大学或問 / 『大学或問』急ぎの備蓄と酒造の制限
七公儀の御藏に金銀米穀充滿、國守城主共に五穀置所なき樣に澤山に成へき事、附五穀水火の如くにして、不仁者なく盜賊なかるべき事、 (問)兵粮を澤山にする法は前に承る八ケ條のみか、 (答)前にいひたるは大躰なり、そればかりにては數年せでは成就せず、急なる用には間にあはず、來年の春夏北狄より寄來らんには、當年八九月より用意せでは十二月正月に至ては遲くして爲がたし、速に令を出し給ひ在府の大名殘らず歸國せしめ、來年參府の大名も來年御免の上借金當暮の返濟を相延し、當秋の納米は粟にて諸國に積置なば、兵粮の氣遣ひなくして軍法のみはかるべし、扨かし銀の者どもにも當年の利分は取らず、元銀の內にて一石五拾目にして人々の家內の來年中の入用ほど國々よりつけ遣すべし、諸のあきものゝ代も米にてつけつかはすべし、富人幷に諸職人諸商人皆な米を澤山に付けさせてそれに付たる職人に遣はし、小買物在京の公家武士にも米を遣はし、出家も米を取て遣ひなば大方充滿すべけれども、旅人幷銀錢を持たるもの米なくて買ふものもあるへければ、よきほどに米屋を置、京にて五拾目に賣て其米屋の產あるべき程に大坂にて直をさげて買すべし、諸侯藏入の米積りに應じて何ほどづゝと定て大坂へ上せ置、公儀の御藏米と諸侯の米とめぐりて米屋に賣給はゞつかへあるべからず、それにても一二年酒屋を止給はずば國々の積米來年の北狄の備に不足すべし、北狄來るときは上方飢饉强盜の出來ざる備にも足るまじ、酒屋は大元手あるものなればすきと止ても困窮はせじ、たとひ迷惑すとも六事の前の小事なれば用捨に及ばず、其國所の大小によつて十分一歟二十分一の酒屋はあるべし、法の出やうにておのづから多くは作るべからず、三年の間は酒を人に贈るべからず、客に出すべからず、祝儀には樽代たるべし、神事婚禮には昔の風に濁酒を作るべし、家內の用には手酒たるべし、手酒作る事ならざる者幷に藥の用はかりに酒屋あるべし、いにしへは士己上の人は酒屋の買酒を飮ず、手酒を作りてたくはへ置年に二三度良友をまねきしなり、花月雪霜の折節なるべし、此の如くならばさのみつましからで酒米の費止べし、三年かくの如くし給はゞ北狄來り、其上に凶年飢饉ありとも內亂あるべからず、我邦の今の三年のたくはへはいにしへの三十年の通よりは多かるべし、此の如くならざれば國其國にあらずといへり、
新字:七公儀の御蔵に金銀米穀充満、国守城主共に五穀置所なき様に沢山に成へき事、附五穀水火の如くにして、不仁者なく盗賊なかるべき事、 (問)兵粮を沢山にする法は前に承る八ケ条のみか、 (答)前にいひたるは大体なり、そればかりにては数年せでは成就せず、急なる用には間にあはず、来年の春夏北狄より寄来らんには、当年八九月より用意せでは十二月正月に至ては遅くして為がたし、速に令を出し給ひ在府の大名残らず帰国せしめ、来年参府の大名も来年御免の上借金当暮の返済を相延し、当秋の納米は粟にて諸国に積置なば、兵粮の気遣ひなくして軍法のみはかるべし、扨かし銀の者どもにも当年の利分は取らず、元銀の内にて一石五拾目にして人々の家内の来年中の入用ほど国々よりつけ遣すべし、諸のあきものゝ代も米にてつけつかはすべし、富人幷に諸職人諸商人皆な米を沢山に付けさせてそれに付たる職人に遣はし、小買物在京の公家武士にも米を遣はし、出家も米を取て遣ひなば大方充満すべけれども、旅人幷銀銭を持たるもの米なくて買ふものもあるへければ、よきほどに米屋を置、京にて五拾目に売て其米屋の産あるべき程に大坂にて直をさげて買すべし、諸侯蔵入の米積りに応じて何ほどづゝと定て大坂へ上せ置、公儀の御蔵米と諸侯の米とめぐりて米屋に売給はゞつかへあるべからず、それにても一二年酒屋を止給はずば国々の積米来年の北狄の備に不足すべし、北狄来るときは上方飢饉強盗の出来ざる備にも足るまじ、酒屋は大元手あるものなればすきと止ても困窮はせじ、たとひ迷惑すとも六事の前の小事なれば用捨に及ばず、其国所の大小によつて十分一歟二十分一の酒屋はあるべし、法の出やうにておのづから多くは作るべからず、三年の間は酒を人に贈るべからず、客に出すべからず、祝儀には樽代たるべし、神事婚礼には昔の風に濁酒を作るべし、家内の用には手酒たるべし、手酒作る事ならざる者幷に薬の用はかりに酒屋あるべし、いにしへは士己上の人は酒屋の買酒を飲ず、手酒を作りてたくはへ置年に二三度良友をまねきしなり、花月雪霜の折節なるべし、此の如くならばさのみつましからで酒米の費止べし、三年かくの如くし給はゞ北狄来り、其上に凶年飢饉ありとも内乱あるべからず、我邦の今の三年のたくはへはいにしへの三十年の通よりは多かるべし、此の如くならざれば国其国にあらずといへり、
書き下し
七公儀の御藏に金銀米穀充滿、國守城主共に五穀置所なき樣に澤山に成へき事、附五穀水火の如くにして、不仁者なく盜賊なかるべき事、 (問)兵粮を澤山にする法は前に承る八ケ條のみか、 (答)前にいひたるは大躰なり、そればかりにては數年せでは成就せず、急なる用には間にあはず、來年の春夏北狄より寄來らんには、當年八九月より用意せでは十二月正月に至ては遲くして爲がたし、速に令を出し給ひ在府の大名殘らず歸國せしめ、來年參府の大名も來年御免の上借金當暮の返濟を相延し、當秋の納米は粟にて諸國に積置なば、兵粮の氣遣ひなくして軍法のみはかるべし、扨かし銀の者どもにも當年の利分は取らず、元銀の內にて一石五拾目にして人々の家內の來年中の入用ほど國々よりつけ遣すべし、諸のあきものゝ代も米にてつけつかはすべし、富人幷に諸職人諸商人皆な米を澤山に付けさせてそれに付たる職人に遣はし、小買物在京の公家武士にも米を遣はし、出家も米を取て遣ひなば大方充滿すべけれども、旅人幷銀錢を持たるもの米なくて買ふものもあるへければ、よきほどに米屋を置、京にて五拾目に賣て其米屋の產あるべき程に大坂にて直をさげて買すべし、諸侯藏入の米積りに應じて何ほどづゝと定て大坂へ上せ置、公儀の御藏米と諸侯の米とめぐりて米屋に賣給はゞつかへあるべからず、それにても一二年酒屋を止給はずば國々の積米來年の北狄の備に不足すべし、北狄來るときは上方飢饉强盜の出來ざる備にも足るまじ、酒屋は大元手あるものなればすきと止ても困窮はせじ、たとひ迷惑すとも六事の前の小事なれば用捨に及ばず、其國所の大小によつて十分一歟二十分一の酒屋はあるべし、法の出やうにておのづから多くは作るべからず、三年の間は酒を人に贈るべからず、客に出すべからず、祝儀には樽代たるべし、神事婚禮には昔の風に濁酒を作るべし、家內の用には手酒たるべし、手酒作る事ならざる者幷に藥の用はかりに酒屋あるべし、いにしへは士己上の人は酒屋の買酒を飮ず、手酒を作りてたくはへ置年に二三度良友をまねきしなり、花月雪霜の折節なるべし、此の如くならばさのみつましからで酒米の費止べし、三年かくの如くし給はゞ北狄來り、其上に凶年飢饉ありとも內亂あるべからず、我邦の今の三年のたくはへはいにしへの三十年の通よりは多かるべし、此の如くならざれば國其國にあらずといへり、
現代語訳
七、幕府の御蔵に金銀米穀が満ち、大名・城主ともに五穀の置き場がないほど沢山になるべきこと。付けたり、五穀が水や火のように豊富で、不仁の者がなく、盗賊もなくなるべきこと。 問う。兵糧を沢山にする方法は、前に承った八か条だけか。 答える。前に述べたのは大筋である。それだけでは数年かからなければ成就せず、急な用には間に合わない。来年の春夏に北狄が攻め寄せるなら、今年の八九月から用意しなければ、十二月、正月では遅くてできない。速やかに命令を出され、江戸にいる大名を残らず帰国させ、来年参勤する大名も来年は免除したうえ、借金の今年暮れの返済を延ばし、今秋の納米は粟にして諸国に積み置けば、兵糧の心配がなく、軍法のことだけを考えればよい。さて、金貸しの者たちにも今年の利息は取らせず、元金のうちで一石を五十目として、人々の家内の来年中の入用ほどを、国々から送り届けさせる。諸々の商いの代金も米で支払わせる。富人や諸職人、諸商人にもみな米を沢山付けさせ、それを付けた職人に渡し、小さな買い物や在京の公家・武士にも米を渡し、出家も米を取って使えば、おおよそ行き渡るだろうが、旅人や銀銭を持つ者で、米がなくて買う者もあろうから、適当に米屋を置き、京で五十目に売り、その米屋の利益が出る程度に、大坂で値を下げて買わせる。大名の蔵入りの米の見積もりに応じて、どれほどずつと定めて大坂へ上せておき、幕府の御蔵米と大名の米とが巡って米屋に売られれば、差し支えない。それでも一二年酒屋をおやめにならなければ、国々の積み米は来年の北狄への備えに不足するだろう。北狄が来る時は、上方で飢饉や強盗が出ないための備えにも足りないだろう。酒屋は大きな元手のある者だから、すっかりやめても困窮はしまい。たとえ迷惑しても、六の事(北狄への備え)の前では小さなことなので、斟酌には及ばない。その国や所の大小によって、十分の一か二十分の一の酒屋は置くべきである。法の出し方によって、自然と多くは作らなくなる。三年の間は、酒を人に贈ってはならず、客に出してはならず、祝儀には樽代を贈ることとする。神事・婚礼には昔の風に濁酒を作る。家内の用には手酒とする。手酒を作ることができない者と、薬用のために、仮に酒屋を置く。昔は武士以上の人は酒屋の買い酒を飲まず、手酒を作って貯え置き、年に二三度、良き友を招いた。花・月・雪・霜の折々であったろう。このようにすれば、さして倹約しなくても酒米の費えはやむ。三年このようになさるなら、北狄が来て、そのうえ凶年飢饉があっても、内乱はあるまい。我が国の今の三年の蓄えは、昔の三十年の蓄えよりも多いだろう。このようでなければ、国はその国ではない、という。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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