甲陽軍鑑 / 品第四十
たとへ信玄が死する跡にて何たる分別なき侍に代をつがするとも三年はたもたん、まへの大將死して三年たもつやうにするは前代の手がらなり、四年目からは後の大將分別よければ、ほまれあしければ恥なり、就中天下の儀二代たもつは、たゝの家百代たもつより弓箭を取てのほまれなりと信玄公の仰られつるを存ずれば、
新字:たとへ信玄が死する跡にて何たる分別なき侍に代をつがするとも三年はたもたん、まへの大将死して三年たもつやうにするは前代の手がらなり、四年目からは後の大将分別よければ、ほまれあしければ恥なり、就中天下の儀二代たもつは、たゝの家百代たもつより弓箭を取てのほまれなりと信玄公の仰られつるを存ずれば、
書き下し
たとへ信玄が死する跡にて何たる分別なき侍に代をつがするとも三年はたもたん、まへの大将死して三年たもつやうにするは前代の手がらなり、四年目からは後の大将分別よければ、ほまれあしければ恥なり、就中天下の儀二代たもつは、たゝの家百代たもつより弓箭を取てのほまれなりと信玄公の仰られつるを存ずれば、
現代語訳
その後、日本をみな治めれば、遠国にはまた国を二つ三つくれても置く仕置きならば、たとえ信玄が死する跡にて、どのような分別のない侍に代を継がせるとも、三年は保とう。前の大将が死して三年保つようにするのは、前代の手柄である。四年目からは、後の大将の分別がよければ誉れ、悪ければ恥である。とりわけ天下の儀を二代保つのは、ただの家を百代保つより弓箭を取っての誉れであると、信玄公が仰せられたのを存ずれば。
解説
自分の仕置きの出来を、死んだ後の三年で測ると定める。三年までは前代の責任、四年目からは後継者の責任と線を引く。天下を二代保つのは、普通の家を百代保つより上の誉れだという言葉で締めくくられる。三年までは前代の責任、四年目からは後継者の責任と線を引く。天下を二代保つのは、普通の家を百代保つより上の誉れだと締めくくられる。
この章句が説くこと
三年仕置継承責任誉れ信玄
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