大学或問 / 『大学或問』子どもの学びの順序と文武の稽古
(問)學校は此の如きのみか、 (答)是大なる事をいふなり、學校は文武を兼習はしむ、されども今の人情時勢三十四十の武士を俄に學に入べからず、武士の子は八九歲より學に入て其子の成易き事よりをしへ、手習ひは一日に一字づゝ習はしむ、筆道に得たる者敎るときは成易し、禮は父兄長者賓客の前へ出る禮容陪膳給仕進退左右送迎うけこたへなどの事なり、十一二より經傳を讀ましむ、一日に一句づゝ敎ふべし、大學之道、在明明德、在親民、在止於至善、此一章を四日に敎ふ、此次は大かた此格に習ふべし、讀むに苦勞になく今少し多くよみたきと思ふほどに敎るなり、八九歲の子はいまだよまざれども、傍にてよむこゑおのづから耳に入て益になるものなり、手習と文字よみと日をかへて敎べし、禮の進退は手習讀書にて欝する氣を轉ずれば同日に敎へ、十三四歲よりは漸く禮の大なるを敎へ、太刀折紙の請取渡、使者となり奏者と成、披露口上など代り〳〵習ふべし、弓矢鞍鐙の請取渡披露等品々あるべし、七五三五々三等、客となり陪膳と成てかはる〳〵習ふべし、其他推て知るべし、又日をかへて音樂ををしへ、八九歲十一二歳の子には笛篳篥笙の譜を唱へしむべし、音律よき師に付て十人も二十人も一度に習ふなり、十二三よりは三管をわかちをしへ、絃は箏よりをしふ、八九歲の子おのづから耳に入て後年の益になるものなり、十四五より弓馬ををしふ、弓は篠張弓の弱きより射させ、馬は木馬よりはじめ、乘下、鞍定め、手綱さばき、手綱引などをよく敎て後、無爲なる馬に繩付、地道をのせ馬より落さぬやうに敎立べし、弓馬ともに道より敎るときは速に成就するものなり、弓馬共に大方達者に成て後、
新字:(問)学校は此の如きのみか、 (答)是大なる事をいふなり、学校は文武を兼習はしむ、されども今の人情時勢三十四十の武士を俄に学に入べからず、武士の子は八九歳より学に入て其子の成易き事よりをしへ、手習ひは一日に一字づゝ習はしむ、筆道に得たる者教るときは成易し、礼は父兄長者賓客の前へ出る礼容陪膳給仕進退左右送迎うけこたへなどの事なり、十一二より経伝を読ましむ、一日に一句づゝ教ふべし、大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善、此一章を四日に教ふ、此次は大かた此格に習ふべし、読むに苦労になく今少し多くよみたきと思ふほどに教るなり、八九歳の子はいまだよまざれども、傍にてよむこゑおのづから耳に入て益になるものなり、手習と文字よみと日をかへて教べし、礼の進退は手習読書にて欝する気を転ずれば同日に教へ、十三四歳よりは漸く礼の大なるを教へ、太刀折紙の請取渡、使者となり奏者と成、披露口上など代り〳〵習ふべし、弓矢鞍鐙の請取渡披露等品々あるべし、七五三五々三等、客となり陪膳と成てかはる〳〵習ふべし、其他推て知るべし、又日をかへて音楽ををしへ、八九歳十一二歳の子には笛篳篥笙の譜を唱へしむべし、音律よき師に付て十人も二十人も一度に習ふなり、十二三よりは三管をわかちをしへ、絃は箏よりをしふ、八九歳の子おのづから耳に入て後年の益になるものなり、十四五より弓馬ををしふ、弓は篠張弓の弱きより射させ、馬は木馬よりはじめ、乗下、鞍定め、手綱さばき、手綱引などをよく教て後、無為なる馬に縄付、地道をのせ馬より落さぬやうに教立べし、弓馬ともに道より教るときは速に成就するものなり、弓馬共に大方達者に成て後、
書き下し
(問)學校は此の如きのみか、 (答)是大なる事をいふなり、學校は文武を兼習はしむ、されども今の人情時勢三十四十の武士を俄に學に入べからず、武士の子は八九歲より學に入て其子の成易き事よりをしへ、手習ひは一日に一字づゝ習はしむ、筆道に得たる者敎るときは成易し、禮は父兄長者賓客の前へ出る禮容陪膳給仕進退左右送迎うけこたへなどの事なり、十一二より經傳を讀ましむ、一日に一句づゝ敎ふべし、大學之道、在明明德、在親民、在止於至善、此一章を四日に敎ふ、此次は大かた此格に習ふべし、讀むに苦勞になく今少し多くよみたきと思ふほどに敎るなり、八九歲の子はいまだよまざれども、傍にてよむこゑおのづから耳に入て益になるものなり、手習と文字よみと日をかへて敎べし、禮の進退は手習讀書にて欝する氣を轉ずれば同日に敎へ、十三四歲よりは漸く禮の大なるを敎へ、太刀折紙の請取渡、使者となり奏者と成、披露口上など代り〳〵習ふべし、弓矢鞍鐙の請取渡披露等品々あるべし、七五三五々三等、客となり陪膳と成てかはる〳〵習ふべし、其他推て知るべし、又日をかへて音樂ををしへ、八九歲十一二歳の子には笛篳篥笙の譜を唱へしむべし、音律よき師に付て十人も二十人も一度に習ふなり、十二三よりは三管をわかちをしへ、絃は箏よりをしふ、八九歲の子おのづから耳に入て後年の益になるものなり、十四五より弓馬ををしふ、弓は篠張弓の弱きより射させ、馬は木馬よりはじめ、乘下、鞍定め、手綱さばき、手綱引などをよく敎て後、無爲なる馬に繩付、地道をのせ馬より落さぬやうに敎立べし、弓馬ともに道より敎るときは速に成就するものなり、弓馬共に大方達者に成て後、
現代語訳
問う。学校は、このようなものだけか。 答える。これは大きなことを言ったのである。学校は文と武を兼ねて習わせる。しかし、今の人情と時勢では、三十、四十の武士をにわかに学に入れることはできない。武士の子は八、九歳から学に入れ、その子のなりやすいことから教える。手習いは一日に一字ずつ習わせる。筆の道に優れた者が教えれば成りやすい。礼は、父兄・年長者・客の前に出る礼の姿、配膳・給仕、進退、左右の作法、送迎、受け答えなどである。十一、二歳から経書・伝を読ませる。一日に一句ずつ教えるのがよい。「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民に親しむに在り、至善に止まるに在り」という、この一章を四日で教える。このあとは、おおよそこの調子に倣うのがよい。読むのに苦労にならず、もう少し多く読みたいと思うほどで教えるのである。八、九歳の子はまだ読めなくても、傍らで読む声が自然に耳に入って益になる。手習いと文字読みは日を変えて教える。礼の進退は、手習いや読書で鬱した気を転じるために、同じ日に教える。十三、四歳からは、しだいに大きな礼を教え、太刀や折紙の受け渡し、使者となり、奏者となり、披露や口上などを、代わる代わる習わせる。弓矢・鞍・鐙の受け渡しや披露など、いろいろあるはずだ。七五三・五々三などの膳の作法は、客となり、配膳役となって交代で習う。その他は推して知るべきである。また日を変えて音楽を教え、八、九歳、十一、二歳の子には、笛・篳篥・笙の譜を唱えさせる。音律の良い師につけて、十人も二十人も一度に習うのである。十二、三歳からは三管(笛・篳篥・笙)を分けて教え、弦楽器は箏から教える。八、九歳の子も自然に耳に入って、後年の益になる。十四、五歳から弓と馬を教える。弓は篠張弓の弱いものから射させ、馬は木馬から始め、乗り降り、鞍の据え方、手綱さばき、手綱引きなどをよく教えたあと、おとなしい馬に縄を付け、平らな道を乗せ、落馬させないように教え育てるのがよい。弓馬とも、基本の道から教えれば、速やかに上達する。弓馬ともおおかた達者になったあとで、
解説

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