大学或問 / 『大学或問』兵糧なき軍の崩れ
國々も米すくなけれども勢にて多きやうなり、其時米のなき事を驚くべし、たとひ少し米を求るとも百日の扶持方米とあてたるものは米高直にて廿日にも足るまじ、先に北狄あり路次には飢あり、とにもかくにも進退きはまりたるとおもはゞ、下々はぬけぬけに逃かへるべし、耻をおもひてとゞまるとも馬取もなく鎗持具足持なく朝夕の飯たき水汲ものもなく、己と馬とばかりありとも共に餓ゑて用に立べからず、ことわり申て國にかへり重ねて用意せんより外の事あらじ、五十人百人の走り人ならばこそ法度も行はめ、一國の者の遁げかへりたるは如何ともする事なからん、彼等に餘義なき道理もあり、强ひて法を立んとせば國中一揆起り亂に亂をかさぬべし、旦は武命のおもきに人數を出すとも重ては出す事あたはじ、それに又見ごりする人も有へし、扶持米なし路銀なしといはゞ、公儀にも貯なければ强て下知し給ふ事をなふまじ、これより武威かろく成初ては貯へある人もなしといひて出さゞる人もあるへき歟、弊に乘て北狄大に侵す事あるべし、若し彼侵す事を得ずして引てかへりたりとも、跡は戰國となるべき歟、公儀に向て敵する人はなくとも、粮盡き力盡て是非なく下知に從がはずば、上よりも下知し給ふ事叶はずして諸國我々持の漸なるべし、是上々の始末なるべし、其外いかやうの變あらんも知るべからず、此難を思ひ給はゞ今無事の時備をなし給ふべき事なり、其時に當ては張良孔明を師とすともいかんともする事なからむ、强盜どもは諸侯の兵の粮に疲れて働きがたき弊に乘じ要害の地をとり、彼は盜人なれば方々運送の米をおさへ取、民間を押領し却て富有に成て勢つよく廣大にならば、是によつていかなる變あらんも知べからず、北狄來て騷動せば今の勢とは格別相違して後悔し給ふとも甲斐あるまじ、
新字:国々も米すくなけれども勢にて多きやうなり、其時米のなき事を驚くべし、たとひ少し米を求るとも百日の扶持方米とあてたるものは米高直にて廿日にも足るまじ、先に北狄あり路次には飢あり、とにもかくにも進退きはまりたるとおもはゞ、下々はぬけぬけに逃かへるべし、耻をおもひてとゞまるとも馬取もなく鎗持具足持なく朝夕の飯たき水汲ものもなく、己と馬とばかりありとも共に餓ゑて用に立べからず、ことわり申て国にかへり重ねて用意せんより外の事あらじ、五十人百人の走り人ならばこそ法度も行はめ、一国の者の遁げかへりたるは如何ともする事なからん、彼等に余義なき道理もあり、強ひて法を立んとせば国中一揆起り乱に乱をかさぬべし、旦は武命のおもきに人数を出すとも重ては出す事あたはじ、それに又見ごりする人も有へし、扶持米なし路銀なしといはゞ、公儀にも貯なければ強て下知し給ふ事をなふまじ、これより武威かろく成初ては貯へある人もなしといひて出さゞる人もあるへき歟、弊に乗て北狄大に侵す事あるべし、若し彼侵す事を得ずして引てかへりたりとも、跡は戦国となるべき歟、公儀に向て敵する人はなくとも、粮尽き力尽て是非なく下知に従がはずば、上よりも下知し給ふ事叶はずして諸国我々持の漸なるべし、是上々の始末なるべし、其外いかやうの変あらんも知るべからず、此難を思ひ給はゞ今無事の時備をなし給ふべき事なり、其時に当ては張良孔明を師とすともいかんともする事なからむ、強盗どもは諸侯の兵の粮に疲れて働きがたき弊に乗じ要害の地をとり、彼は盗人なれば方々運送の米をおさへ取、民間を押領し却て富有に成て勢つよく広大にならば、是によつていかなる変あらんも知べからず、北狄来て騷動せば今の勢とは格別相違して後悔し給ふとも甲斐あるまじ、
書き下し
國々も米すくなけれども勢にて多きやうなり、其時米のなき事を驚くべし、たとひ少し米を求るとも百日の扶持方米とあてたるものは米高直にて廿日にも足るまじ、先に北狄あり路次には飢あり、とにもかくにも進退きはまりたるとおもはゞ、下々はぬけぬけに逃かへるべし、耻をおもひてとゞまるとも馬取もなく鎗持具足持なく朝夕の飯たき水汲ものもなく、己と馬とばかりありとも共に餓ゑて用に立べからず、ことわり申て國にかへり重ねて用意せんより外の事あらじ、五十人百人の走り人ならばこそ法度も行はめ、一國の者の遁げかへりたるは如何ともする事なからん、彼等に餘義なき道理もあり、强ひて法を立んとせば國中一揆起り亂に亂をかさぬべし、旦は武命のおもきに人數を出すとも重ては出す事あたはじ、それに又見ごりする人も有へし、扶持米なし路銀なしといはゞ、公儀にも貯なければ强て下知し給ふ事をなふまじ、これより武威かろく成初ては貯へある人もなしといひて出さゞる人もあるへき歟、弊に乘て北狄大に侵す事あるべし、若し彼侵す事を得ずして引てかへりたりとも、跡は戰國となるべき歟、公儀に向て敵する人はなくとも、粮盡き力盡て是非なく下知に從がはずば、上よりも下知し給ふ事叶はずして諸國我々持の漸なるべし、是上々の始末なるべし、其外いかやうの變あらんも知るべからず、此難を思ひ給はゞ今無事の時備をなし給ふべき事なり、其時に當ては張良孔明を師とすともいかんともする事なからむ、强盜どもは諸侯の兵の粮に疲れて働きがたき弊に乘じ要害の地をとり、彼は盜人なれば方々運送の米をおさへ取、民間を押領し却て富有に成て勢つよく廣大にならば、是によつていかなる變あらんも知べからず、北狄來て騷動せば今の勢とは格別相違して後悔し給ふとも甲斐あるまじ、
現代語訳
国々も米は少ないが、勢いで多いように見える。その時、米のないことに驚くだろう。たとえ少し米を求めても、百日分の扶持米と当てにしたものは、米が高値で二十日分にも足りないだろう。先には北狄がおり、道中には飢えがある。とにもかくにも進退きわまったと思えば、下々はぞろぞろと逃げ帰るだろう。恥を思って踏みとどまっても、馬の口取りもなく、槍持ち・具足持ちもなく、朝夕の飯炊きも水汲みもなく、自分と馬だけがいても、ともに飢えて役に立たない。事情を断って国に帰り、改めて用意するよりほかはない。五十人百人の脱走者ならば法度も行えようが、一国の者が逃げ帰ったのでは、どうすることもできない。彼らにはやむを得ない道理もあり、無理に法を立てようとすれば、国中に一揆が起こり、乱に乱を重ねよう。一方、軍命の重さに人数を出しても、重ねては出すことができまい。それにまた、図に乗る人もあろう。扶持米がない、路銀がないと言えば、幕府にも蓄えがないので、強いて命令することはできまい。これより武威が軽くなり始め、蓄えのある人も、ないと言って出さない人もあろうか。この弊につけ込んで、北狄が大いに侵すことがあろう。もし彼が侵すことができず引き返したとしても、その後は戦国になるだろうか。幕府に向かって敵対する人はなくとも、兵糧が尽き力が尽きて、やむなく命令に従わなければ、上からも命令することができず、諸国はそれぞれ自力でやっと保つ状態になろう。これが上々の成り行きである。そのほか、どのような変事があるかも知れない。この難を思われるなら、今無事の時に備えをなさるべきである。その時になっては、張良・孔明を師としても、どうすることもできまい。強盗どもは、大名の兵が兵糧に疲れて動きがたい弊につけ込み、要害の地を取り、彼らは盗人なので方々から運ばれる米を押さえ取り、民間を押領して、かえって富んで勢いが強く広大になれば、これによってどんな変事があるかも知れない。北狄が来て騒動になれば、今の情勢とは格別に違って、後悔なさっても甲斐はないだろう。
解説

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