韓非子 / 飾邪第十九
反國弃龜,明法親民以報吴,則夫差爲擒。故恃鬼神者慢於法,恃諸侯者危其國。
新字:反国弃亀,明法親民以報吴,則夫差為擒。故恃鬼神者慢於法,恃諸侯者危其国。
書き下し
故に鬼神を恃む者は法を慢り、諸侯を恃む者は其の國を危うくす。
現代語訳
したがって、神や占い(鬼神)を頼りにする者は、法(ルール)を軽んじ、他国(諸侯)の援助をあてにする者は、自国(自社)を危険にさらす。
解説
神や占いといった目に見えない力を頼みにする者は、日々の決まりごとを疎かにするようになり、他国の助けをあてにする者は、自分の国をかえって危うくしてしまう、という教えです。頼るべきものを間違えると、身を滅ぼす種になります。運や巡り合わせを頼りにしていると、いつの間にか日々の地道な取り組みや約束事がおろそかになっていきます。また、大きな取引先や親戚の後ろ盾を当てにしすぎると、いざその後ろ盾が離れた時に自分の足元がまるごと崩れてしまいます。家庭でも、実家の援助を当てにしすぎて自分たちの家計の工夫を怠ってしまえば、いざという時に立ち行かなくなります。本当に頼るべきは、外側にある運や他人の力ではなく、自分たちの内側にある地道な決まりと日々の積み重ねなのです。
この章句が説くこと
自力コアコンピタンス他者依存リスク管理内製化
関連する章句
-
『韓非子』十過第十内力を量らず、外諸侯を恃むは、則ち國を削るの患いなり。
-
孫子・九地篇四五なる者、一を知らざれば、霸王の兵に非ざるなり。夫れ霸王の兵は、大国を伐てば、則ち其の衆聚まるを得ず。威を敵に加うれば、則ち其の交合するを得ず。是の故に天下の交を争わず、天下の権を養わず、己の私を信じ、威を敵に加う。則ち其の城抜くべく、其の国隳るべし。
-
『韓非子』忠孝第五十一王とは獨行する、之を王と謂う。・・・内を治めて以て外を裁するのみ。
-
二宮翁夜話・巻之四翁曰く、論語に曰(いわ)く、信なれば則(すなわ)ち民(たみ)任ずと、児(こ)の母に於(お)ける、己(おのれ)何程(なにほど)に大切と思う物にても、疑(うたが)わずして母には預(あず)くる物なり、是(これ)母の信、児に通ずればなり、予(よ)が先君に於けるまた同じ、予が桜町仕法の委任(いにん)は、心組(こころぐみ)の次第一々申し立つるに及ばず、年々の出納計算するに及ばず、十ヶ年の間任(まか)せ置く者なりとあり、是予が身を委(ゆだ)ねて、桜町に来りし所以(ゆえん)なり、扨(さて)此(こ)の地に来り、如何(いか)にせんと熟考(じゅっこう)するに、皇国開闢(かいびゃく)の昔、外国より資本を借りて、開きしにあらず、皇国は、皇国の徳沢(とくたく)にて、開きたるに相違なき事を、発明したれば、本藩の下附金(かふきん)を謝絶(しゃぜつ)し、近郷富家に借用を頼まず、此の四千石の地の外をば、海外と見做(みな)し、吾(われ)神代(かみよ)の古(いにしえ)に、豊葦原(とよあしはら)へ天降(あまくだ)りしと決心し、皇国は皇国の徳沢にて開く道こそ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の足跡なれと思い定めて、一途に開闢元始の大道に拠(よ)りて、勉強せしなり、夫(それ)開闢の昔、芦原(あしはら)に一人天降りしと覚悟する時は、流水に潔身(みそぎ)せし如く、潔(いさぎよ)き事限りなし、何事をなすにも此の覚悟を極むれば、依頼(いらい)心なく、卑怯卑劣(ひきょうひれつ)の心なく、何を見ても、浦山敷(うらやましき)事なく、心中清浄なるが故に、願いとして成就(じょうじゅ)せずと云う事なきの場に至るなり、この覚悟、事を成すの大本なり、我が悟道(ごどう)の極意なり、此の覚悟定まれば、衰村(すいそん)を起すも、廃家を興(おこ)すもいと易(やす)し、只此の覚悟一つのみ。
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、富と貧とは、元(もと)遠(とお)く隔(へだ)つ物にあらず、只(ただ)少しの隔(へだたり)なり、其本源(ほんげん)只一つの心得(こころえ)にあり、貧者は昨日の為に今日勤め、昨年の為に今年勤む、故に終身(しゅうしん)苦(くる)しんで其功なし、富者は明日の為に今日勤め、来年の為に今年勤め、安楽自在(あんらくじざい)にして、成す事成就(じょうじゅ)せずと云ふ事なし、然(しか)るを世の人、今日飲む酒無き時は、借りて飲み、今日食ふ米なき時は、又借りて食ふ、是(これ)貧窮(ひんきゅう)すべき元因(もといん)なり、今日薪(たきぎ)を取りて、明朝(みょうちょう)飯(めし)を炊(た)き、今夜繩(なわ)を索(な)ふて、明日籬(まがき)を結(むす)ばば、安心にして、差支(さしつか)へなし、然るを貧者の仕方は、明日取る薪にて、今夕(こんせき)の飯を炊かんとし、明夜索ふ繩を以て、今日籬を結ばんとするが如し、故に苦しんで功成らず、故に予(よ)常に曰く、貧者草を刈らんとする時、鎌(かま)なし、之を隣(となり)に借りて、草を刈る常の事なり、是貧窮を免(まぬか)るる事能(あた)はざるの元因なり、鎌なくば先(ま)づ日雇取(ひやといと)りを為すべし、此賃銭(ちんせん)を以て、鎌を買ひ求(もと)め、然る後に草を刈るべし、此道は則(すなわ)ち開闢元始(かいびゃくげんし)の大道に基(もとづ)く物なるが故に、卑怯(ひきょう)卑劣(ひれつ)の心なし、是神代(かみよ)の古(いにしえ)、豊芦原(とよあしはら)に天降(あまくだ)りし時の、神の御心(みこころ)なり、故に此心ある者は、富貴(ふうき)を得、此心無き者は、富貴を得る事能はず
-
老子・第64章其の安きは持し易く、其の未だ兆さざるは謀り易く、其の脆きは泮け易く、其の微なるは散じ易し。之を未だ有らざるに為し、之を未だ乱れざるに治む。合抱の木も毫末より生じ、九層の台も累土より起こり、千里の行も足下より始まる。為す者は之を敗り、執る者は之を失う。是を以て聖人は無為なる故に敗るること無く、無執なる故に失うこと無し。民の事に従うや、常に幾ど成らんとして之を敗る。終わりを慎むこと始めの如くなれば、則ち事を敗ること無し。是を以て聖人は欲せざるを欲し、得難きの貨を貴ばず。学ばざるを学び、衆人の過ぐる所に復る。以て万物の自然を輔けて、敢えて為さず。