呉子 / 応変篇
武侯問曰:「左右高山,地甚狹迫,卒遇敵人,擊之不敢,去之不得,為之奈何?」起對曰:「此謂谷戰,雖眾不用。募吾材士與敵相當,輕足利兵以為前行,分車列騎隱於四旁,相去數里,無見其兵,敵必堅陳,進退不敢。於是出旌列旆,行出山外營之,敵人必懼。車騎挑之,勿令得休。此谷戰之法也。」
新字:武侯問曰:「左右高山,地甚狭迫,卒遇敵人,撃之不敢,去之不得,為之奈何?」起対曰:「此謂谷戦,雖衆不用。募吾材士与敵相当,軽足利兵以為前行,分車列騎隠於四旁,相去数里,無見其兵,敵必堅陳,進退不敢。於是出旌列旆,行出山外営之,敵人必懼。車騎挑之,勿令得休。此谷戦之法也。」
書き下し
武侯問いて曰く、左右に高山あり、地甚だ狭迫にして、卒かに敵人に遇い、之を撃たんとするも敢えてせず、之を去らんとするも得ず、之を奈何せん、と。起対えて曰く、此を谷戦と謂う。衆しと雖も用いられず。吾が材士を募りて敵と相当たらしめ、輕足利兵を以て前行と為す。車を分ち騎を列ねて四旁に隠し、相去ること数里、其の兵を見わすこと無くば、敵必ず陳を堅くし、進退敢えてせず。是に於て旌を出し旆を列ね、行きて山外に出でて之に営せば、敵人必ず懼れん。車騎もて之に挑み、休むを得しむること勿かれ。此れ谷戦の法なり、と。
現代語訳
武侯が尋ねた。左右に高い山があって土地はひどく狭く、そこで突然敵に出くわした。攻撃しようにも思い切れず、立ち去ろうにも去れない。どうすればよいか。呉起が答えて言った。これを谷戦といいます。こういう場所では、兵が多くても数を活かせません。そこで、選りすぐりの精鋭を募って敵に当たらせ、身軽で鋭い武器を持った兵を先陣とします。戦車を分け騎兵を並べて四方の物陰に隠し、数里離れた所に置いて、その姿を見せないようにします。すると敵は必ず陣を固く構えて、進むことも退くこともできなくなります。そこで旗やのぼりを掲げて、隊列を組んで山の外に出て陣を張れば、敵は必ず恐れます。さらに戦車と騎兵で挑みかけ、敵に休む暇を与えないようにする。これが谷戦のやり方です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』飾邪第十九治の数に明らかならば、則ち國は小なりと雖も富み、賞罰、敬信ならば、民寡しと雖も強し。
-
葉隠・聞書第十一前にて兵の多少に依らず、究竟の士五六人を合はせ槍を入るれば、一方突崩すものなりと、沙汰(さた)これあり候由。
-
易経・損卦事を已めて遄やかに往くとは、上(かみ)と志を合するなり。九二の貞に利ありとは、中以て志と為すなり。一人行くとは、三なれば則ち疑はるるなり。其の疾を損すとは、亦喜ぶべきなり。六五の元吉は、上より佑(たす)くればなり。損せずして之を益すとは、大いに志を得るなり。
-
戦国策・趙惠文王三十年趙の惠文王三十年、相の都平君田單、趙奢に問いて曰く、「吾は将軍の兵法を説(よろこ)ばざるに非ざるなり。服せざる所以の者は、独り将軍の衆を用うるのみ。衆を用うる者は、民をして耕作するを得ざらしめ、糧食輓賃給すべからず。此れ坐して自ら破るの道なり、単の為す所に非ざるなり。単之を聞く、帝王の兵は、用うる所の者三万に過ぎずして、天下服す、と。今将軍は必ず十万、二十万の衆を負いて乃ち之を用う、此れ単の服せざる所なり」と。馬服曰く、「君は徒だに兵に達せざるのみに非ず、又た其の時勢に明らかならず。夫れ呉干の剣は、肉に試みれば則ち牛馬を断ち、金に試みれば則ち盤匜を截る。之を柱上に薄りて撃てば、則ち折れて三と為り、之を石上に質てて撃てば、則ち砕けて百と為る。今三万の衆を以て強国の兵に応ずるは、是れ柱に薄り石を撃つの類なり。且つ夫れ呉干の剣材、脊の厚き無きに難みて、鋒入らず、脾の薄き無きに、刃断たず。是の両者を兼ね有するも、釣・鐔・蒙須の便無くんば、其の刃を操りて刺せば、則ち未だ入らずして手断たれん。君に十余、二十万の衆無くして、此の釣・鐔・蒙須の便を為さんとし、徒だに三万を以て天下に行かんとす、君焉んぞ能くせんや。且つ古は、四海の内、分かちて万国と為る。城大なりと雖も、三百丈に過ぐる者無く、人衆しと雖も、三千家に過ぐる者無し。而して兵三万を集むるを以て、此を距ぐこと奚ぞ難からんや。今古の万国たる者を取りて、分かちて戦国七と為し、能く数十万の兵を具え、日を曠しくし久しきを持し、数歳にして、即ち君の斉のごとし。斉は二十万の衆を以て荊を攻め、五年にして乃ち罷む。趙は二十万の衆を以て中山を攻め、五年にして乃ち帰る。今は、斉・韓相方しく、而して国之を囲み攻む、豈に敢えて曰わんや、我其れ三万を以て是れを救わんと。今千丈の城、万家の邑相望むなり。而して三万の衆を以て索め、千丈の城を囲めば、其の一角をも存せず、而して野戦は用うるに足らず。君将に此を以て何くにか之かんとするか」と。都平君喟然として太息して曰く、「単至らざるなり」と。
-
『智囊』制勝・陶魯天順の初め、韓襄毅公、廣東の峒賊を征す。其の險阻にして下し難きを憂え、食に方りて躊躇す。適々新會の丞陶魯、膳を直して側に在り。公、之を顧みて問いて曰く、「丞、我が何の意なるかを揣るか」と。魯曰く、「賊を謀るに非ざるを得んや」と。雍曰く、「然り。丞、能く我が為に賊を撃つや否や」と。曰く、「直に能くするのみに匪ず、且つ易きのみ」と。公怒りて曰く、「吾が部下の文武は百千人、熟視するも吾が寄に當たる者無し。若し妄言せば、笞に合う」と。魯拜せず、抗言して曰く、「夫れ賊の攻め難きは、賊の難きに非ず、我が其の賊を攻むる者を難しとするなり。公は特に未だ我が能を悉さざるのみ」と。公之を異とし、容を改めて問う、「若、將いる所は幾何にして辦ぜんや」と。曰く、「三百人にて足れり」と。公曰く、「何ぞ少なきや」と。曰く、「兵は精に在りて多きに在らず」と。公曰く、「唯だ汝の擇ぶままにせよ」と。魯乃ち標式して曰く、「孰か能く力もて百鈞を舉げ、矢もて二百步を射る者ぞ」と。軍士は凡そ十五萬、其の式に比する者は才かに二百五十人。曰く、「未だし」と。復た令を下して募ること數日、始めて足る。魯乃ち別將と為り、日々陣法を操練し、勞うに牛酒を以てし、甘苦を共にす。士、死を樂しみ、率ね以て先登し、大いに賊を破り、斬首すること無算。得る所の賊穴中の金帛は、悉く三百人に分給し、己は與ること無し。賊、陶家軍の至るを聞けば、遁げずんば則ち降り、敢えて抗する無し。語に之れ有り、「一夫決すれば、萬夫避く」と。況んや三百人をや。
-
呉子・図国篇武侯問いて曰く、「願わくは兵を治め、人を料り、国を固むるの道を聞かん」と。起対えて曰く、「古の明王は、必ず君臣の礼を謹み、上下の儀を飾り、吏民を安集し、俗に順いて教え、良材を簡び募りて、以て不虞に備う。昔、斉の桓公は士五万を募りて、以て諸侯に霸たり。晋の文公は召して前行と為すこと四万、以て其の志を獲たり。秦の繆公は陥陳三万を置きて、以て鄰敵を服せしむ。故に強国の君は、必ず其の民を料る。民に胆勇気力有る者は、聚めて一卒と為す。進みて戦い力を効し、以て其の忠勇を顕すを楽しむ者は、聚めて一卒と為す。能く高きを踰え遠きを超え、足軽くして善く走る者は、聚めて一卒と為す。王臣にして位を失い、功を上に見さんと欲する者は、聚めて一卒と為す。城を棄て守りを去り、其の醜を除かんと欲する者は、聚めて一卒と為す。此の五者は、軍の練鋭なり。此の三千人有らば、内より出でては以て囲みを決すべく、外より入りては以て城を屠るべし」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る