大学或問 / 『大学或問』公儀の入用と富有の本義
(問)萬事調て後十一の貢に歸せば、公儀の藏入天下の用に不足ならんか、 (答)今は諸矦に給て諸侯の益にもならぬ事あり、又上に奉りて上の益にもならで下にて財の費る事あり、箇樣の事は上下共やめ給ふべければ、公儀の不足あるべからず、若不足ならば古法のごとく、在國二年に五十分一の貢を取給はゞいかやうの事も調ふべし、納米壹萬石より米貳百石の貢物なり、拾萬石に貳千石なり、外にうき物成の貢あり、京大坂駿府等の在番もやむべし、神佛の寺社も數すくなく、修理にて調へけれは公儀の入用は多くはあるまじ、其上有道の代は道ある入用なれは、萬一公儀御不足の事あらば、諸大名の相談にていかやうにも足給ふ樣になるべし、諸大名大分の公用をゆるされ給へば、貢少し多く奉り給ふとも不足あるべからず、上より諸侯を子のごとくし給へば、諸侯も上を父の如く思ひ給ふべし、 (問)富有大業財用置所なかるべしと承れば、いつとても上の不足はあるまじきか、 (答)富有は天下の爲めの富有なり、置所なき穀物も文事武備の用なればいつとても不足なし、四海の困窮くつろぎ萬事調て已後は、餘財用なければ農兵の昔に返り、十一の貢に成て財散じ人心あつまり、足る事を知て富有淳厚の風俗と成て人民足らざる事を知らず、農兵とならば本邦の武勇格別强く眞の武國の名に叶ふべし、武士農を別れてよりこのかた身病氣に手足弱く成ぬ、心ばかりはいさむとも敵にもあはで渡るべく病死すべし、其上若黨小者共も一年居にて主をおもはず、是は軍用の損なり、平生も農兵ならざれば風俗あしく成て長久ならず、農兵の昔に返すべきは此時なり、
新字:(問)万事調て後十一の貢に帰せば、公儀の蔵入天下の用に不足ならんか、 (答)今は諸矦に給て諸侯の益にもならぬ事あり、又上に奉りて上の益にもならで下にて財の費る事あり、箇様の事は上下共やめ給ふべければ、公儀の不足あるべからず、若不足ならば古法のごとく、在国二年に五十分一の貢を取給はゞいかやうの事も調ふべし、納米壱万石より米貳百石の貢物なり、拾万石に貳千石なり、外にうき物成の貢あり、京大坂駿府等の在番もやむべし、神仏の寺社も数すくなく、修理にて調へけれは公儀の入用は多くはあるまじ、其上有道の代は道ある入用なれは、万一公儀御不足の事あらば、諸大名の相談にていかやうにも足給ふ様になるべし、諸大名大分の公用をゆるされ給へば、貢少し多く奉り給ふとも不足あるべからず、上より諸侯を子のごとくし給へば、諸侯も上を父の如く思ひ給ふべし、 (問)富有大業財用置所なかるべしと承れば、いつとても上の不足はあるまじきか、 (答)富有は天下の為めの富有なり、置所なき穀物も文事武備の用なればいつとても不足なし、四海の困窮くつろぎ万事調て已後は、余財用なければ農兵の昔に返り、十一の貢に成て財散じ人心あつまり、足る事を知て富有淳厚の風俗と成て人民足らざる事を知らず、農兵とならば本邦の武勇格別強く真の武国の名に叶ふべし、武士農を別れてよりこのかた身病気に手足弱く成ぬ、心ばかりはいさむとも敵にもあはで渡るべく病死すべし、其上若党小者共も一年居にて主をおもはず、是は軍用の損なり、平生も農兵ならざれば風俗あしく成て長久ならず、農兵の昔に返すべきは此時なり、
書き下し
(問)萬事調て後十一の貢に歸せば、公儀の藏入天下の用に不足ならんか、 (答)今は諸矦に給て諸侯の益にもならぬ事あり、又上に奉りて上の益にもならで下にて財の費る事あり、箇樣の事は上下共やめ給ふべければ、公儀の不足あるべからず、若不足ならば古法のごとく、在國二年に五十分一の貢を取給はゞいかやうの事も調ふべし、納米壹萬石より米貳百石の貢物なり、拾萬石に貳千石なり、外にうき物成の貢あり、京大坂駿府等の在番もやむべし、神佛の寺社も數すくなく、修理にて調へけれは公儀の入用は多くはあるまじ、其上有道の代は道ある入用なれは、萬一公儀御不足の事あらば、諸大名の相談にていかやうにも足給ふ樣になるべし、諸大名大分の公用をゆるされ給へば、貢少し多く奉り給ふとも不足あるべからず、上より諸侯を子のごとくし給へば、諸侯も上を父の如く思ひ給ふべし、 (問)富有大業財用置所なかるべしと承れば、いつとても上の不足はあるまじきか、 (答)富有は天下の爲めの富有なり、置所なき穀物も文事武備の用なればいつとても不足なし、四海の困窮くつろぎ萬事調て已後は、餘財用なければ農兵の昔に返り、十一の貢に成て財散じ人心あつまり、足る事を知て富有淳厚の風俗と成て人民足らざる事を知らず、農兵とならば本邦の武勇格別强く眞の武國の名に叶ふべし、武士農を別れてよりこのかた身病氣に手足弱く成ぬ、心ばかりはいさむとも敵にもあはで渡るべく病死すべし、其上若黨小者共も一年居にて主をおもはず、是は軍用の損なり、平生も農兵ならざれば風俗あしく成て長久ならず、農兵の昔に返すべきは此時なり、
現代語訳
問う。万事が整った後、十分の一の年貢に帰すなら、幕府の直轄収入では天下の費用に不足するのではないか。 答える。今は諸侯に与えても諸侯の益にならないことがあり、また上に献上しても上の益にならず、下で財が費えることがある。このようなことは上下ともにおやめになるはずだから、幕府の不足はないはずである。もし不足するなら、古法のように在国二年に五十分の一の貢を取られれば、どのようなことも整うだろう。納米一万石から米二百石の貢物である。十万石で二千石である。このほかに余剰収入の貢がある。京・大坂・駿府などの在番もなくなる。神社仏閣も数が少なくなり、修理で済ませるなら、幕府の入用は多くはないだろう。そのうえ道のある世は道のある入用なので、万一幕府に不足が出たなら、諸大名の相談でどのようにでも足りるようになるだろう。諸大名が大きな公役を免ぜられれば、貢を少し多く奉っても不足はない。上から諸侯を子のようになさるなら、諸侯も上を父のように思われるだろう。 問う。富有は大業で、財用の置き所がないほどになると承れば、いつになっても上の不足はないのでしょうか。 答える。富有とは天下のための富有である。置き所のない穀物も、文事・武備の用になるのでいつになっても不足はない。四海の困窮がくつろぎ万事が整った後は、余った財用がなければ農兵の昔に返り、十分の一の貢となって財が散じ人心が集まり、足ることを知って富有淳厚の風俗となり、人民は不足を知らない。農兵となれば、我が国の武勇は格別に強くなり、真の武国の名にかなう。武士が農を離れてこのかた、身は病気がちで手足は弱くなった。心ばかり勇んでも、敵にも会わず、むなしく日を送るうちに病死するだろう。そのうえ若党・小者らも一年限りの奉公で主君を思わない。これは軍用の損である。平生も農兵でなければ風俗が悪くなって長続きしない。農兵の昔に返すべきはこのときである。
解説

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