大学或問 / 『大学或問』寺請の廃止と僧の受け皿
(問)今寺請を止て天下の人の信不信に任せば、檀那寺持ざるもの大分ならん、然ば僧は飢に及びなんか、 (答)是故にまづ仁政を先にして餘米を以て粮なき僧を養へり、みだりにみづから出家するものを禁じ、前にいふ所の得度の法行はれば出家するもの千分が一ならん、三十年の間には出家も死て少くなるべし、渡世の爲に是非なく出家したる者多ければ、還俗せしめて渡世だにあらば還俗するもの多かるべし、文字達者なるものは在々所々にて小學の役人ともなるべし、昔は佛法の精進日も一年に一度其月日ばかりなりき、毎月忌日の道理なければなり、出家の作法正しく僧になるもの少き時は、在家一日の忌日にて僧の齋米足ぬべし、出家の作法壞れ僧になるもの多かりしかば一年一度の齋米にて不足故に、毎月精進といふ事始れり、佛法昔の樣に正しくならば、毎月忌日もやみて佛在世の昔にかへるべし、僧少く作法正しくば、貪らずして法力を以て日を送るべし、樹下石上麻衣草坐の昔に返り、戒定惠の三學全くば佛法の再興にあらずや、 (問)王子の多き比丘比丘尼となし給はではせらるべき樣あるまじ、攝家公家の庶子も同し、是は外より押てなさでもかなふまじ如何、 (答)道行はるゝときは王子諸公家の庶子男女ともに多くとも、出家になさでせらるべきやうあり、諸國の風俗の爲にもよかるべし、其事末の條にいへり、
新字:(問)今寺請を止て天下の人の信不信に任せば、檀那寺持ざるもの大分ならん、然ば僧は飢に及びなんか、 (答)是故にまづ仁政を先にして余米を以て粮なき僧を養へり、みだりにみづから出家するものを禁じ、前にいふ所の得度の法行はれば出家するもの千分が一ならん、三十年の間には出家も死て少くなるべし、渡世の為に是非なく出家したる者多ければ、還俗せしめて渡世だにあらば還俗するもの多かるべし、文字達者なるものは在々所々にて小学の役人ともなるべし、昔は仏法の精進日も一年に一度其月日ばかりなりき、毎月忌日の道理なければなり、出家の作法正しく僧になるもの少き時は、在家一日の忌日にて僧の斎米足ぬべし、出家の作法壊れ僧になるもの多かりしかば一年一度の斎米にて不足故に、毎月精進といふ事始れり、仏法昔の様に正しくならば、毎月忌日もやみて仏在世の昔にかへるべし、僧少く作法正しくば、貪らずして法力を以て日を送るべし、樹下石上麻衣草坐の昔に返り、戒定恵の三学全くば仏法の再興にあらずや、 (問)王子の多き比丘比丘尼となし給はではせらるべき様あるまじ、摂家公家の庶子も同し、是は外より押てなさでもかなふまじ如何、 (答)道行はるゝときは王子諸公家の庶子男女ともに多くとも、出家になさでせらるべきやうあり、諸国の風俗の為にもよかるべし、其事末の条にいへり、
書き下し
(問)今寺請を止て天下の人の信不信に任せば、檀那寺持ざるもの大分ならん、然ば僧は飢に及びなんか、 (答)是故にまづ仁政を先にして餘米を以て粮なき僧を養へり、みだりにみづから出家するものを禁じ、前にいふ所の得度の法行はれば出家するもの千分が一ならん、三十年の間には出家も死て少くなるべし、渡世の爲に是非なく出家したる者多ければ、還俗せしめて渡世だにあらば還俗するもの多かるべし、文字達者なるものは在々所々にて小學の役人ともなるべし、昔は佛法の精進日も一年に一度其月日ばかりなりき、毎月忌日の道理なければなり、出家の作法正しく僧になるもの少き時は、在家一日の忌日にて僧の齋米足ぬべし、出家の作法壞れ僧になるもの多かりしかば一年一度の齋米にて不足故に、毎月精進といふ事始れり、佛法昔の樣に正しくならば、毎月忌日もやみて佛在世の昔にかへるべし、僧少く作法正しくば、貪らずして法力を以て日を送るべし、樹下石上麻衣草坐の昔に返り、戒定惠の三學全くば佛法の再興にあらずや、 (問)王子の多き比丘比丘尼となし給はではせらるべき樣あるまじ、攝家公家の庶子も同し、是は外より押てなさでもかなふまじ如何、 (答)道行はるゝときは王子諸公家の庶子男女ともに多くとも、出家になさでせらるべきやうあり、諸國の風俗の爲にもよかるべし、其事末の條にいへり、
現代語訳
問う。いま寺請をやめ、天下の人の信不信に任せるなら、檀那寺を持たない者が大勢になるだろう。そうすると僧は飢えに及ぶのではないか。 答える。そのためにまず仁政を先にして、余った米で食糧のない僧を養う。みだりに自ら出家する者を禁じ、前に述べた得度の法が行われれば、出家する者は千分の一になるだろう。三十年のうちには出家も死んで少なくなる。渡世のためにやむなく出家した者が多ければ、還俗させ、渡世の道さえあれば還俗する者は多いだろう。文字の達者な者は、村々所々で小学の役人にもなるだろう。昔は仏法の精進日も、一年に一度その月日だけであった。毎月の忌日の道理はないからである。出家の作法が正しく、僧になる者が少ないときは、在家の一日の忌日で僧の斎米が足りた。出家の作法が崩れ、僧になる者が多くなったので、一年に一度の斎米では不足するため、毎月の精進ということが始まった。仏法が昔のように正しくなれば、毎月の忌日もやみ、仏在世の昔に返るだろう。僧が少なく作法が正しければ、貪らずに法力で日を送るだろう。樹下石上・麻衣草坐の昔に返り、戒・定・慧の三学が全うされるなら、仏法の再興ではないか。 問う。王子が多い場合は比丘・比丘尼にしなければ、やりようがないだろう。摂家・公家の庶子も同じである。これは外から押してそうしなくてはかなうまい。どうか。 答える。道が行われるときは、王子・諸公家の庶子が男女ともに多くても、出家にしなくてもやっていく方法がある。諸国の風俗のためにもよいだろう。そのことは末の条で述べる。
解説

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