大学或問 / 『大学或問』四季の弓馬と五十年の君子国
春は遠乘を第一とす、乘下にも馬上にも弓矢をはなつべからず、馴ざれば弓をさまり難し、夏は水邊を第一とす、川入川渡し馬も人もおよぎを習ふなり、戰陣にて是非なくよき士を失ふは馬川なり、秋は攻馬を第一とす、馬の足を極むべからず、逆乘すべからず、息をよく知るべし、冬は馬をよく飼べし、十一二月に鹿狩して弓馬の達者を習はすべし、後世の狩つめに狩よするは益なし、山より廣塲へ追出し追放し、弓馬の士のかせぎに任するなり、其外に鹿島のねらひあり、是は歩行立のひとりわざなり、是大略なり、數學は各宿々にても學び、又日永く夜長きいとま、心懸次第學校にても學ぶべし、十五六よりは折々講堂に出てよみたる書の道理文義を聽べし、二十歲前後よりは自分に書を見て通せざる所に附紙して問へし、先へ學びたる子あとより學ぶ子に文字讀を敎ふべし、次第おくりにすれば敎學共に益ありて、師勞せず藝術は上手の師を立べし、上手ならざれば弟子すゝまず、太刀鎗鐵砲等の術其中にあり、鐵砲は目當の稽古ばかりして鹿鳥を打しむべからず、鳥獸を盡しては士の弓矢にて身を堅固にし、手足を達者にする狩の用に害あり、八歲より三十まで是の如く習はすときは、士文武に達し國用軍用備はれり、其中道德に通ずる人あり、才能秀るものあり、天下國家人なき事をうれへず、子の親々もみづから學ばざれども、子の道藝に通ずるを見て心和し、粗理を聞て惑はず、生れ付器用にして終に學はざるものは、老學なれども早く經義に通ずるものあり、學びたる子供やがて人の親となれば老て敎ふべし、幼年には悌順を尙び、壯にして行ひ、老後に敎へ、五十年の間には君子國となるべし、是日本の中興にあらずや、
新字:春は遠乗を第一とす、乗下にも馬上にも弓矢をはなつべからず、馴ざれば弓をさまり難し、夏は水辺を第一とす、川入川渡し馬も人もおよぎを習ふなり、戦陣にて是非なくよき士を失ふは馬川なり、秋は攻馬を第一とす、馬の足を極むべからず、逆乗すべからず、息をよく知るべし、冬は馬をよく飼べし、十一二月に鹿狩して弓馬の達者を習はすべし、後世の狩つめに狩よするは益なし、山より広塲へ追出し追放し、弓馬の士のかせぎに任するなり、其外に鹿島のねらひあり、是は歩行立のひとりわざなり、是大略なり、数学は各宿々にても学び、又日永く夜長きいとま、心懸次第学校にても学ぶべし、十五六よりは折々講堂に出てよみたる書の道理文義を聴べし、二十歳前後よりは自分に書を見て通せざる所に附紙して問へし、先へ学びたる子あとより学ぶ子に文字読を教ふべし、次第おくりにすれば教学共に益ありて、師労せず芸術は上手の師を立べし、上手ならざれば弟子すゝまず、太刀鎗鉄砲等の術其中にあり、鉄砲は目当の稽古ばかりして鹿鳥を打しむべからず、鳥獣を尽しては士の弓矢にて身を堅固にし、手足を達者にする狩の用に害あり、八歳より三十まで是の如く習はすときは、士文武に達し国用軍用備はれり、其中道徳に通ずる人あり、才能秀るものあり、天下国家人なき事をうれへず、子の親々もみづから学ばざれども、子の道芸に通ずるを見て心和し、粗理を聞て惑はず、生れ付器用にして終に学はざるものは、老学なれども早く経義に通ずるものあり、学びたる子供やがて人の親となれば老て教ふべし、幼年には悌順を尚び、壮にして行ひ、老後に教へ、五十年の間には君子国となるべし、是日本の中興にあらずや、
書き下し
春は遠乘を第一とす、乘下にも馬上にも弓矢をはなつべからず、馴ざれば弓をさまり難し、夏は水邊を第一とす、川入川渡し馬も人もおよぎを習ふなり、戰陣にて是非なくよき士を失ふは馬川なり、秋は攻馬を第一とす、馬の足を極むべからず、逆乘すべからず、息をよく知るべし、冬は馬をよく飼べし、十一二月に鹿狩して弓馬の達者を習はすべし、後世の狩つめに狩よするは益なし、山より廣塲へ追出し追放し、弓馬の士のかせぎに任するなり、其外に鹿島のねらひあり、是は歩行立のひとりわざなり、是大略なり、數學は各宿々にても學び、又日永く夜長きいとま、心懸次第學校にても學ぶべし、十五六よりは折々講堂に出てよみたる書の道理文義を聽べし、二十歲前後よりは自分に書を見て通せざる所に附紙して問へし、先へ學びたる子あとより學ぶ子に文字讀を敎ふべし、次第おくりにすれば敎學共に益ありて、師勞せず藝術は上手の師を立べし、上手ならざれば弟子すゝまず、太刀鎗鐵砲等の術其中にあり、鐵砲は目當の稽古ばかりして鹿鳥を打しむべからず、鳥獸を盡しては士の弓矢にて身を堅固にし、手足を達者にする狩の用に害あり、八歲より三十まで是の如く習はすときは、士文武に達し國用軍用備はれり、其中道德に通ずる人あり、才能秀るものあり、天下國家人なき事をうれへず、子の親々もみづから學ばざれども、子の道藝に通ずるを見て心和し、粗理を聞て惑はず、生れ付器用にして終に學はざるものは、老學なれども早く經義に通ずるものあり、學びたる子供やがて人の親となれば老て敎ふべし、幼年には悌順を尙び、壯にして行ひ、老後に敎へ、五十年の間には君子國となるべし、是日本の中興にあらずや、
現代語訳
春は遠乗りを第一とする。乗り降りの間も馬上でも、弓矢を放ってはならない。馴れないうちは弓が収まりにくいからだ。夏は水辺を第一とする。川に入り川を渡り、馬も人も泳ぎを習う。戦陣でやむなく良い士を失うのは、馬と川によってである。秋は馬を攻める稽古を第一とする。馬の足を極めてはならない。逆乗りをしてはならない。息をよく知るべきである。冬は馬をよく飼うべきである。十一、十二月に鹿狩りをして、弓馬の達者を習わせるのがよい。後世の、狩り場を詰めて獲物を追い寄せるやり方は益がない。山から広場へ追い出し、追い放って、弓馬の士の腕に任せるのである。そのほかに鹿島のねらいがある。これは徒歩で一人で行う技である。以上が大略である。数学は、各自の宿所でも学び、また日が長く夜が長い暇に、心がけ次第で学校でも学ぶのがよい。十五、六歳からは、折々講堂に出て、読んだ書の道理や文義を聴くのがよい。二十歳前後からは、自分で書を見て、通じない所に付箋をして問うのがよい。先に学んだ子が、あとから学ぶ子に文字の読みを教えるのがよい。順に送ってゆけば、教える者も学ぶ者も益があり、師は労しない。芸術は上手な師を立てるべきである。上手でなければ弟子が進まない。太刀・槍・鉄砲などの術はその中にある。鉄砲は的を狙う稽古だけをして、鹿や鳥を撃たせてはならない。鳥獣を取り尽くしては、士が弓矢で身体を堅固にし、手足を達者にする狩りの用に害がある。八歳から三十歳までこのように習わせれば、士は文武に達し、国用・軍用が備わる。その中には道徳に通じる人も出て、才能の優れた者も出る。天下国家に人がいないことを憂えなくなる。子の親たちも、自分は学ばなくても、子が道と芸に通じるのを見て心が和らぎ、おおよその道理を聞いて惑わない。生まれつき器用で、ついに学ばなかった者は、老いて学んでも早く経書の意味に通じる者がいる。学んだ子供がやがて人の親となれば、老いてから教えるのがよい。幼年には年長に従う心(悌順)を尊び、壮年で行い、老後に教え、五十年のうちには君子の国になるだろう。これが日本の中興ではないだろうか。
解説

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