童子問 / 卷上
問。吾於宋明諸儒及禪莊諸書。議論高遠難遽通者。固疑其爲至言妙道。若論語。則甚平淡。殊覺無意味。如何。曰。艱澁奇僻難遽通者。反可通。惟論語不可知也。至言如泛然。邪說易動人。若泛然。故不可得而知也。易動人。故不覺自陷于其窠臼。非溫厚和平從容正大者。必不能通于論語之妙。非氣質偏勝耽奇驚高者之所得知也。今子欲外語孟。而徑詣至道。此乃陷于邪僻之漸。其後不復可救。愼勿踏近世學者之故轍。昔漢置五經博士。而不知置論語博士。宜矣若論語。其語平淡。而意味深長。故雖漢人。亦不知其理到道到。廣大周徧。高出于六經之上。程子曰。論語孟子既治。則六經可不治而明矣。此論實古今之名言也。大抵詞直理明。易知易記者。必正理也。詞艱理遠。難知難記者。必邪說也。子以此求之。於天下之書。百不失一。
新字:問。吾於宋明諸儒及禅荘諸書。議論高遠難遽通者。固疑其為至言妙道。若論語。則甚平淡。殊覚無意味。如何。曰。艱渋奇僻難遽通者。反可通。惟論語不可知也。至言如泛然。邪説易動人。若泛然。故不可得而知也。易動人。故不覚自陥于其窠臼。非温厚和平従容正大者。必不能通于論語之妙。非気質偏勝耽奇驚高者之所得知也。今子欲外語孟。而径詣至道。此乃陥于邪僻之漸。其後不復可救。慎勿踏近世学者之故轍。昔漢置五経博士。而不知置論語博士。宜矣若論語。其語平淡。而意味深長。故雖漢人。亦不知其理到道到。広大周遍。高出于六経之上。程子曰。論語孟子既治。則六経可不治而明矣。此論実古今之名言也。大抵詞直理明。易知易記者。必正理也。詞艱理遠。難知難記者。必邪説也。子以此求之。於天下之書。百不失一。
書き下し
問ふ、吾宋明の諸儒及び禅荘の諸書に於て、議論高遠にして遽かに通じ難き者は、固より其の至言妙道為るかと疑ふ。論語の若きは、則ち甚だ平淡にして、殊に意味無きを覚ゆ。如何と。曰く、艱渋奇僻にして遽かに通じ難き者は、反つて通ずべし。惟だ論語は知るべからざるなり。至言は泛然たるが如く、邪説は人を動かし易し。泛然たるが若し、故に得て知るべからざるなり。人を動かし易し、故に覚えずして自ら其の窠臼に陥る。温厚和平・従容正大なる者に非ざれば、必ず論語の妙に通ずること能はず。気質偏勝・耽奇驚高なる者の得て知る所に非ざるなり。今子語孟を外にして、径ちに至道に詣らんと欲す。此れ乃ち邪僻に陥るの漸にして、其の後復た救ふべからず。慎んで近世学者の故轍を踏むこと勿かれ。昔漢五経博士を置きて、論語博士を置くことを知らず。宜なり、論語の若きは、其の語平淡にして、意味深長なり。故に漢人と雖も、亦た其の理到り道到り、広大周徧にして、六経の上に高出することを知らず。程子曰く、論語孟子既に治まれば、則ち六経は治めずして明らかなるべしと。此の論実に古今の名言なり。大抵詞直く理明らかにして、知り易く記し易き者は、必ず正理なり。詞艱く理遠くして、知り難く記し難き者は、必ず邪説なり。子此を以て之を天下の書に求めば、百に一を失はず。
現代語訳
問う。「私は宋・明の儒者たちや禅・荘子の書物のうち、議論が高遠ですぐには理解しにくいものを、きっと至上の言葉、霊妙な道なのだろうと思っています。それに比べて論語はたいへん平淡で、とりわけ味わいがないように感じます。どうでしょうか。」答えて言う。「難しく奇抜ですぐには分からないものは、かえって理解できる。ただ論語だけは知りがたいのである。至上の言葉はとりとめもなく平凡に見え、邪説は人を動かしやすい。平凡に見えるから、知ることができないのだ。人を動かしやすいから、気づかぬうちにその型にはまり込んでしまう。温厚で穏やか、ゆったりとして正大な人でなければ、論語の妙味には通じられない。気質が偏り、奇を好み高きを驚き追う者に分かるものではない。いまあなたは論語・孟子をよそにして、まっすぐ至上の道に行き着こうとしている。これは邪道に陥る始まりであって、そうなってからではもう救えない。近ごろの学者の轍を踏まないよう慎みなさい。昔、漢は五経博士を置いたが、論語博士を置くことを知らなかった。それも無理はない。論語は言葉が平淡で、しかも意味が深長である。だから漢の人でさえ、その道理が行き届き道が行き届いていて、広大であまねく、六経の上に高くぬきんでていることを知らなかったのだ。程子は『論語・孟子が身につけば、六経は学ばなくても明らかになる』と言った。これは実に古今の名言である。おおよそ、言葉が率直で道理が明らかで、知りやすく覚えやすいものは必ず正しい道理であり、言葉が難しく道理が遠く、知りにくく覚えにくいものは必ず邪説である。あなたがこの基準で天下の書物を見ていけば、百に一つも誤ることはない。」
解説
この章句が説くこと
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孫子・始計篇道とは、民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可くして、危きを畏れざらしむるなり。
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