大学或問 / 『大学或問』三年の蓄えと参勤の緩和
(問)何を以てか今の三年のたくはへは賢君の時代の三十年より多しといふや、 (答)生民よりこのかた唐土にも本邦にも近年ほど年貢多く取事なし、昔農兵の時は本邦も異國も年貢十一なりき、今三拾萬石の國家家中の知行扶持切米を貳拾萬石にて仕廻、拾萬石藏入となさでは公用私用調はさる躰なり、昔拾萬石の物成は壹萬石なり、今拾萬石の物成は中分にて五萬石なり、昔壹萬石の藏入を四つにして三つを以て公私の用を調へ、一を除けて不時の貯とす、一年に二千五百石なり、十年に貳萬五千石なり、それにては高拾萬石の國北狄の備にも凶年の貯にも足ざる故に、三十年積て七萬五千石なり、これにて漸く不時の患難を防ぐべし、今在國の大名拾萬石の國守、五萬石の藏米壹萬石を以て用を調へ、四萬石を備とせば三年には拾貳萬石なれば昔の三十年より多きにあらずや、五年には貳拾萬石なり、粟にては四拾萬石のかさなり、今西國にて拾萬石の城下大坂の藏ともに中分にて五萬石入べし、大に四拾萬石出來なば國々置所なきにあらずや、五萬石の上下は推して知るべし、國により拾萬石の藏米あるも貳拾萬石有もあるべし、三年の後貯用なければ何を先にすくひ給はん、諸浪人を在付給はんか、天下の借銀すまし給はんか、北狄の備用なくとも、本邦中興の主と後世によばれ給はん賢君ならばこの仁政を行ひ給はざらんや、 (問)三年の後諸大名の參府在江戶本のごとくならば何を以てかすくひ給はん、 (答)鎌倉の時代の如く諸大名三年に一度の參勤、在府五十日六十日に定給ふ式あらば、三十萬石の國守米五千石にては餘りあらん、鎌倉の時代は器量ある大名あり、氣遣ひなる大身も多かりしだに、人質もなく三年に一度五十日の在府にて何事もなかりき、北條は九代までつゞき足利家は十四代なり、十代己後は名ばかりにて流寓所なしといへども、誰も公方に向て敵する人はなかりき、况や御當代〔德川氏を謂ふ〕天下一同にして、江戶に諸大名の母儀奧方子達あり、其上氣遣ひなる人はなし、何を憚りて天命の大吉を取給はで、居ながら大凶をまち給はんや、その上公儀より在府を少くし給はゞ、御恩惠と成て辱く思はれ心服の本とならん、諸侯の勝手詰まり參府ならずして、下より申てゆるされなばあしき事多かるべし、此の如き世間あまたの善行は江戶詰をゆるし給ふ所仁政の大本なり、
新字:(問)何を以てか今の三年のたくはへは賢君の時代の三十年より多しといふや、 (答)生民よりこのかた唐土にも本邦にも近年ほど年貢多く取事なし、昔農兵の時は本邦も異国も年貢十一なりき、今三拾万石の国家家中の知行扶持切米を貳拾万石にて仕廻、拾万石蔵入となさでは公用私用調はさる体なり、昔拾万石の物成は壱万石なり、今拾万石の物成は中分にて五万石なり、昔壱万石の蔵入を四つにして三つを以て公私の用を調へ、一を除けて不時の貯とす、一年に二千五百石なり、十年に貳万五千石なり、それにては高拾万石の国北狄の備にも凶年の貯にも足ざる故に、三十年積て七万五千石なり、これにて漸く不時の患難を防ぐべし、今在国の大名拾万石の国守、五万石の蔵米壱万石を以て用を調へ、四万石を備とせば三年には拾貳万石なれば昔の三十年より多きにあらずや、五年には貳拾万石なり、粟にては四拾万石のかさなり、今西国にて拾万石の城下大坂の蔵ともに中分にて五万石入べし、大に四拾万石出来なば国々置所なきにあらずや、五万石の上下は推して知るべし、国により拾万石の蔵米あるも貳拾万石有もあるべし、三年の後貯用なければ何を先にすくひ給はん、諸浪人を在付給はんか、天下の借銀すまし給はんか、北狄の備用なくとも、本邦中興の主と後世によばれ給はん賢君ならばこの仁政を行ひ給はざらんや、 (問)三年の後諸大名の参府在江戸本のごとくならば何を以てかすくひ給はん、 (答)鎌倉の時代の如く諸大名三年に一度の参勤、在府五十日六十日に定給ふ式あらば、三十万石の国守米五千石にては余りあらん、鎌倉の時代は器量ある大名あり、気遣ひなる大身も多かりしだに、人質もなく三年に一度五十日の在府にて何事もなかりき、北条は九代までつゞき足利家は十四代なり、十代己後は名ばかりにて流寓所なしといへども、誰も公方に向て敵する人はなかりき、況や御当代〔徳川氏を謂ふ〕天下一同にして、江戸に諸大名の母儀奥方子達あり、其上気遣ひなる人はなし、何を憚りて天命の大吉を取給はで、居ながら大凶をまち給はんや、その上公儀より在府を少くし給はゞ、御恩恵と成て辱く思はれ心服の本とならん、諸侯の勝手詰まり参府ならずして、下より申てゆるされなばあしき事多かるべし、此の如き世間あまたの善行は江戸詰をゆるし給ふ所仁政の大本なり、
書き下し
(問)何を以てか今の三年のたくはへは賢君の時代の三十年より多しといふや、 (答)生民よりこのかた唐土にも本邦にも近年ほど年貢多く取事なし、昔農兵の時は本邦も異國も年貢十一なりき、今三拾萬石の國家家中の知行扶持切米を貳拾萬石にて仕廻、拾萬石藏入となさでは公用私用調はさる躰なり、昔拾萬石の物成は壹萬石なり、今拾萬石の物成は中分にて五萬石なり、昔壹萬石の藏入を四つにして三つを以て公私の用を調へ、一を除けて不時の貯とす、一年に二千五百石なり、十年に貳萬五千石なり、それにては高拾萬石の國北狄の備にも凶年の貯にも足ざる故に、三十年積て七萬五千石なり、これにて漸く不時の患難を防ぐべし、今在國の大名拾萬石の國守、五萬石の藏米壹萬石を以て用を調へ、四萬石を備とせば三年には拾貳萬石なれば昔の三十年より多きにあらずや、五年には貳拾萬石なり、粟にては四拾萬石のかさなり、今西國にて拾萬石の城下大坂の藏ともに中分にて五萬石入べし、大に四拾萬石出來なば國々置所なきにあらずや、五萬石の上下は推して知るべし、國により拾萬石の藏米あるも貳拾萬石有もあるべし、三年の後貯用なければ何を先にすくひ給はん、諸浪人を在付給はんか、天下の借銀すまし給はんか、北狄の備用なくとも、本邦中興の主と後世によばれ給はん賢君ならばこの仁政を行ひ給はざらんや、 (問)三年の後諸大名の參府在江戶本のごとくならば何を以てかすくひ給はん、 (答)鎌倉の時代の如く諸大名三年に一度の參勤、在府五十日六十日に定給ふ式あらば、三十萬石の國守米五千石にては餘りあらん、鎌倉の時代は器量ある大名あり、氣遣ひなる大身も多かりしだに、人質もなく三年に一度五十日の在府にて何事もなかりき、北條は九代までつゞき足利家は十四代なり、十代己後は名ばかりにて流寓所なしといへども、誰も公方に向て敵する人はなかりき、况や御當代〔德川氏を謂ふ〕天下一同にして、江戶に諸大名の母儀奧方子達あり、其上氣遣ひなる人はなし、何を憚りて天命の大吉を取給はで、居ながら大凶をまち給はんや、その上公儀より在府を少くし給はゞ、御恩惠と成て辱く思はれ心服の本とならん、諸侯の勝手詰まり參府ならずして、下より申てゆるされなばあしき事多かるべし、此の如き世間あまたの善行は江戶詰をゆるし給ふ所仁政の大本なり、
現代語訳
問う。何をもって、今の三年の蓄えは賢君の時代の三十年より多いというのか。 答える。人類始まって以来、中国にも我が国にも、近年ほど年貢を多く取ることはない。昔の農兵の時代は、我が国も外国も年貢は十分の一であった。今は三十万石の国で、家中の知行・扶持・切米を二十万石で済ませ、十万石を蔵入りとしなければ、公用私用がまかなえない状態である。昔、十万石の収穫高から取る年貢は一万石であった。今、十万石の年貢は中ほどで五万石である。昔は一万石の蔵入りを四つに分け、三つで公私の用をまかない、一つを除けて不時の蓄えとした。一年に二千五百石である。十年で二万五千石である。それでも高十万石の国の北狄への備えにも凶年の蓄えにも足りないので、三十年積んで七万五千石となる。これでようやく不時の患難を防げる。今、在国の大名で十万石の国守が、五万石の蔵米のうち一万石で用をまかない、四万石を備えとすれば、三年で十二万石になるから、昔の三十年より多いではないか。五年で二十万石である。粟では四十万石の嵩になる。今、西国で十万石の城下と大坂の蔵ともに、中ほどで五万石が入るだろう。大いに四十万石ができたなら、国々に置き場がないではないか。五万石の上下は推して知るべきである。国によって、十万石の蔵米があるのも、二十万石あるのもあろう。三年の後、貯えの用がなければ、何を先に救いなさるのか。浪人たちを落ち着かせるか、天下の借銀を済ませるか。北狄への備えの用がなくとも、我が国中興の主と後世に呼ばれなさる賢君であれば、この仁政をお行いにならないことがあろうか。 問う。三年の後、諸大名の参勤で、江戸在住が元のようになれば、何をもって救いなさるのか。 答える。鎌倉の時代のように、諸大名が三年に一度の参勤、在府五十日・六十日と定めなさる制度があれば、三十万石の国守は米五千石でも余りがあろう。鎌倉の時代は器量のある大名があり、気がかりな大身も多かったのに、人質もなく、三年に一度五十日の在府で何事もなかった。北条は九代まで続き、足利家は十四代である。十代以後は名ばかりで、居場所もなくさまよう状態であったが、誰も将軍に敵対する人はなかった。まして御当代〔徳川氏をいう〕は天下一統で、江戸には諸大名の母君・奥方・子息がおられる。そのうえ気がかりな人はいない。何をはばかって、天命の大吉を取りなさらず、居ながらに大凶を待ちなさるのか。そのうえ、幕府から在府を少なくなされば、御恩恵となってありがたく思われ、心服の本となろう。大名の経済が行き詰まって、参府しないことを下から願い出て許されるのは、悪いことが多いだろう。このように世間の多くの善行は、江戸詰めをお許しになる点にあり、仁政の大本である。
解説

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