大学或問 / 『大学或問』僧の堕落と仏法再興の道
十六佛法再興の事、 (問)佛法は其國西域にも唐土にも我邦の今の樣に繁昌なる事なし、然かるに佛法再興とは何ぞや、 (答)堂寺の多きと出家の多きとを以て見れば、佛法出來てより已來、今の此方のやうなるはなし、佛法を以て見れば破滅の時至れり、出家も少し心あるものは今の僧は盜賊なりといへり、眞實に佛法によりて出家したるものは萬人に百人ならん、其次は其身かたはなるか士農工商の一人の働きならざる者は是非なく出家したるもの萬人に千人もあらん、其外は皆渡世の爲に姦謀をなして婬欲肉食に飽たる事在家に勝れり、同宿諸化江湖などゝて大寺に寄居者多くは惡人盜賊なりといへり、在家の者知て指しいへり、北狄來るか大飢饉にて盜賊となるものは此數十萬人の出家ならん、今吉利支丹の寺請に貧なるものは迷惑し、貧にあらねど少し目の明たる者はきのどくに思ひ居れり、其故は貧なるものは出家に金銀をあたへざれば寺請に立ぬ事を迷惑し、目のあきたる者は不義不作法の出家なれども是非なく檀那とする事をきのどくにおもへり、北狄の騷ぎか亂世の時至りなば、吉利支丹の改めする人もあるまじければ、出家をたのみ金銀あたふるものすくなからん、愚癡にして信じたるものも、信ぜざるものゝ多きにひかれ、且つ亂世の不自由なるによりて寺の務おろそかならん、萬人に百人の眞の出家は其時とても法力にて今日の飢はすくはるべし、千人の人たらざる出家も人のあはれみにてかつ〳〵乞食し暮すもあるべし、餓死するもあるべし、其外は盜賊と成て亡ぶべし、堂寺は一度燒れなば二たび建事あらじ、殘たるも狐狸の栖と成べし、出家の無道にて盛なるは亡ぶべき天命ならずや、此必然の理をしらでいつまでもかくのごとく繁昌ならんと思へるははかなき事なり、山林は荒たり人の信はなし、亂世の兵粮に迷惑して公儀並に諸矦も堂寺建立の力あるべからず、吉利支丹請の益なき事に貴賤退屈しぬれば、兵亂の紛れに寺請取人もあるまじ、今富人名聞まじりに出家に大分の金銀をあたへ、堂寺建るも金銀は皆盜賊にとられ、一命をも失ふべければ叶ふまじ、山林此の如く荒れ川々かくのごとく淺くなりては、世の中つゞかず、出家此の如く無道の奢も續くべからず、此二の爲にも大變遠からじ、亂世となりて一二百年せば山林もとのごとく茂り、川々昔の如く深く成べし、其間佛法の無道の繁昌亡び、眞の道心のみありて佛法も亦再興せんか、天これを格す時は一たび兵亂を以てす、其中間一二百年いたましき事多かるべし、人道より仁政を以て格すときは、貴賤ともにさかしまにかゝれるものをとくがごくにて、悅樂中に昔にかへるなり、
新字:十六仏法再興の事、 (問)仏法は其国西域にも唐土にも我邦の今の様に繁昌なる事なし、然かるに仏法再興とは何ぞや、 (答)堂寺の多きと出家の多きとを以て見れば、仏法出来てより已来、今の此方のやうなるはなし、仏法を以て見れば破滅の時至れり、出家も少し心あるものは今の僧は盗賊なりといへり、真実に仏法によりて出家したるものは万人に百人ならん、其次は其身かたはなるか士農工商の一人の働きならざる者は是非なく出家したるもの万人に千人もあらん、其外は皆渡世の為に姦謀をなして婬欲肉食に飽たる事在家に勝れり、同宿諸化江湖などゝて大寺に寄居者多くは悪人盗賊なりといへり、在家の者知て指しいへり、北狄来るか大飢饉にて盗賊となるものは此数十万人の出家ならん、今吉利支丹の寺請に貧なるものは迷惑し、貧にあらねど少し目の明たる者はきのどくに思ひ居れり、其故は貧なるものは出家に金銀をあたへざれば寺請に立ぬ事を迷惑し、目のあきたる者は不義不作法の出家なれども是非なく檀那とする事をきのどくにおもへり、北狄の騷ぎか乱世の時至りなば、吉利支丹の改めする人もあるまじければ、出家をたのみ金銀あたふるものすくなからん、愚痴にして信じたるものも、信ぜざるものゝ多きにひかれ、且つ乱世の不自由なるによりて寺の務おろそかならん、万人に百人の真の出家は其時とても法力にて今日の飢はすくはるべし、千人の人たらざる出家も人のあはれみにてかつ〳〵乞食し暮すもあるべし、餓死するもあるべし、其外は盗賊と成て亡ぶべし、堂寺は一度焼れなば二たび建事あらじ、残たるも狐狸の栖と成べし、出家の無道にて盛なるは亡ぶべき天命ならずや、此必然の理をしらでいつまでもかくのごとく繁昌ならんと思へるははかなき事なり、山林は荒たり人の信はなし、乱世の兵粮に迷惑して公儀並に諸矦も堂寺建立の力あるべからず、吉利支丹請の益なき事に貴賤退屈しぬれば、兵乱の紛れに寺請取人もあるまじ、今富人名聞まじりに出家に大分の金銀をあたへ、堂寺建るも金銀は皆盗賊にとられ、一命をも失ふべければ叶ふまじ、山林此の如く荒れ川々かくのごとく浅くなりては、世の中つゞかず、出家此の如く無道の奢も続くべからず、此二の為にも大変遠からじ、乱世となりて一二百年せば山林もとのごとく茂り、川々昔の如く深く成べし、其間仏法の無道の繁昌亡び、真の道心のみありて仏法も亦再興せんか、天これを格す時は一たび兵乱を以てす、其中間一二百年いたましき事多かるべし、人道より仁政を以て格すときは、貴賤ともにさかしまにかゝれるものをとくがごくにて、悦楽中に昔にかへるなり、
書き下し
十六佛法再興の事、 (問)佛法は其國西域にも唐土にも我邦の今の樣に繁昌なる事なし、然かるに佛法再興とは何ぞや、 (答)堂寺の多きと出家の多きとを以て見れば、佛法出來てより已來、今の此方のやうなるはなし、佛法を以て見れば破滅の時至れり、出家も少し心あるものは今の僧は盜賊なりといへり、眞實に佛法によりて出家したるものは萬人に百人ならん、其次は其身かたはなるか士農工商の一人の働きならざる者は是非なく出家したるもの萬人に千人もあらん、其外は皆渡世の爲に姦謀をなして婬欲肉食に飽たる事在家に勝れり、同宿諸化江湖などゝて大寺に寄居者多くは惡人盜賊なりといへり、在家の者知て指しいへり、北狄來るか大飢饉にて盜賊となるものは此數十萬人の出家ならん、今吉利支丹の寺請に貧なるものは迷惑し、貧にあらねど少し目の明たる者はきのどくに思ひ居れり、其故は貧なるものは出家に金銀をあたへざれば寺請に立ぬ事を迷惑し、目のあきたる者は不義不作法の出家なれども是非なく檀那とする事をきのどくにおもへり、北狄の騷ぎか亂世の時至りなば、吉利支丹の改めする人もあるまじければ、出家をたのみ金銀あたふるものすくなからん、愚癡にして信じたるものも、信ぜざるものゝ多きにひかれ、且つ亂世の不自由なるによりて寺の務おろそかならん、萬人に百人の眞の出家は其時とても法力にて今日の飢はすくはるべし、千人の人たらざる出家も人のあはれみにてかつ〳〵乞食し暮すもあるべし、餓死するもあるべし、其外は盜賊と成て亡ぶべし、堂寺は一度燒れなば二たび建事あらじ、殘たるも狐狸の栖と成べし、出家の無道にて盛なるは亡ぶべき天命ならずや、此必然の理をしらでいつまでもかくのごとく繁昌ならんと思へるははかなき事なり、山林は荒たり人の信はなし、亂世の兵粮に迷惑して公儀並に諸矦も堂寺建立の力あるべからず、吉利支丹請の益なき事に貴賤退屈しぬれば、兵亂の紛れに寺請取人もあるまじ、今富人名聞まじりに出家に大分の金銀をあたへ、堂寺建るも金銀は皆盜賊にとられ、一命をも失ふべければ叶ふまじ、山林此の如く荒れ川々かくのごとく淺くなりては、世の中つゞかず、出家此の如く無道の奢も續くべからず、此二の爲にも大變遠からじ、亂世となりて一二百年せば山林もとのごとく茂り、川々昔の如く深く成べし、其間佛法の無道の繁昌亡び、眞の道心のみありて佛法も亦再興せんか、天これを格す時は一たび兵亂を以てす、其中間一二百年いたましき事多かるべし、人道より仁政を以て格すときは、貴賤ともにさかしまにかゝれるものをとくがごくにて、悅樂中に昔にかへるなり、
現代語訳
十六 仏法再興のこと 問う。仏法は、その本国の西域にも中国にも、我が国の今のように繁昌しているところはない。それなのに仏法再興とはどういうことか。 答える。堂寺の多さと出家の多さから見れば、仏法が起こって以来、今の我が国のようなことはない。しかし仏法の本来から見れば、破滅の時が来ている。出家でも少し心ある者は「今の僧は盗賊である」という。真実に仏法によって出家した者は、万人に百人だろう。その次は、その身が不具か、士農工商の一人前の働きができない者がやむなく出家したもので、万人に千人もいるだろう。その他は皆、渡世のために悪巧みをして、淫欲・肉食に飽きていることは在家より甚だしい。同宿・諸化・江湖などといって大寺に寄居する者は、多くは悪人盗賊であるという。在家の者は知っていて指さしていう。北狄が来るか大飢饉で盗賊となる者は、この数十万人の出家だろう。いま吉利支丹の寺請で、貧しい者は迷惑し、貧しくなくても少し目の開いた者は気の毒に思っている。そのわけは、貧しい者は出家に金銀を与えなければ寺請に立ってもらえないことを迷惑とし、目の開いた者は不義不作法の出家でもやむなく檀那とすることを気の毒に思うからである。北狄の騒ぎか乱世の時が来れば、吉利支丹の改めをする人もいなくなるので、出家を頼み金銀を与える者は少なくなるだろう。愚かにして信じていた者も、信じない者の多さに引かれ、かつ乱世の不自由によって、寺の務めはおろそかになるだろう。万人に百人の真の出家は、その時でも法力で今日の飢えを救われるだろう。千人の人でなしの出家も、人の哀れみでどうにか乞食して暮らす者もいるだろう。餓死する者もいるだろう。その他は盗賊となって滅びるだろう。堂寺は一度焼かれれば二度と建つことはない。残ったものも狐狸の住みかとなるだろう。出家の無道で盛んなのは、滅びるべき天命ではないか。この必然の理を知らず、いつまでもこのように繁昌すると思っているのは、はかないことである。山林は荒れ、人の信仰はなく、乱世の兵糧に悩んで、幕府も諸侯も堂寺建立の力はなくなるだろう。吉利支丹請の益のないことに貴賤が嫌気がさせば、兵乱の紛れに寺請をする人もないだろう。いま富人が名聞まじりに出家に多くの金銀を与え、堂寺を建てても、金銀は皆盗賊に取られ、一命をも失うだろうからかなわない。山林がこのように荒れ、川々がこのように浅くなっては、世の中は続かず、出家のこのような無道の奢りも続かない。この二つのためにも大変は遠くない。乱世となって一二百年たてば、山林も元のように茂り、川々も昔のように深くなるだろう。その間に仏法の無道の繁昌は滅び、真の道心だけがあって、仏法もまた再興するだろうか。天がこれを正す時は、一度は兵乱をもってする。その中間の一二百年は痛ましいことが多いだろう。人道から仁政をもって正すときは、逆さまに吊るされた者を解くようなもので、悦楽の中に昔に返るのである。
解説

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