大学或問 / 『大学或問』北狄への備えと兵糧
六北狄の備、其外不意の蓄、凶年の救も富有大業の一事なる事、 (問)北狄の備ながら諸人の困窮くつろぎゆたかなるべき政は何ぞや、 (答)文事あるものは武備ありといへり、文事は治國平天下の政なり、武備は內堅固にして外恐惧す、武威の備なり、內堅固なる第一は道ありて和し兵粮多きなり、外國の恐るゝ第一は弓馬兵法のたしなみふかく、士民共に達者にて武國の名に叶ふなり、今の急務は兵粮多く貯るにあり、北狄唐土を取て本邦に來りし事度々なり、今已に唐土を取れり、よも來はせじとおもふたのみは武備にあらず、今北狄來りなば彼れと合戰までに及ばず內虛にして人心散ずる事あらん、今の諸侯一國の人數を出して其兵粮あらん事は二十侯に一二侯もまれなるべし、大坂に出したる賣米の殘りは皆國々へ戾すべし、其上に用銀あらば米を買べし、十日廿日の間には米は壹石銀百目貳百目の賣買になり、廿日三十日の間には四五百目とならん、然らば諸浪人幷町人民間の一日過のもの諸宗の坊主忽ち餓死に及なん、其時は世間さわがしく諸人うは氣になり虛說のみ多ければ、無事の時の飢饉のごとく居ながら餓死する者は少くなからむ、皆な强盜と成て少きは五十人百人多きは五百人千人組て橫行すべし、軍法者歷々の浪人など大將に取立ていかやうなる事をせんも計がたし、吉野熊野其外の山中の杣は强力の者共にて幾千人もありなん、彼等は材木を切て米にかへて食とす、其時は材木を米にかへるものあるまじければ、皆な强盜となりて國中に出んより外の事あらじ、昔は吉野を世のうき時のかくれがといへり、其時は諸國山林多くて吉野に杣すくなき故なり、今は第一居かたき所ならん、今用銀持たる人々の積りも違ふべし、昔は農兵にて年貢すくなく、其上米遣ひにて在々處々に米澤山なりしかば、金銀持ゆけば先々にて扶持米とゝのほりたり、今は在々處々に米なし、
新字:六北狄の備、其外不意の蓄、凶年の救も富有大業の一事なる事、 (問)北狄の備ながら諸人の困窮くつろぎゆたかなるべき政は何ぞや、 (答)文事あるものは武備ありといへり、文事は治国平天下の政なり、武備は内堅固にして外恐惧す、武威の備なり、内堅固なる第一は道ありて和し兵粮多きなり、外国の恐るゝ第一は弓馬兵法のたしなみふかく、士民共に達者にて武国の名に叶ふなり、今の急務は兵粮多く貯るにあり、北狄唐土を取て本邦に来りし事度々なり、今已に唐土を取れり、よも来はせじとおもふたのみは武備にあらず、今北狄来りなば彼れと合戦までに及ばず内虚にして人心散ずる事あらん、今の諸侯一国の人数を出して其兵粮あらん事は二十侯に一二侯もまれなるべし、大坂に出したる売米の残りは皆国々へ戻すべし、其上に用銀あらば米を買べし、十日廿日の間には米は壱石銀百目貳百目の売買になり、廿日三十日の間には四五百目とならん、然らば諸浪人幷町人民間の一日過のもの諸宗の坊主忽ち餓死に及なん、其時は世間さわがしく諸人うは気になり虚説のみ多ければ、無事の時の飢饉のごとく居ながら餓死する者は少くなからむ、皆な強盗と成て少きは五十人百人多きは五百人千人組て横行すべし、軍法者歴々の浪人など大将に取立ていかやうなる事をせんも計がたし、吉野熊野其外の山中の杣は強力の者共にて幾千人もありなん、彼等は材木を切て米にかへて食とす、其時は材木を米にかへるものあるまじければ、皆な強盗となりて国中に出んより外の事あらじ、昔は吉野を世のうき時のかくれがといへり、其時は諸国山林多くて吉野に杣すくなき故なり、今は第一居かたき所ならん、今用銀持たる人々の積りも違ふべし、昔は農兵にて年貢すくなく、其上米遣ひにて在々処々に米沢山なりしかば、金銀持ゆけば先々にて扶持米とゝのほりたり、今は在々処々に米なし、
書き下し
六北狄の備、其外不意の蓄、凶年の救も富有大業の一事なる事、 (問)北狄の備ながら諸人の困窮くつろぎゆたかなるべき政は何ぞや、 (答)文事あるものは武備ありといへり、文事は治國平天下の政なり、武備は內堅固にして外恐惧す、武威の備なり、內堅固なる第一は道ありて和し兵粮多きなり、外國の恐るゝ第一は弓馬兵法のたしなみふかく、士民共に達者にて武國の名に叶ふなり、今の急務は兵粮多く貯るにあり、北狄唐土を取て本邦に來りし事度々なり、今已に唐土を取れり、よも來はせじとおもふたのみは武備にあらず、今北狄來りなば彼れと合戰までに及ばず內虛にして人心散ずる事あらん、今の諸侯一國の人數を出して其兵粮あらん事は二十侯に一二侯もまれなるべし、大坂に出したる賣米の殘りは皆國々へ戾すべし、其上に用銀あらば米を買べし、十日廿日の間には米は壹石銀百目貳百目の賣買になり、廿日三十日の間には四五百目とならん、然らば諸浪人幷町人民間の一日過のもの諸宗の坊主忽ち餓死に及なん、其時は世間さわがしく諸人うは氣になり虛說のみ多ければ、無事の時の飢饉のごとく居ながら餓死する者は少くなからむ、皆な强盜と成て少きは五十人百人多きは五百人千人組て橫行すべし、軍法者歷々の浪人など大將に取立ていかやうなる事をせんも計がたし、吉野熊野其外の山中の杣は强力の者共にて幾千人もありなん、彼等は材木を切て米にかへて食とす、其時は材木を米にかへるものあるまじければ、皆な强盜となりて國中に出んより外の事あらじ、昔は吉野を世のうき時のかくれがといへり、其時は諸國山林多くて吉野に杣すくなき故なり、今は第一居かたき所ならん、今用銀持たる人々の積りも違ふべし、昔は農兵にて年貢すくなく、其上米遣ひにて在々處々に米澤山なりしかば、金銀持ゆけば先々にて扶持米とゝのほりたり、今は在々處々に米なし、
現代語訳
六、北方の異民族(北狄)への備え、そのほか不意の蓄え、凶年の救いも、国を富ます大事業の一つであること。 問う。北狄への備えをしながら、人々の困窮を和らげ、ゆたかにする政治とは何か。 答える。文事のある者には武備がある、という。文事とは国を治め天下を平らかにする政治であり、武備は内が堅固であれば外が恐れるという、武威の備えである。内が堅固である第一は、道が行われて和し、兵糧が多いことである。外国が恐れる第一は、弓馬兵法のたしなみが深く、士も民も達者で、武の国という名にかなうことである。今の急務は兵糧を多く蓄えることにある。北狄が中国を取って我が国に来たことは度々ある。今すでに中国を取った。まさか来はしまいと頼みにするのは武備ではない。今北狄が来たなら、彼と合戦に及ぶまでもなく、内が空虚で人心が散ることがあろう。今の大名で、一国の人数を出してその兵糧を備えている者は、二十の大名に一二もまれであろう。大坂に出した売り米の残りは、みな国々へ戻すべきである。そのうえ手持ちの銀があれば米を買うべきである。十日二十日のうちには、米は一石が銀百目、二百目の売買になり、二十日三十日のうちには四五百目になろう。そうなれば、浪人たちや、町人・民間でその日暮らしの者、諸宗の坊主は、たちまち餓死に及ぶ。その時は世間が騒がしく、人々は浮き足立ち、虚説ばかり多いので、無事の時の飢饉のように、居ながらに餓死する者は少なくない。みな強盗となって、少ない時は五十人百人、多い時は五百人千人で組んで横行するだろう。軍法者や名のある浪人などを大将に取り立てて、どのようなことをするか知れない。吉野・熊野そのほかの山中の杣は力の強い者で、幾千人もいよう。彼らは材木を切って米に換えて食っている。その時は材木を米に換える者はないだろうから、みな強盗となって国中に出るよりほかはない。昔は吉野を、世の憂き時の隠れ家といった。その頃は諸国に山林が多く、吉野に杣が少なかったからである。今は第一に居がたい所であろう。今、銀を持っている人々の見積もりも違うだろう。昔は農兵で年貢が少なく、そのうえ米で物をやりとりしていて、在々所々に米が沢山あったので、金銀を持って行けば、行く先々で扶持米が調った。今は在々所々に米がない。
解説

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