大学或問 / 『大学或問』農兵に返す手順と士の土着
十二農兵の昔にかへるべき事、 (問)かくのごとく農と兵と分れたる事久し、昔にかへさん事かたからずや、 (答)其道を得ざれは甚だ難し、其道を得れは易し、若仁心仁聞ある君出給ひても、あしくゆるめあしく施し給はゝかへさん事難かるべし、前にいふ所の仁政も行はるべからず、 (問)あしく施しあしくゆるむとは何ぞや、 (答)諸大名在江戸三年に一度五十日の古法にかへし給ふとも、たゞにかへし給はゝ國々にて私の奢生し、東に减し西に生するごとくならば何の益もあるまじ、親の子の所帶を下知するごとく、公儀より下知せられば、前に云所の仁政行はれ事調て後、又餘りて置所なき米穀を以て農兵に返し給はん事易かるべし、是は士も民も悅ぶやうになくてはかへしがたし、先民間の借物返したまはり、質の田地取返し、賣たる田地も上より元銀にて買戾し給はるべし、是買たるもの田畠多くは賣たる者のすくなき方へ給はるべし、若賣たる者田畠猶多く買たる者すくなきは其まゝ買たるものゝ地と成べし、其上に士を民間に入さまに成て、民に免一寸ゆるし給ふべし、此の如く自然に高免に成て民の悴たるは士とはなれたる故なり、士の在々に在付やうにすべし、又士の心得にも此後子々孫々生死を共にする譜代の民なれば、民の爲あしからぬやうにたしなむべし、軍役は民をつれて出る事なれば常に人を多くはかゝへず、二ツ成にても三ツ成にても足るべし、使番もなく公用の勤もなし、同村隣里の士と徃來するにも臺所へ入てかたるやうに成なれば、客に人つかはるゝ事もなく、少づゝの手作りすれば菜園の草を取やうなる事、慰の養生に下人の手傳ひし、山野に獵し川澤に漁し、風雨霜雪をいとはず文武の藝をつとめ、君の干城となるべき武夫ならん、くはしき事は其時にあたりて制法あるべし、高知のものゝ子多きは子供にわかちてよきほどのなみ出來ぬべし、子々孫々に至りては士共に作人となりて十一の貢に歸すべし、其時は郡奉行代官の役おもし、今の代官にては治むべからず、士大將與頭といふもの村里をわけて預り、眞の君の御代官なるべし、
新字:十二農兵の昔にかへるべき事、 (問)かくのごとく農と兵と分れたる事久し、昔にかへさん事かたからずや、 (答)其道を得ざれは甚だ難し、其道を得れは易し、若仁心仁聞ある君出給ひても、あしくゆるめあしく施し給はゝかへさん事難かるべし、前にいふ所の仁政も行はるべからず、 (問)あしく施しあしくゆるむとは何ぞや、 (答)諸大名在江戸三年に一度五十日の古法にかへし給ふとも、たゞにかへし給はゝ国々にて私の奢生し、東に减し西に生するごとくならば何の益もあるまじ、親の子の所帯を下知するごとく、公儀より下知せられば、前に云所の仁政行はれ事調て後、又余りて置所なき米穀を以て農兵に返し給はん事易かるべし、是は士も民も悦ぶやうになくてはかへしがたし、先民間の借物返したまはり、質の田地取返し、売たる田地も上より元銀にて買戻し給はるべし、是買たるもの田畠多くは売たる者のすくなき方へ給はるべし、若売たる者田畠猶多く買たる者すくなきは其まゝ買たるものゝ地と成べし、其上に士を民間に入さまに成て、民に免一寸ゆるし給ふべし、此の如く自然に高免に成て民の悴たるは士とはなれたる故なり、士の在々に在付やうにすべし、又士の心得にも此後子々孫々生死を共にする譜代の民なれば、民の為あしからぬやうにたしなむべし、軍役は民をつれて出る事なれば常に人を多くはかゝへず、二ツ成にても三ツ成にても足るべし、使番もなく公用の勤もなし、同村隣里の士と往来するにも台所へ入てかたるやうに成なれば、客に人つかはるゝ事もなく、少づゝの手作りすれば菜園の草を取やうなる事、慰の養生に下人の手伝ひし、山野に猟し川沢に漁し、風雨霜雪をいとはず文武の芸をつとめ、君の干城となるべき武夫ならん、くはしき事は其時にあたりて制法あるべし、高知のものゝ子多きは子供にわかちてよきほどのなみ出来ぬべし、子々孫々に至りては士共に作人となりて十一の貢に帰すべし、其時は郡奉行代官の役おもし、今の代官にては治むべからず、士大将与頭といふもの村里をわけて預り、真の君の御代官なるべし、
書き下し
十二農兵の昔にかへるべき事、 (問)かくのごとく農と兵と分れたる事久し、昔にかへさん事かたからずや、 (答)其道を得ざれは甚だ難し、其道を得れは易し、若仁心仁聞ある君出給ひても、あしくゆるめあしく施し給はゝかへさん事難かるべし、前にいふ所の仁政も行はるべからず、 (問)あしく施しあしくゆるむとは何ぞや、 (答)諸大名在江戸三年に一度五十日の古法にかへし給ふとも、たゞにかへし給はゝ國々にて私の奢生し、東に减し西に生するごとくならば何の益もあるまじ、親の子の所帶を下知するごとく、公儀より下知せられば、前に云所の仁政行はれ事調て後、又餘りて置所なき米穀を以て農兵に返し給はん事易かるべし、是は士も民も悅ぶやうになくてはかへしがたし、先民間の借物返したまはり、質の田地取返し、賣たる田地も上より元銀にて買戾し給はるべし、是買たるもの田畠多くは賣たる者のすくなき方へ給はるべし、若賣たる者田畠猶多く買たる者すくなきは其まゝ買たるものゝ地と成べし、其上に士を民間に入さまに成て、民に免一寸ゆるし給ふべし、此の如く自然に高免に成て民の悴たるは士とはなれたる故なり、士の在々に在付やうにすべし、又士の心得にも此後子々孫々生死を共にする譜代の民なれば、民の爲あしからぬやうにたしなむべし、軍役は民をつれて出る事なれば常に人を多くはかゝへず、二ツ成にても三ツ成にても足るべし、使番もなく公用の勤もなし、同村隣里の士と徃來するにも臺所へ入てかたるやうに成なれば、客に人つかはるゝ事もなく、少づゝの手作りすれば菜園の草を取やうなる事、慰の養生に下人の手傳ひし、山野に獵し川澤に漁し、風雨霜雪をいとはず文武の藝をつとめ、君の干城となるべき武夫ならん、くはしき事は其時にあたりて制法あるべし、高知のものゝ子多きは子供にわかちてよきほどのなみ出來ぬべし、子々孫々に至りては士共に作人となりて十一の貢に歸すべし、其時は郡奉行代官の役おもし、今の代官にては治むべからず、士大將與頭といふもの村里をわけて預り、眞の君の御代官なるべし、
現代語訳
十二 農兵の昔に返るべきこと 問う。このように農と兵が分かれて久しい。昔に返すことは難しくはないか。 答える。その道を得なければ非常に難しい。その道を得れば易しい。もし仁の心、仁の聞こえある君が現れても、やり方が悪く、ゆるめ方が悪ければ、返すことは難しいだろう。前に述べた仁政も行われないだろう。 問う。悪い施し方、悪いゆるめ方とは何か。 答える。諸大名の江戸在府を三年に一度五十日という古法に返しなさるとしても、ただ返すだけでは、国々で私的な奢りが生じ、東で減って西で生じるように、何の益もないだろう。親が子の暮らし向きを指図するように、幕府から指図なさるならば、前に述べた仁政が行われ事が整った後に、さらに余って置き所のない米穀を農兵に返しなさるのは易しいだろう。これは武士も民も喜ぶようでなくては返しがたい。まず民間の借りたものを返してやり、質に入った田地を取り戻し、売った田地も上から元値で買い戻してくださるのがよい。この買った者が持つ田畑の多くは、売った者の少ない方に与える。もし売った者の田畑がなお多く、買った者の分が少ないなら、そのまま買った者の地とする。そのうえ武士が民間に入っていくようにして、民に年貢を少し軽くしてやるのがよい。このように自然に年貢率が高くなって民が衰えたのは、武士が民から離れたためである。武士が村々に土着するようにすべきである。また武士の心得としても、今後は子々孫々生死を共にする譜代の民であるから、民のためにならないことのないよう心がけるべきである。軍役は民を連れて出るものなので、ふだんは人を多く抱えず、取り分が二割や三割でも足りる。使い番もなく公用の勤めもない。同じ村や隣里の武士と往来するにも、台所に入って語り合うようになるので、客のために人を使うこともなく、少しずつ自分で耕せば、菜園の草を取るようなことで、慰みと養生になり、下人が手伝い、山野に猟し川や沢で漁し、風雨霜雪をいとわず文武の芸に励み、君の守りとなる武夫となるだろう。詳しいことはそのときに応じて制度が定められるだろう。禄高の多い者に子が多いときは、子供に分けて、ほどよい均衡ができるだろう。子々孫々に至れば、武士もみな耕作人となって十分の一の年貢に帰すべきである。そのときは郡奉行・代官の役が重くなり、今の代官では治められない。士大将・与頭という者が村里を分けて預かり、真の君の代官となるだろう。
解説

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