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弁名 / 忠信

孝悌忠信。均爲中庸之德。乃舍孝悌。獨以忠信言之者。蓋其人未學而能孝悌。是得諸性者也。其人或厚於內而薄於外。則未可以施於人焉。先王之道。爲安民設之。故多主施於人者言之。忠信皆施於人者也。且有以它人之事爲己任意。故特以忠信言之者。近於道也。

新字:孝悌忠信。均為中庸之徳。乃舎孝悌。独以忠信言之者。蓋其人未学而能孝悌。是得諸性者也。其人或厚於内而薄於外。則未可以施於人焉。先王之道。為安民設之。故多主施於人者言之。忠信皆施於人者也。且有以它人之事為己任意。故特以忠信言之者。近於道也。

書き下し

孝悌忠信は、均しく中庸の徳たり。乃ち孝悌を舎てて、独り忠信を以て之を言ふ者は、蓋し其の人未だ学ばずして能く孝悌なるは、是れ諸を性に得る者なり。其の人或いは内に厚くして外に薄ければ、則ち未だ以て人に施すべからず。先王の道は、民を安んずる為に之を設く。故に多く人に施す者を主として之を言ふ。忠信は皆人に施す者なり。且つ他人の事を以て己が任と為すの意有り。故に特に忠信を以て之を言ふ者は、道に近きなり。

現代語訳

孝・悌・忠・信は、いずれも中庸の徳である。それなのに孝悌をおいて忠信だけを言うのは、こういうわけだろう。人が学ばないうちから孝悌でありうるのは、生まれつきの性から得たものである。そういう人は内(家の中)には厚くても外には薄いことがあり、それでは人に施すことはまだできない。先王の道は民を安んじるために設けられたものだから、多くは人に施すことを主として語る。忠信はどちらも人に施すものである。しかも他人のことを自分の務めとして引き受ける意味がある。だから特に忠信を挙げるのは、それが道に近いからである。

解説

孝悌も忠信も同じく中庸の徳なのに、孔門ではなぜ忠信が特に挙げられるのか。徂徠の答えは、先王の道が「民を安んずる」ための道だという一点にある。孝悌は家の内で生まれつき備わりやすいが、内に厚く外に薄いこともある。忠信は人に施す徳であり、他人の事を自分の任として引き受ける心を含むので、天下を治める道に近い。内輪への情の厚さと、外の人や顧客への誠実さは別物であり、組織で問われるのは後者だということを、この則は教えている。

この章句が説くこと

忠信孝悌安民先王道弁名

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