童子問 / 卷上
童子曰。固如尊喩。若二書。則予平生所熟讀。於集註大全及諸家註解。亦嘗探討。二書固日用之要典。至親切也。然竊思。外此別有簡徑直截自詣至道者。非耶。曰非也。學欲其正。功欲其熟。不可好奇特。不可求捷徑。水到船浮。華謝子結。遵正路而未到者。有矣。未有由邪蹊而能到者也。自苗而秀而實。自有其時。任其自悟。勿自我求悟。讀論孟者。若初學。固不能去註脚。而能曉本文。苟集註章句既通之後。悉棄去註脚。特就正文。熟讀詳味。優游佩服。則其於孔孟之本旨。猶大寐之頓寤。自瞭然于心目之間矣。今子所以不免致疑者。皆爲註脚之所累耳。天下之理。到語孟二書。而盡矣。無可復加焉。勿疑。
新字:童子曰。固如尊喩。若二書。則予平生所熟読。於集註大全及諸家註解。亦嘗探討。二書固日用之要典。至親切也。然窃思。外此別有簡径直截自詣至道者。非耶。曰非也。学欲其正。功欲其熟。不可好奇特。不可求捷径。水到船浮。華謝子結。遵正路而未到者。有矣。未有由邪蹊而能到者也。自苗而秀而実。自有其時。任其自悟。勿自我求悟。読論孟者。若初学。固不能去註脚。而能暁本文。苟集註章句既通之後。悉棄去註脚。特就正文。熟読詳味。優游佩服。則其於孔孟之本旨。猶大寐之頓寤。自瞭然于心目之間矣。今子所以不免致疑者。皆為註脚之所累耳。天下之理。到語孟二書。而尽矣。無可復加焉。勿疑。
書き下し
童子曰く、固より尊喩の如し。二書の若きは、則ち予平生熟読する所なり。集註・大全及び諸家の註解に於ても、亦た嘗て探討す。二書は固より日用の要典にして、至つて親切なり。然れども窃かに思ふ、此の外に別に簡径直截にして自ら至道に詣る者有るに非ずやと。曰く、非なり。学は其の正を欲し、功は其の熟を欲す。奇特を好むべからず、捷径を求むべからず。水到れば船浮び、華謝して子結ぶ。正路に遵ひて未だ到らざる者は有り。未だ邪蹊に由りて能く到る者は有らざるなり。苗よりして秀で、秀でて実る、自ら其の時有り。其の自ら悟るに任せて、我より悟りを求むること勿かれ。論孟を読む者、初学の若きは、固より註脚を去りて能く本文を暁ること能はず。苟も集註・章句既に通ずるの後は、悉く註脚を棄て去り、特だ正文に就きて、熟読詳味し、優游佩服せば、則ち其の孔孟の本旨に於ける、猶ほ大寐の頓に寤むるがごとく、自ら心目の間に瞭然たらん。今子の疑ひを致すを免れざる所以の者は、皆註脚の累はす所と為るのみ。天下の理は、語孟二書に到りて尽く。復た加ふべき無し。疑ふこと勿かれ。
現代語訳
童子は言った。「もとよりお言葉のとおりです。二書は私が日ごろ熟読しているもので、朱子の『集註』や『四書大全』、諸家の注釈も調べてきました。二書が日々の生活に欠かせない大切な書で、きわめて身近であることは承知しています。けれども、ひそかに思うのですが、これとは別に、手っ取り早くまっすぐに至上の道に到る方法があるのではないでしょうか。」答えて言う。「そうではない。学問は正しさを求め、修練は熟することを求める。奇抜なものを好んではならず、近道を求めてはならない。水が満ちれば船は浮かび、花が散れば実を結ぶ。正しい道に従ってまだ到達していない者はいるが、よこしまな小道を通って到達できた者はいない。苗が伸びて穂を出し、穂が実るのには、おのずからその時がある。自然に悟るのに任せ、自分から悟りを求めようとしてはならない。論語・孟子を読む者は、初学のうちはもちろん注釈を離れて本文を理解することはできない。しかし『集註』『章句』に通じた後は、注釈をすべて棄て去り、ただ本文に向き合って熟読し細かに味わい、ゆったりと身に着けていけば、孔孟の本旨について、深い眠りからにわかに目覚めたように、自然と心にも目にもはっきりするだろう。いまあなたが疑いを免れないのは、すべて注釈に煩わされているからにすぎない。天下の道理は論語・孟子の二書に至って尽きている。これ以上加えるものはない。疑ってはならない。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『文武訓』文訓上之末一世に、文学なくしてみだりに道を説く人あり。孝弟忠信などの道を行ふことは、一文不通の愚夫愚婦も、其はしをば知りやすく行ひやすし。是を以て、学なき人に説ききかするはよし。かなの書をよみ、人の物語をきき覚えても、浅近なることは知りやすし。草医の、近世の名医の作れる国字書の方書を読みても、軽き病をばいやすが如し。しかるに、義理の学は、天地人の大道を知る事なれば、まづ文字をしり、四書五経以下、歴代の聖賢の書に通じ、三史、通鑑など、古今の事にもひろく通じてやうやく知るべし。かくの如く、博く書を見ても道をしらざる人は多し。聖賢の書に通ぜず、文学つたなくしては大道に通じがたし。文学なくして道を知りがたき事、たとへば通事なくして異国の人の言語に通じがたきが如く、又、小刀にて大厦を作らんとするがごとし。文学つたなく経伝にくらくしては、大道は知りがたかるべし。
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『文武訓』文訓下一文学ひろく、聖賢の書をあまねく読んでも、道を知らざる人古今多し。斯くひろく聖賢の書を読んでは、道を知るべくして知らざるは、志なく聰明なきゆゑなり。文学に通ぜず、聖賢の書を多く読まずして、道を知れらん人は古今これなし。是道理のなき所なり。舟橋なくして海河をわたり、梯なくして高きに登らんとするが如し。近世、種の学問文学をせずして、聖学をせんとするも、文学して義理を知らざるも同じ。たとへば歌学をせずして、和歌のあしき人はあり。歌学なくしてうたよく詠む人はなきが如し。但学問なく、すこし師の口伝をききて、頗心ををさめんとする人あり。是亦聴かざるに遥にまされり。稊稗の熟するは、五穀の熟せざるにまされるが如し。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、其所は、師たる人も、さつぱりとは済ねども、此は聖人のことにて、今の学者の知るべき所に非ず、忠恕のことなりと云て、此うへのことは、決して沙汰なきことなり。答、汝は今の学者の知るべき所に非ずと云。聖人の教は、古今に通じて変ことなし。今と古とを分るは、仏氏の末世と云教なり。混雑すべからず。扨孔子、適も無く莫も無しとの玉ひ、又顔淵の、前に在りと思へば忽焉として後に在りとの玉ひ、孟子、道は一のみとの玉ふ。加様の類多し。汝はいかゞ心得居られ候や。
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『慎思録』巻之四食は以て生を養ふ。饕餮なる者は此を以て生を傷る。薬は以て人を救ふ。庸医は此を以て人を殺す。学は以て性を治む。小人は此を以て性を傷る。此の三者は、本是れ人を益するの物事なり。然り而して人を害すること此の如きは、之を用ふるの其の道を失ふに由るなり。
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『慎思録』巻之一人生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知りて行ふこと能はざれば、知らざると同じ。故に人為る者は、必ず学ばざるべからず。学を為す者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行はざるべからず。道を知ること至つて難し。古より英才敦行の士、多からずと為さず。然れども道を知る者は鮮し。学問思弁の功、闕くべからざる所以なり。
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『五常訓』巻之一・総論一およそ人となるものは、万物にすぐれ、五常の性を生れつき、道あるものなれども、食を飽くまでくらひ、衣を暖かに著、家をかまへて、身を安くしたるまでにて、道の教なければ、形は人なりといへども、其心、其行は、禽獣に近きこそうらめしけれ。古の聖人、是をうれひ給ひて、学校をたて、師をたてて、人たるの道を教へ学ばしめ給ふ。されば事の急ならざるやうにて、いたりて大切なる事は、学問よりおもきは無し。如何となれば、道はしばらくも離るべからず。人学問なく、道を知らざれば、人の道たたず。人と斯く生れつきたるかひなし。人生ふたたび得がたし。道を学ばずして、空しく過すべからず。ここを以て、朝に道を聞きては、夕に死すとも可なりと聖人ものたまへり。
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