大学或問 / 『大学或問』十万石の城主と江戸の屋敷
(問)今高拾萬石の城主中分の知行にすれば、五ツ物成にて五萬石納れり、十一なれば壹萬石なり、五分一にて足べきか、 (答)五萬石の納米を家中の知行四ツ物成につかはし、其外扶持切米に出せば、漸く藏入は壹萬石許なり、それにて在江戶の用にあつれば足らず、借銀すれば又利分に出て愈く足らず、後には家中の物成を借り、或は暇などを出すなど、樣々の不仁の仕置出來るなり、仁政行はれ在江戶三年に一度五十日の昔にかへれば、一年に千石づゝ餘し置、三年目に三千石にては參府の用餘りあり、一年に九千石の藏米はさのみ入べき事なし、在々より其器にあたる役人を城下に呼出し、役料給はるばかりなり、城にも今の樣に物入るべからず、本丸二の丸にて足るべし、士屋敷は猶以て今の十分一なるべし、大かた田畠とならん、此田畠はうきものにして上下の爲になる事あらん、城下に出る役人は屋敷廣く給はり、表は竹をうゑて生垣にし、隣の界は桑をうゑて蠶子蠶すべし、 (問)關內矦はいかゞ、 (答)是は直に江戶の地にて農兵のごとく成てもあらんか、仁政行はれ諸侯心服の上は、母儀妻子みな〳〵國許へ引せ給ふべし、江戶に大名の屋敷も一所にて足るべし、町も今の十分一にて足るべし、旗本衆も大身は各の領地にひかるべし、御藏所の士大將となして遣はさるゝもあるべし、江戶の屋敷跡おびたゞしき事ならん、本來水がゝりもよければ大分田となるべきか、地形平かなれば井田の法も行はれんか、農兵となりての安樂長久を見及では、小身の旗本衆知行所〳〵にゆかん事を願はるべし、學校の政ありて上下道を知る時は、今の心とは格別なるべければ、相談にていかやうとも宜しくなるべし、役人ばかり御城の四方に廣く屋敷を賜はり、是も表生垣裏の界は桑を藏て住する時は長久なる風景ならん、番頭與頭は粗を引つれ五里十里の外より出て、五十日か百日の番を勤めて御城の四方を警固すべし、弓鐵炮の頭も同し、番中一入武藝を習はし、學校に入て道をきけば出番を樂みとせん、城下に妻子ある武士千人よりは、遠方に妻子を置て男のみ勤むる武士三百人は增さるものなり、仁政行はれて無事なれば何の氣遣ひはなけれども、文事武備の業をわすれず、其上道藝の爲なり、
新字:(問)今高拾万石の城主中分の知行にすれば、五ツ物成にて五万石納れり、十一なれば壱万石なり、五分一にて足べきか、 (答)五万石の納米を家中の知行四ツ物成につかはし、其外扶持切米に出せば、漸く蔵入は壱万石許なり、それにて在江戸の用にあつれば足らず、借銀すれば又利分に出て愈く足らず、後には家中の物成を借り、或は暇などを出すなど、様々の不仁の仕置出来るなり、仁政行はれ在江戸三年に一度五十日の昔にかへれば、一年に千石づゝ余し置、三年目に三千石にては参府の用余りあり、一年に九千石の蔵米はさのみ入べき事なし、在々より其器にあたる役人を城下に呼出し、役料給はるばかりなり、城にも今の様に物入るべからず、本丸二の丸にて足るべし、士屋敷は猶以て今の十分一なるべし、大かた田畠とならん、此田畠はうきものにして上下の為になる事あらん、城下に出る役人は屋敷広く給はり、表は竹をうゑて生垣にし、隣の界は桑をうゑて蠶子蠶すべし、 (問)関内矦はいかゞ、 (答)是は直に江戸の地にて農兵のごとく成てもあらんか、仁政行はれ諸侯心服の上は、母儀妻子みな〳〵国許へ引せ給ふべし、江戸に大名の屋敷も一所にて足るべし、町も今の十分一にて足るべし、旗本衆も大身は各の領地にひかるべし、御蔵所の士大将となして遣はさるゝもあるべし、江戸の屋敷跡おびたゞしき事ならん、本来水がゝりもよければ大分田となるべきか、地形平かなれば井田の法も行はれんか、農兵となりての安楽長久を見及では、小身の旗本衆知行所〳〵にゆかん事を願はるべし、学校の政ありて上下道を知る時は、今の心とは格別なるべければ、相談にていかやうとも宜しくなるべし、役人ばかり御城の四方に広く屋敷を賜はり、是も表生垣裏の界は桑を蔵て住する時は長久なる風景ならん、番頭与頭は粗を引つれ五里十里の外より出て、五十日か百日の番を勤めて御城の四方を警固すべし、弓鉄炮の頭も同し、番中一入武芸を習はし、学校に入て道をきけば出番を楽みとせん、城下に妻子ある武士千人よりは、遠方に妻子を置て男のみ勤むる武士三百人は增さるものなり、仁政行はれて無事なれば何の気遣ひはなけれども、文事武備の業をわすれず、其上道芸の為なり、
書き下し
(問)今高拾萬石の城主中分の知行にすれば、五ツ物成にて五萬石納れり、十一なれば壹萬石なり、五分一にて足べきか、 (答)五萬石の納米を家中の知行四ツ物成につかはし、其外扶持切米に出せば、漸く藏入は壹萬石許なり、それにて在江戶の用にあつれば足らず、借銀すれば又利分に出て愈く足らず、後には家中の物成を借り、或は暇などを出すなど、樣々の不仁の仕置出來るなり、仁政行はれ在江戶三年に一度五十日の昔にかへれば、一年に千石づゝ餘し置、三年目に三千石にては參府の用餘りあり、一年に九千石の藏米はさのみ入べき事なし、在々より其器にあたる役人を城下に呼出し、役料給はるばかりなり、城にも今の樣に物入るべからず、本丸二の丸にて足るべし、士屋敷は猶以て今の十分一なるべし、大かた田畠とならん、此田畠はうきものにして上下の爲になる事あらん、城下に出る役人は屋敷廣く給はり、表は竹をうゑて生垣にし、隣の界は桑をうゑて蠶子蠶すべし、 (問)關內矦はいかゞ、 (答)是は直に江戶の地にて農兵のごとく成てもあらんか、仁政行はれ諸侯心服の上は、母儀妻子みな〳〵國許へ引せ給ふべし、江戶に大名の屋敷も一所にて足るべし、町も今の十分一にて足るべし、旗本衆も大身は各の領地にひかるべし、御藏所の士大將となして遣はさるゝもあるべし、江戶の屋敷跡おびたゞしき事ならん、本來水がゝりもよければ大分田となるべきか、地形平かなれば井田の法も行はれんか、農兵となりての安樂長久を見及では、小身の旗本衆知行所〳〵にゆかん事を願はるべし、學校の政ありて上下道を知る時は、今の心とは格別なるべければ、相談にていかやうとも宜しくなるべし、役人ばかり御城の四方に廣く屋敷を賜はり、是も表生垣裏の界は桑を藏て住する時は長久なる風景ならん、番頭與頭は粗を引つれ五里十里の外より出て、五十日か百日の番を勤めて御城の四方を警固すべし、弓鐵炮の頭も同し、番中一入武藝を習はし、學校に入て道をきけば出番を樂みとせん、城下に妻子ある武士千人よりは、遠方に妻子を置て男のみ勤むる武士三百人は增さるものなり、仁政行はれて無事なれば何の氣遣ひはなけれども、文事武備の業をわすれず、其上道藝の爲なり、
現代語訳
問う。いま高十万石の城主で中程度の知行とすると、五つ成りの年貢で五万石が納まる。十分の一なら一万石である。五分の一で足りるだろうか。 答える。五万石の納米を家臣の知行に四つ成りで充て、そのほか扶持米や切米として出せば、ようやく藩の直轄の収入は一万石ほどである。それで江戸在府の費用に当てれば足りず、借銀すればまた利子が出てますます足りなくなり、しまいには家臣の年貢を借り上げ、あるいは暇を出すなど、さまざまな不仁の処置が出てくる。仁政が行われ、江戸在府が三年に一度五十日の昔に返れば、一年に千石ずつ余らせておき、三年目に三千石あれば参府の費用に余りがある。一年に九千石の蔵米は、それほど要らない。村々からその器にあたる役人を城下に呼び出し、役料を与えるだけである。城にも今のように費用がかからない。本丸・二の丸で足りるだろう。武士の屋敷はなおさら今の十分の一になる。おおかた田畑となるだろう。この田畑は余剰の収入として上下のためになることがあるだろう。城下に出る役人は屋敷を広く賜り、表は竹を植えて生垣にし、隣との境は桑を植えて蚕を飼うのがよい。 問う。関内侯(江戸近辺の領主)はどうか。 答える。これは直接江戸の地で農兵のようになるのであろうか。仁政が行われ諸侯が心服した上は、母君も妻子もみな国元へ引き取らせなさるのがよい。江戸の大名屋敷も一つで足りる。町も今の十分の一で足りる。旗本衆も大身の者はそれぞれの領地に引き移るだろう。御蔵所(直轄地)の士大将にして遣わされる者もあるだろう。江戸の屋敷跡はおびただしいものだろう。もともと水利もよいので、大部分が田となるだろうか。地形が平らなので井田の法も行われるだろうか。農兵となっての安楽長久を見知れば、小身の旗本衆は知行所に行くことを願われるだろう。学校の政治があり、上下が道を知るときは、今の心とは格別に違うから、相談でどのようにでもよくなるだろう。役人だけが城の四方に広く屋敷を賜り、これも表は生垣、裏の境は桑を植えて住むとき、長久の風景となるだろう。番頭・与頭は組下を引き連れて五里十里の外から出て、五十日か百日の番を勤め、城の四方を警固するのがよい。弓・鉄炮の頭も同じである。番の間は特に武芸を習わせ、学校に入って道を聞けば、出番を楽しみにするだろう。城下に妻子のいる武士が千人いるより、遠方に妻子を置いて男だけが勤める武士三百人のほうが勝る。仁政が行われて無事であれば何の心配もないけれども、文事・武備の業を忘れず、そのうえ道芸のためである。
解説

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