文武訓 / 文訓下
一暇ある時は、もろこしのふるき法帖にのぞみてうつすも、みな是閑中のたのしみ、几上の淸玩なり。手跡も六藝の一にて、日用に益あるわざなれば、古人のよきすぢを學ぶべし。いやしき俗にならふべからず。古畫を見るも亦めでたし。わが國の人の書ける文字も、いにしへのははるかに今にまさり、もろこしの筆法にかなひていやしからず、中華の人もほめたり。凡古人のなせる文章詩歌書畫などのわざの、其道をきはめたるを見るも、わが心を樂ましめ、理をきはめ知る助とすべし。かゝるわざにも、皆物のことわりありて、これを玩べば樂となり、又、世俗のはかなきあそびにかはりて、益を得ること多し。學者も讀書のいとまに、をりをりはかゝるわざをまなぶも、亦心をなぐさむる助なるべし。是また藝に游ぶの樂ならし。
新字:一暇ある時は、もろこしのふるき法帖にのぞみてうつすも、みな是閑中のたのしみ、几上の清玩なり。手跡も六芸の一にて、日用に益あるわざなれば、古人のよきすぢを学ぶべし。いやしき俗にならふべからず。古画を見るも亦めでたし。わが国の人の書ける文字も、いにしへのははるかに今にまさり、もろこしの筆法にかなひていやしからず、中華の人もほめたり。凡古人のなせる文章詩歌書画などのわざの、其道をきはめたるを見るも、わが心を楽ましめ、理をきはめ知る助とすべし。かゝるわざにも、皆物のことわりありて、これを玩べば楽となり、又、世俗のはかなきあそびにかはりて、益を得ること多し。学者も読書のいとまに、をりをりはかゝるわざをまなぶも、亦心をなぐさむる助なるべし。是また芸に游ぶの楽ならし。
書き下し
一暇ある時は、もろこしのふるき法帖にのぞみてうつすも、みな是閑中のたのしみ、几上の清玩なり。手跡も六芸の一にて、日用に益あるわざなれば、古人のよきすぢを学ぶべし。いやしき俗にならふべからず。古画を見るも亦めでたし。わが国の人の書ける文字も、いにしへのははるかに今にまさり、もろこしの筆法にかなひていやしからず、中華の人もほめたり。凡古人のなせる文章詩歌書画などのわざの、其道をきはめたるを見るも、わが心を楽ましめ、理をきはめ知る助とすべし。かかるわざにも、皆物のことわりありて、これを玩べば楽となり、又、世俗のはかなきあそびにかはりて、益を得ること多し。学者も読書のいとまに、をりをりはかかるわざをまなぶも、亦心をなぐさむる助なるべし。是また芸に游ぶの楽ならし。
現代語訳
暇がある時は、中国の古い法帖に向かって写すのも、みな閑中の楽しみであり、机上の清らかな慰みです。筆跡も六芸の一つで、日用に益のあるわざですから、昔の人のよい筋を学びなさい。卑しい俗に倣ってはいけません。古い絵を見るのもまたよいことです。わが国の人の書いた文字も、昔のものは今よりはるかにまさり、中国の筆法にかなって卑しくなく、中国の人も褒めました。およそ昔の人のなした文章・詩歌・書画などのわざで、その道を極めたものを見るのも、自分の心を楽しませ、理を極め知る助けとしなさい。このようなわざにもみな物の理があって、これを味わえば楽しみとなり、また世俗のはかない遊びと違って益を得ることが多いのです。学者も読書の暇に、折々はこのようなわざを学ぶのも、また心を慰める助けとなるでしょう。これもまた「芸に遊ぶ」楽しみなのでしょう。
解説
この章句が説くこと
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