大学或問 / 『大学或問』地なし高と新知加増の仁政
十三地なし高をやめ、並に新知加增に仁政ある事、 (問)諸國に地なし高といふ事あり、民の困窮地頭の損なり、無理なる事にあらずや、 (答)然り、檢地とは箇樣の無理を除くべき爲なり、給人にも其地なし高を高に結びて給れば除くべき樣なし、地なし高を持たる人に加增給はる時、高加增或は物成を加增にして給へば、則地なし高は除かるゝなり、公儀の藏所の地なしは、多は除かれて同し事なり、其外も仁政の餘慶を以て除かるべき事易し、又運上を高に結びて給はりてあしき事あり、若狹の小濱より近江の湖水へ米を附越駄賃の運上を高にむすびて有故、國主より許す事あたはず、是によつてかゝり物多ければ、連々船を乘得て大坂へ廻る故大津衰微す、小濱の主も損あり、此の如き類諸國に多かるべし、諸國の運上うき物成は公儀へ取給ひ、國主郡主には甲乙なく田畠ばかりを給ひ、うき物成は天下の爲下てよきは下、許てよきは許し給はゞ日本國中の爲よかるべし、古は名山大澤を封ぜず、別に大守あり山澤をあらさせず、故に炎旱には夕立雨起り、大雨には山茂て水を含み、川深して水損の患なし、又古は加增新地共に三年用捨あり、勝手富有にて末長く務しめんとなり、親の跡賜るもおなじ、
新字:十三地なし高をやめ、並に新知加增に仁政ある事、 (問)諸国に地なし高といふ事あり、民の困窮地頭の損なり、無理なる事にあらずや、 (答)然り、検地とは箇様の無理を除くべき為なり、給人にも其地なし高を高に結びて給れば除くべき様なし、地なし高を持たる人に加增給はる時、高加增或は物成を加增にして給へば、則地なし高は除かるゝなり、公儀の蔵所の地なしは、多は除かれて同し事なり、其外も仁政の余慶を以て除かるべき事易し、又運上を高に結びて給はりてあしき事あり、若狭の小浜より近江の湖水へ米を附越駄賃の運上を高にむすびて有故、国主より許す事あたはず、是によつてかゝり物多ければ、連々船を乗得て大坂へ廻る故大津衰微す、小浜の主も損あり、此の如き類諸国に多かるべし、諸国の運上うき物成は公儀へ取給ひ、国主郡主には甲乙なく田畠ばかりを給ひ、うき物成は天下の為下てよきは下、許てよきは許し給はゞ日本国中の為よかるべし、古は名山大沢を封ぜず、別に大守あり山沢をあらさせず、故に炎旱には夕立雨起り、大雨には山茂て水を含み、川深して水損の患なし、又古は加增新地共に三年用捨あり、勝手富有にて末長く務しめんとなり、親の跡賜るもおなじ、
書き下し
十三地なし高をやめ、並に新知加增に仁政ある事、 (問)諸國に地なし高といふ事あり、民の困窮地頭の損なり、無理なる事にあらずや、 (答)然り、檢地とは箇樣の無理を除くべき爲なり、給人にも其地なし高を高に結びて給れば除くべき樣なし、地なし高を持たる人に加增給はる時、高加增或は物成を加增にして給へば、則地なし高は除かるゝなり、公儀の藏所の地なしは、多は除かれて同し事なり、其外も仁政の餘慶を以て除かるべき事易し、又運上を高に結びて給はりてあしき事あり、若狹の小濱より近江の湖水へ米を附越駄賃の運上を高にむすびて有故、國主より許す事あたはず、是によつてかゝり物多ければ、連々船を乘得て大坂へ廻る故大津衰微す、小濱の主も損あり、此の如き類諸國に多かるべし、諸國の運上うき物成は公儀へ取給ひ、國主郡主には甲乙なく田畠ばかりを給ひ、うき物成は天下の爲下てよきは下、許てよきは許し給はゞ日本國中の爲よかるべし、古は名山大澤を封ぜず、別に大守あり山澤をあらさせず、故に炎旱には夕立雨起り、大雨には山茂て水を含み、川深して水損の患なし、又古は加增新地共に三年用捨あり、勝手富有にて末長く務しめんとなり、親の跡賜るもおなじ、
現代語訳
十三 地なし高をやめること、並びに新知・加増に仁政があること 問う。諸国に「地なし高」ということがある。民の困窮は地頭(領主)の損である。無理なことではないか。 答える。そのとおり。検地とはこのような無理を除くためのものである。給人にもその地なし高を高に結びつけて給するから、除きようがない。地なし高を持つ人に加増を賜るとき、高を加増するか、あるいは物成(年貢)を加増して給すれば、すなわち地なし高は除かれる。幕府直轄の蔵所の地なしは、多くは除かれて同じことである。そのほかも仁政の余慶をもって除くことは易しい。また運上を高に結びつけて給するのも、よくないことがある。若狭の小浜から近江の湖水へ米を運び、駄賃の運上を高に結びつけてあったため、国主は許すことができない。これにより諸経費が多くかかるので、次第に船で回って大坂に直行するようになり、大津は衰えた。小浜の領主も損をした。このような類は諸国に多いだろう。諸国の運上・余剰収入は幕府が取り、国主・郡主には甲乙なく田畑だけを給し、余剰収入は、天下のため下げてよいものは下げ、許してよいものは許しなさるなら、日本中のためによいだろう。古は名山大沢を封じなかった。別に守る役人がいて、山沢を荒らさせなかった。そのため日照りには夕立が起こり、大雨には山が茂って水を含み、川が深くて水害の憂いがなかった。また古は加増・新知ともに三年の猶予があった。暮らし向きを豊かにして末長く勤めさせようというのである。親の跡を賜るときも同じである。
解説

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