大学或問 / 『大学或問』軍法者と兵糧の軍法
(問)今本邦にて諸流の軍法を聞に、此國の內にて中間取合に用ふべきのみ、北狄に敵する軍法あるべきか、 (答)彼下策を以て來りなばすみやかに合戰すべし、然らば今の軍法者の中、將の器ある勝負の利にさとき人あらば、少しは用に立事もあるべき歟、彼若上策を以て來らんには今の軍法者の及ぶ所にあらず、北狄の上策の軍法に負まじき上策あり、國家の御爲と思ひたる故に先年某侯其外へも語りたれども、其人々皆なく成給へり、もしは其人々の傳へおかれし人もあらんか、然れども其所までゆきたつ事にてもあるまじ、兵粮を澤山にする軍法なくては今何事の用に立ざる事なり、
新字:(問)今本邦にて諸流の軍法を聞に、此国の内にて中間取合に用ふべきのみ、北狄に敵する軍法あるべきか、 (答)彼下策を以て来りなばすみやかに合戦すべし、然らば今の軍法者の中、将の器ある勝負の利にさとき人あらば、少しは用に立事もあるべき歟、彼若上策を以て来らんには今の軍法者の及ぶ所にあらず、北狄の上策の軍法に負まじき上策あり、国家の御為と思ひたる故に先年某侯其外へも語りたれども、其人々皆なく成給へり、もしは其人々の伝へおかれし人もあらんか、然れども其所までゆきたつ事にてもあるまじ、兵粮を沢山にする軍法なくては今何事の用に立ざる事なり、
書き下し
(問)今本邦にて諸流の軍法を聞に、此國の內にて中間取合に用ふべきのみ、北狄に敵する軍法あるべきか、 (答)彼下策を以て來りなばすみやかに合戰すべし、然らば今の軍法者の中、將の器ある勝負の利にさとき人あらば、少しは用に立事もあるべき歟、彼若上策を以て來らんには今の軍法者の及ぶ所にあらず、北狄の上策の軍法に負まじき上策あり、國家の御爲と思ひたる故に先年某侯其外へも語りたれども、其人々皆なく成給へり、もしは其人々の傳へおかれし人もあらんか、然れども其所までゆきたつ事にてもあるまじ、兵粮を澤山にする軍法なくては今何事の用に立ざる事なり、
現代語訳
問う。今、我が国の諸流の軍法を聞くと、国内の小競り合いに用いるだけのものである。北狄に敵する軍法があるだろうか。 答える。彼が下策で来たなら、速やかに合戦すべきである。そうなれば、今の軍法者の中で、将の器があり勝負の利に明るい人がいれば、少しは役に立つこともあろうか。彼がもし上策で来るなら、今の軍法者の及ぶところではない。北狄の上策の軍法に負けない上策がある。国家のためと思ったので、先年ある大名やそのほかにも語ったが、その人々はみな亡くなられた。あるいは、その人々が伝え置いた人もいようか。しかし、そこまで行き着くことでもあるまい。兵糧を沢山にする軍法がなくては、今は何の役にも立たないことである。
解説

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