卷上但だ其の生質の美は、観るべしと曰ふと雖も、然れども微にして未だ著れず、小にして未だ充たず。故に聖人教へを立て学を設け、人に書を読み文を学ぶことを教へて、以て其の微なる者を著し、其の小なる者を充たすのみ。然れども天下の同じく然る所に出でて、一毫も其の間に増加する所無し。故に中庸に曰く、「道を修むる之を教へと謂ふ」と。蓋し生質の美は善なりと雖も、然れども拡めて之を充たすに非ざれば、則ち以て徳を成すに足らず。故に曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。道は聖人と雖も、固より知らず能はざる所有り。然れども其の本は、則ち夫婦の愚不肖も与に知り能く行ふ所にして、知り難く行ひ難き者無きなり。学者真に能く此の理を識得して、而る後以て学を為すべきなり。知るべし、向に所謂至貴至高、流俗に出で、人情に遠く、甚だ高くして行ひ難き者の道に非ざることを。
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