大学或問 / 『大学或問』異国の絹と本邦の養蚕
十四異國の絲卷物地能下直に成るべき事、附十年十五年の間には本邦に絲綿多くなりよき絹出來べき事、 (問)異國の絲卷物渡らず、本邦にて出來べき政はいかゞ、 (答)本邦にて蠶し絲取事は、民間のいそがはしき中にて農業と取まぜてする故に、よき綿よき絲出來がたし、其上少なくして用るに足らず、武士の妻子大身は無用の遊びに日をくらし、小身は益なき事に勞して暇なし、道行はれ式定る時は、小身はいとまありて勞せず、大身は道藝を樂みて女事を思ふ、此時にあたりて人々の屋敷の垣並に空地に桑をうゑて蠶すべし、よき人の手に出來のみならず、隙にあかせてせは〳〵しからざれば、年をかさねて女事くはしくなり、いかやうの絲織物も出來べし、今綿にて糸を取によき人のとるは色白くうつくし、同し綿なれども其下の人のとるは格別おとれるにて知るべし、然れども今より桑をうゑて盛に出來る間、十年十五年は異國より渡さでは事欠べし、昔のごとく長崎平戶兩津にして地よき物渡り下直にもなるべし、後とても藥種に取交て今の五十分一許づゝは渡す事もあるべし、日本國中に絹綿澤山にならば、士已上並に農工商の富有なるものは絹を着るべければ、田の木綿やみ昔のごとく畠のみに作るとも、貧者並に下々は木綿澤山に着すべし、 (問)異國もの下直になりて地よき事いかゞ、 (答)道行はるれば事明らかになり、奉行の心も商人の心も改るものなれば、其節に臨て事改るべし、平戶の津止み長崎一津に成て後此の如くあしくなりたれば、此所事の改るべき初めならん、扨異國人に財寶を遣はせ日本に金銀の留るやうにとする事あしゝ、財寶をつかへはそれほど卷物の地あしく、又高直にして費を取かへすものなれば、却て我邦の費となれり、此方の津にて隨分財寶をつかはせぬやうにし、異國人の手より買たるもの再び賣らせず、直に京の吳服所へ渡し、其身の渡世ほどに少し利を取制法あらば絲卷物は下直ならんといへり、紗綾綸子縮緬數すくなく高直にして地よきものを渡すやうにせば、異國へわたす金はすくなくして本邦の爲によかるべし、異人國の手前は高直なるとも、本邦にて再賣などの手くろなくは、京に着は下直にあたるべしといへり、異國人を買殺す樣にせしかば其のちは地をあしくしてわたり、其あしきは習と成て今は下直にもなく、双方共に習あしき事多しといへり、
新字:十四異国の糸巻物地能下直に成るべき事、附十年十五年の間には本邦に糸綿多くなりよき絹出来べき事、 (問)異国の糸巻物渡らず、本邦にて出来べき政はいかゞ、 (答)本邦にて蠶し糸取事は、民間のいそがはしき中にて農業と取まぜてする故に、よき綿よき糸出来がたし、其上少なくして用るに足らず、武士の妻子大身は無用の遊びに日をくらし、小身は益なき事に労して暇なし、道行はれ式定る時は、小身はいとまありて労せず、大身は道芸を楽みて女事を思ふ、此時にあたりて人々の屋敷の垣並に空地に桑をうゑて蠶すべし、よき人の手に出来のみならず、隙にあかせてせは〳〵しからざれば、年をかさねて女事くはしくなり、いかやうの糸織物も出来べし、今綿にて糸を取によき人のとるは色白くうつくし、同し綿なれども其下の人のとるは格別おとれるにて知るべし、然れども今より桑をうゑて盛に出来る間、十年十五年は異国より渡さでは事欠べし、昔のごとく長崎平戸両津にして地よき物渡り下直にもなるべし、後とても薬種に取交て今の五十分一許づゝは渡す事もあるべし、日本国中に絹綿沢山にならば、士已上並に農工商の富有なるものは絹を着るべければ、田の木綿やみ昔のごとく畠のみに作るとも、貧者並に下々は木綿沢山に着すべし、 (問)異国もの下直になりて地よき事いかゞ、 (答)道行はるれば事明らかになり、奉行の心も商人の心も改るものなれば、其節に臨て事改るべし、平戸の津止み長崎一津に成て後此の如くあしくなりたれば、此所事の改るべき初めならん、扨異国人に財宝を遣はせ日本に金銀の留るやうにとする事あしゝ、財宝をつかへはそれほど巻物の地あしく、又高直にして費を取かへすものなれば、却て我邦の費となれり、此方の津にて随分財宝をつかはせぬやうにし、異国人の手より買たるもの再び売らせず、直に京の呉服所へ渡し、其身の渡世ほどに少し利を取制法あらば糸巻物は下直ならんといへり、紗綾綸子縮緬数すくなく高直にして地よきものを渡すやうにせば、異国へわたす金はすくなくして本邦の為によかるべし、異人国の手前は高直なるとも、本邦にて再売などの手くろなくは、京に着は下直にあたるべしといへり、異国人を買殺す様にせしかば其のちは地をあしくしてわたり、其あしきは習と成て今は下直にもなく、双方共に習あしき事多しといへり、
書き下し
十四異國の絲卷物地能下直に成るべき事、附十年十五年の間には本邦に絲綿多くなりよき絹出來べき事、 (問)異國の絲卷物渡らず、本邦にて出來べき政はいかゞ、 (答)本邦にて蠶し絲取事は、民間のいそがはしき中にて農業と取まぜてする故に、よき綿よき絲出來がたし、其上少なくして用るに足らず、武士の妻子大身は無用の遊びに日をくらし、小身は益なき事に勞して暇なし、道行はれ式定る時は、小身はいとまありて勞せず、大身は道藝を樂みて女事を思ふ、此時にあたりて人々の屋敷の垣並に空地に桑をうゑて蠶すべし、よき人の手に出來のみならず、隙にあかせてせは〳〵しからざれば、年をかさねて女事くはしくなり、いかやうの絲織物も出來べし、今綿にて糸を取によき人のとるは色白くうつくし、同し綿なれども其下の人のとるは格別おとれるにて知るべし、然れども今より桑をうゑて盛に出來る間、十年十五年は異國より渡さでは事欠べし、昔のごとく長崎平戶兩津にして地よき物渡り下直にもなるべし、後とても藥種に取交て今の五十分一許づゝは渡す事もあるべし、日本國中に絹綿澤山にならば、士已上並に農工商の富有なるものは絹を着るべければ、田の木綿やみ昔のごとく畠のみに作るとも、貧者並に下々は木綿澤山に着すべし、 (問)異國もの下直になりて地よき事いかゞ、 (答)道行はるれば事明らかになり、奉行の心も商人の心も改るものなれば、其節に臨て事改るべし、平戶の津止み長崎一津に成て後此の如くあしくなりたれば、此所事の改るべき初めならん、扨異國人に財寶を遣はせ日本に金銀の留るやうにとする事あしゝ、財寶をつかへはそれほど卷物の地あしく、又高直にして費を取かへすものなれば、却て我邦の費となれり、此方の津にて隨分財寶をつかはせぬやうにし、異國人の手より買たるもの再び賣らせず、直に京の吳服所へ渡し、其身の渡世ほどに少し利を取制法あらば絲卷物は下直ならんといへり、紗綾綸子縮緬數すくなく高直にして地よきものを渡すやうにせば、異國へわたす金はすくなくして本邦の爲によかるべし、異人國の手前は高直なるとも、本邦にて再賣などの手くろなくは、京に着は下直にあたるべしといへり、異國人を買殺す樣にせしかば其のちは地をあしくしてわたり、其あしきは習と成て今は下直にもなく、双方共に習あしき事多しといへり、
現代語訳
十四 異国の糸巻物(絹織物)が品質よく安価になること、付けたり、十年十五年のうちに我が国に糸・綿が多くなり良い絹ができること 問う。異国の糸巻物が渡来せず、我が国で生産できるような政治はどうか。 答える。我が国で蚕を飼い糸を取ることは、民間の忙しい中で農業と取り混ぜてするので、よい綿・よい糸ができにくい。そのうえ量が少なくて用を足すに足りない。武士の妻子は、大身は無用の遊びに日を暮らし、小身は益のないことに労して暇がない。道が行われ制度が定まれば、小身は暇があって苦労せず、大身は道芸を楽しんで女の仕事を思うだろう。このときに人々が屋敷の垣や空き地に桑を植えて蚕を飼うのがよい。よい人の手で出来るだけでなく、暇にまかせて慌ただしくせずにするので、年を重ねて女の仕事が詳しくなり、どんな糸織物もできるようになるだろう。いま綿から糸を取るにも、よい人が取るのは色が白く美しく、同じ綿でもそれより下の人が取るのは格別に劣ることで分かる。しかし今から桑を植えて盛んに出来るようになるまでの間、十年十五年は異国から渡さなければ事欠くだろう。昔のように長崎・平戸の両津で品質のよい物が渡り、安くもなるだろう。その後でも薬種に取り交ぜて、今の五十分の一ほどずつは渡ることもあるだろう。日本中に絹・綿が沢山になれば、士以上並びに農工商の富有な者は絹を着るはずなので、田の木綿をやめ昔のように畑だけに作るとしても、貧者や下々の者は木綿を沢山着られるだろう。 問う。異国の物が安くなって品質がよくなるとはどういうことか。 答える。道が行われれば事が明らかになり、奉行の心も商人の心も改まるものなので、その時に臨んで事を改めればよい。平戸の津が止んで長崎一津になって後、このように悪くなったのだから、ここが事の改まるべき初めだろう。さて異国人に財宝を遣わし、日本に金銀が留まるようにすることは悪い。財宝を使えばそれだけ巻物の質が悪く、また高値にして費用を取り返すので、かえって我が国の費えとなった。こちらの津でなるべく財宝を遣わさないようにし、異国人の手から買った物は再び売らせず、直接京の呉服所へ渡し、その身の暮らし向き程度に少し利を取る制度があれば、糸巻物は安くなるといった。紗綾・綸子・縮緬を数少なく高値にして品質のよい物を渡すようにすれば、異国へ渡す金は少なくて我が国のためによいだろう。異国人の側では高値であっても、我が国で転売などの細工がなければ、京に着いては安値にあたるといった。異国人を買い叩くようにしたため、その後は品質を悪くして渡り、その悪いのが習いとなって今は安値でもなく、双方とも悪い習いが多いといった。
解説

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