童子問 / 卷上
問。性與敎果無優劣耶。曰。性善而無爲。敎有爲而難入。能受難入之敎者。性之善也。充性之善者。敎之功也。兩者猶車之有兩輪。相須而不可相無。然性本相近。而敎之功爲大矣。南山之竹。不揉自植。性之善也。括而羽之。鏃而礪之。則其入之深者。敎之功也。若不羽不鏃。則一片竹條耳。何所成用。其百發百中。善射隼於高墉之上者。皆羽而鏃之之功也。此論語之所以專以敎爲主。而孟子發擴充之說也。
新字:問。性与教果無優劣耶。曰。性善而無為。教有為而難入。能受難入之教者。性之善也。充性之善者。教之功也。両者猶車之有両輪。相須而不可相無。然性本相近。而教之功為大矣。南山之竹。不揉自植。性之善也。括而羽之。鏃而礪之。則其入之深者。教之功也。若不羽不鏃。則一片竹条耳。何所成用。其百発百中。善射隼於高墉之上者。皆羽而鏃之之功也。此論語之所以専以教為主。而孟子発擴充之説也。
書き下し
問ふ、性と教と果たして優劣無きかと。曰く、性は善にして為すこと無く、教は為すこと有りて入り難し。能く入り難きの教を受くる者は、性の善なり。性の善を充たす者は、教の功なり。両者は猶ほ車の両輪有るがごとく、相須ちて相無かるべからず。然れども性は本相近くして、教の功大なりと為す。南山の竹、揉めずして自ら植つは、性の善なり。括して之に羽し、鏃して之を礪げば、則ち其の入ることの深き者は、教の功なり。若し羽せず鏃せずんば、則ち一片の竹条のみ。何の用を成す所ぞ。其の百発百中して、善く隼を高墉の上に射る者は、皆羽して之を鏃するの功なり。此れ論語の専ら教を以て主と為して、孟子の擴充の説を発する所以なり。
現代語訳
問う。「性と教とには、結局優劣はないのでしょうか。」答えて言う。「性は善であるが自らは何もしない。教は働きかけるが、なかなか入りにくい。入りにくい教えを受け入れることができるのは性の善である。性の善を満たすのは教の働きである。両者は車に二つの車輪があるように、互いに頼り合って、どちらも欠くことはできない。しかし性はもともと互いに近いものであり、教の働きのほうが大きい。南山の竹が矯めなくても自然にまっすぐ立つのは性の善である。矢筈をつけて羽をつけ、鏃をつけて研げば、深く突き刺さる。これが教の働きである。もし羽も鏃もつけなければ、ただの一本の竹の棒にすぎない。何の役に立とうか。百発百中して、高い城壁の上の隼を見事に射とめるのは、皆羽をつけ鏃をつけた働きによる。これが論語がもっぱら教を主とし、孟子が擴充の説を説いた理由である。」
解説
この章句が説くこと
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