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中朝事実 / 附錄・神聖と修飾、自然と当然

或疑。神聖之天縱。盡一擧而備萬目。待後世之修飾。而後潤色哉。 愚謂。事物之生成。必有時有勢。機微之豫備。時勢未及。則不可著明乘行。能與時勢屈伸者。神聖也。凡卵仁既備。時夜・棟梁之機。而向卵仁求之。太早計者。時勢之然也。卵仁未嘗無其機矣。蓋神聖之知也。德也。既太極含蓄。草昧未遠時勢屯蒙。未可發微。皇統連綿之後。人情之恒。事物之感。不可掩。而品節修飾。此道無不致。紅藍染紅。線紅於藍。靑藍染靑。色靑於藍者。在其染練之久。故穴居野處。至棟宇閣樓。汙尊杯飮。訖簠簋罍爵。〔祭器〕結繩鳥跡。屆科斗篆隸。〔書體名〕皆其初太踈。而經歷之漸。飾文潤色。竟及善盡美盡也。然乃太上者素樸以稱。若求修飾。則太早計而已。 或疑。後世修飾之禮。殆非神聖自然之誠乎。 愚謂。天地人物。皆自然當然互相根。蓋陰陽積累距多。而後有這天地。有此人物。是當然之則也。陰自降。陽自昇。天地萬物自然之道也。若必自然。本於虛無。薄於悲絲。若專當然。要於脩飾。投於驪黃。神聖之道。有自然當然。因其事物。致其道而已。故草業潤色相因。而後天下之禮行焉。 或疑。中華無典籍可證。而今以學敎。庶幾乎附會。 愚謂。學者。授受效習之名也。既有人物。則未嘗無授受效習之義也。謹按。太古。天神。有宜汝往循之敎。而二神受之傳業。乃有唱和之效。天孫又受神勅而繼其志。人皇同床共殿。以效習神靈之敎。惕若小心。以存如在之誠。皆是授受效習之義也。典籍者。史氏記其事而已。何必讀書執簡而已哉。況入鹿之亂。有書厄乎。夫外朝者優文之水土。而言學字。始出於伊訓。然乃五帝之盛。大夏之謨。爲無學乎。俗學未知學。故以蠢於文書爲學。是章句之末也。 或疑。外朝及高麗。比中華之人材。其優劣如何。 愚謂。地有東西之阻。世有前後之差。而中華之神聖。與外國之聖人。一其揆者。上知之不移。而同天地之秀氣也。夫往古神勅。可以比堯舜禹之授受。清廟茅屋粢食不鑿。可以比神廟之制。〔春秋傳云。清廟茅屋。大路越席。大羹不致。粢食不鑿。昭其儉也。〕人統之授時。可以比用夏時。故舍之不論。逮如其中人。外朝之人材。更不可抗。中華也。凡春秋傳所載亂臣賊子。及名家胄族之冒惡沉婬。中華未曾有之屬不乏。況傳之前後乎。如詩賦章句。皆祖外國。而中華之文士。鳴于此者。不可枚擧。仲滿。圓載。金蘭於盛唐之李・王・皮・陸。唯非鳴于此而已。不愧於彼。粟田阿倍者。中朝之微臣。而或陪宴於麟德。或禀寵於肅宗。唯非不愧文章而已。可幷按也。書畫百工之技。劒刀器械之藝。亦多不愧外國也。高麗者。本我屬國也。云文云武。又不可比於外朝。況於中華乎。故慢表而受愧。獻銕楯的並羽表。共恐懼。中華之文武。後世橘正通。少事硯席。對馬守親光射虎。而麗王各授美官厚祿之屬。其人物可不言而知之也。

新字:或疑。神聖之天縦。尽一挙而備万目。待後世之修飾。而後潤色哉。 愚謂。事物之生成。必有時有勢。機微之予備。時勢未及。則不可著明乗行。能与時勢屈伸者。神聖也。凡卵仁既備。時夜・棟梁之機。而向卵仁求之。太早計者。時勢之然也。卵仁未嘗無其機矣。蓋神聖之知也。徳也。既太極含蓄。草昧未遠時勢屯蒙。未可発微。皇統連綿之後。人情之恒。事物之感。不可掩。而品節修飾。此道無不致。紅藍染紅。線紅於藍。青藍染青。色青於藍者。在其染練之久。故穴居野処。至棟宇閣楼。汚尊杯飲。訖簠簋罍爵。〔祭器〕結縄鳥跡。届科斗篆隸。〔書体名〕皆其初太疎。而経歴之漸。飾文潤色。竟及善尽美尽也。然乃太上者素樸以称。若求修飾。則太早計而已。 或疑。後世修飾之礼。殆非神聖自然之誠乎。 愚謂。天地人物。皆自然当然互相根。蓋陰陽積累距多。而後有這天地。有此人物。是当然之則也。陰自降。陽自昇。天地万物自然之道也。若必自然。本於虚無。薄於悲糸。若専当然。要於脩飾。投於驪黄。神聖之道。有自然当然。因其事物。致其道而已。故草業潤色相因。而後天下之礼行焉。 或疑。中華無典籍可証。而今以学教。庶幾乎附会。 愚謂。学者。授受効習之名也。既有人物。則未嘗無授受効習之義也。謹按。太古。天神。有宜汝往循之教。而二神受之伝業。乃有唱和之効。天孫又受神勅而継其志。人皇同床共殿。以効習神霊之教。惕若小心。以存如在之誠。皆是授受効習之義也。典籍者。史氏記其事而已。何必読書執簡而已哉。況入鹿之乱。有書厄乎。夫外朝者優文之水土。而言学字。始出於伊訓。然乃五帝之盛。大夏之謨。為無学乎。俗学未知学。故以蠢於文書為学。是章句之末也。 或疑。外朝及高麗。比中華之人材。其優劣如何。 愚謂。地有東西之阻。世有前後之差。而中華之神聖。与外国之聖人。一其揆者。上知之不移。而同天地之秀気也。夫往古神勅。可以比堯舜禹之授受。清廟茅屋粢食不鑿。可以比神廟之制。〔春秋伝云。清廟茅屋。大路越席。大羹不致。粢食不鑿。昭其倹也。〕人統之授時。可以比用夏時。故舎之不論。逮如其中人。外朝之人材。更不可抗。中華也。凡春秋伝所載乱臣賊子。及名家胄族之冒悪沈婬。中華未曽有之属不乏。況伝之前後乎。如詩賦章句。皆祖外国。而中華之文士。鳴于此者。不可枚挙。仲満。円載。金蘭於盛唐之李・王・皮・陸。唯非鳴于此而已。不愧於彼。粟田阿倍者。中朝之微臣。而或陪宴於麟徳。或禀寵於粛宗。唯非不愧文章而已。可幷按也。書画百工之技。劒刀器械之芸。亦多不愧外国也。高麗者。本我属国也。云文云武。又不可比於外朝。況於中華乎。故慢表而受愧。献銕楯的並羽表。共恐懼。中華之文武。後世橘正通。少事硯席。対馬守親光射虎。而麗王各授美官厚禄之属。其人物可不言而知之也。

書き下し

或ひと疑ふ、神聖の天縦、一挙を尽くして万目を備ふ。後世の修飾を待ちて、而る後に潤色せむやと。 愚謂へらく、事物の生成には、必ず時有り勢有り。機微の予め備はるも、時勢未だ及ばざれば、則ち著明に乗り行ふべからず。能く時勢と屈伸する者は、神聖なり。凡そ卵仁既に備はれば、時夜・棟梁の機あり、而るに卵仁に向かひて之を求むるは、太だ早計なる者は、時勢の然らしむるなり。卵仁に未だ嘗て其の機無くんばあらず。蓋し神聖の知なり、徳なり。既に太極含蓄し、草昧未だ遠からず、時勢屯蒙、未だ微を発すべからず。皇統連綿の後、人情の恒、事物の感、掩ふべからず。而して品節修飾して、此の道至らざる無し。紅藍に染むれば紅、線は藍より紅なり。青藍に染むれば青、色は藍より青きは、其の染練の久しきに在り。故に穴居野処より棟宇閣楼に至り、汙尊杯飲より簠簋罍爵に訖るまで、〔祭器〕結縄鳥跡より科斗篆隷に届るまで、〔書体の名〕皆其の初めは太だ疎にして、経歴の漸く、飾文潤色して、竟に善を尽くし美を尽くすに及ぶ。然れば乃ち太上は素樸を以て称す。若し修飾を求むれば、則ち太だ早計なるのみ。 或ひと疑ふ、後世修飾の礼は、殆ど神聖自然の誠に非ざるかと。 愚謂へらく、天地人物は、皆自然当然互ひに根とす。蓋し陰陽積累して距ること多くして、而る後に此の天地有り、此の人物有り。是れ当然の則なり。陰自ら降り、陽自ら昇るは、天地万物自然の道なり。若し必ず自然ならば、虚無に本づき、悲絲に薄れむ。若し専ら当然ならば、脩飾を要とし、驪黄に投ぜむ。神聖の道は、自然当然有り、其の事物に因りて、其の道を致すのみ。故に草業潤色相因りて、而る後に天下の礼行はる。 或ひと疑ふ、中華に典籍の証すべき無し、而るに今学教を以てするは、庶幾くは附会ならむかと。 愚謂へらく、学とは、授受効習の名なり。既に人物有れば、則ち未だ嘗て授受効習の義無くんばあらず。謹按。太古、天神に、宜しく汝往きて循ふべしの教有り、二神之を受けて業を伝へ、乃ち唱和の効有り。天孫又神勅を受けて其の志を継ぎ、人皇は殿を同じくし床を共にして、以て神霊の教に効習し、惕若として小心し、以て如在の誠を存す。皆是れ授受効習の義なり。典籍とは、史氏の其の事を記すのみ。何ぞ必ずしも書を読み簡を執るのみならむや。況んや入鹿の乱に、書厄有るをや。夫れ外朝は文を優ぶ水土にして、学の字は伊訓に始めて出づ。然れば乃ち五帝の盛、大夏の謨、学無しと為すや。俗学は未だ学を知らず、故に文書に蠢くを以て学と為す。是れ章句の末なり。 或ひと疑ふ、外朝及び高麗、中華の人材に比して、其の優劣如何と。 愚謂へらく、地に東西の阻有り、世に前後の差有り。而して中華の神聖と、外国の聖人とは、其の揆を一にする者は、上知の移らざるに、天地の秀気を同じくすればなり。夫れ往古の神勅は、以て堯・舜・禹の授受に比すべし。清廟の茅屋、粢食の鑿らざるは、以て神廟の制に比すべし。〔春秋伝に云ふ、清廟は茅屋、大路は越席、大羹は致せず、粢食は鑿らず、其の倹を昭らかにすと。〕人統の授時は、以て夏の時を用ゐるに比すべし。故に之を舎きて論ぜず。其の中人に逮びては、外朝の人材は、更に抗すべからず。中華なり。凡そ春秋伝に載する所の乱臣賊子、及び名家胄族の悪を冒し婬に沈む、中華に未だ曽て有らざるの属乏しからず。況んや伝の前後をや。詩賦章句の如きは、皆外国を祖とす。而して中華の文士、此に鳴る者、枚挙すべからず。仲満・円載・金蘭は、盛唐の李・王・皮・陸に於いて、唯だ此に鳴るのみに非ず。彼に愧ぢず。粟田・阿倍は、中朝の微臣にして、或いは麟徳に陪宴し、或いは粛宗に寵を禀く。唯だ文章に愧ぢざるのみに非ず。並び按ずべし。書画百工の技、剣刀器械の芸も、亦多く外国に愧ぢず。高麗とは、本は我が属国なり。文と云ひ武と云ひ、又外朝に比すべからず。況んや中華に於いてをや。故に表を慢りて愧ぢを受け、鉄楯・的并びに羽表を献じて、共に恐懼す。中華の文武は、後世の橘正通、少くして硯席に事へ、対馬守親光は虎を射る。而して麗王各々美官厚禄を授くるの属は、其の人物、言はずして知るべきなり。

現代語訳

ある人は疑う。神聖な方は天与の資質により、一挙に万事を備える。それなのに後世の修飾を待って、はじめて潤色されるというのはなぜかと。 私が思うに、事物の成り立ちには、必ず時と勢いがある。微かな機が前もって備わっていても、時勢が及ばなければ、はっきり表して行うことはできない。時勢とともに屈伸できるのが神聖な方である。卵がすでに備わっていれば、時を告げる夜や、棟や梁のような機があるはずだが、卵に向かってそれを求めるのは早計である。それは時勢がそうさせるのだ。卵にそのような機がなかったわけではない。これが神聖の知であり徳である。すでに太極が内に含まれ、草創のはじめがまだ遠くなく、時勢が混沌としていて、微かなものを表すことはできない。皇統が連綿と続いた後、人情の常、事物への感じ方は隠せない。そして品を分け節をつけて飾り整え、この道は至らないところがない。紅花で染めれば紅になり、糸は紅花より紅い。藍で染めれば青になり、色は藍より青い。それは染め練る年月の長さによる。だから穴に住み野に居た暮らしから棟や楼閣に至り、窪みの酒壺や手のひらで飲む杯から簠簋罍爵(祭器)に至るまで、縄を結ぶ記録や鳥の足跡から科斗や篆書、隷書(書体の名)に至るまで、みな初めはごく粗かったが、年を経るにつれ、飾りが加わり潤色され、ついに善を尽くし美を尽くすに及んだ。とすれば、最上は素朴を称える。もし修飾を求めるなら、それは早計である。 ある人は疑う。後世に修飾された礼は、神聖の自然の誠ではないのではないかと。 私が思うに、天地人物は、みな自然と当然が互いに根となっている。陰陽が積み重なって長い時を経て、そうしてこの天地があり、この人や物がある。これは当然の則である。陰が自ら降り、陽が自ら昇るのは、天地万物の自然の道である。もし必ず自然だけを言うなら、虚無に本づき、悲しみの糸に薄れてしまう。もし専ら当然だけを言うなら、飾ることを要として、馬の毛色の黒黄にこだわるようなことになる。神聖の道は、自然と当然があり、それぞれの事物に応じてその道を尽くすだけである。だから草創と潤色が互いにつながって、そうして天下の礼が行われる。 ある人は疑う。中華に典籍で証明できるものはない。それなのに今、学問と教えをもって論じるのは、こじつけに近いのではないかと。 私が思うに、学とは、授け受け、まねて習うことの名である。人や物があれば、授受と効習の義がなかったことはない。素行は考える。太古、天神には、お前たちは行ってこれに従いなさいという教えがあり、二神がこれを受けて業を伝え、唱和の効があった。天孫もまた神勅を受けてその志を継ぎ、人皇は殿を同じくし床を共にして、神霊の教えに倣い習い、慎み深く小心にして、神が在すかのような誠を保った。みな授受と効習の義である。典籍とは、史官がその事を記録するだけのものである。必ずしも書を読み簡を持つだけが学であろうか。まして蘇我入鹿の乱で書物の厄があったのだからなおさらである。外朝は文を重んじる風土で、学の字は伊訓にはじめて出る。ではそれ以前の五帝の盛んな世や、大夏の謀は、学がなかったというのか。俗学はまだ学を知らず、だから文書の中でうごめくのを学と思う。これは章句の末である。 ある人は疑う。外朝や高麗は、中華の人材と比べて優劣はどうかと。 私が思うに、地には東西の隔たりがあり、世には前後の差がある。しかし中華の神聖と外国の聖人とが、その道理を一にするのは、上知は移らず、天地の秀気を同じくするからである。往古の神勅は、堯・舜・禹の授受に比べられる。清廟の茅葺き、粢食の精白しないものは、神廟の制に比べられる。(春秋伝にいう。清廟は茅葺き、大路には越席を敷き、大羹には味をつけず、粢食は精白しないことで、倹約を明らかにすると。)人統が時を授けることは、夏の暦を用いたことに比べられる。だからこれらは置いて論じない。普通の人についていえば、外朝の人材は決して中華に対抗できない。春秋伝に載る乱臣賊子や、名家の貴族が悪に染まり淫に沈むことなど、中華にいまだない類は乏しくない。まして伝の前後においてはなおさらである。詩賦や章句は、みな外国を祖とするが、中華の文士でそこに名を挙げた者は数えきれない。仲満(阿倍仲麻呂)・円載・金蘭は、盛唐の李白・王維・皮日休・陸亀蒙に対し、ただ名が鳴るだけでなく、彼らに愧じなかった。粟田・阿倍は中朝の微臣でありながら、あるいは麟徳に宴に陪席し、あるいは粛宗の寵を受けた。ただ文章に愧じないだけではない。並べて考えるべきである。書画や諸々の工匠の技、剣刀や器械の芸も、また多くは外国に愧じない。高麗はもとは我が属国である。文といい武といい、また外朝に比べられない。まして中華に比べられようか。だから表を侮って辱めを受け、鉄の盾と的、および羽の表を献じて、ともに恐れ入った。中華の文武は、後世の橘正通は、若くして硯と席に仕え、対馬守親光は虎を射た。そして麗王がそれぞれに美官厚禄を授けようとした類は、その人物を言わずとも知ることができる。

解説

ここも附録で、神聖な方が一挙に万事を備えず、後世に潤色が加わるのはなぜかという問いへの答えが中心です。素行は、事物の成立には時と勢いがあり、染め上げに年月を要するように、礼や文化は時間をかけて整うと述べます。さらに、自然と当然の両方が要るとし、典籍の有無にかかわらず、授受効習こそ学だとも論じます。後半の日本と外国の人材比較は、素行の主張です。急がず、時勢に合わせて少しずつ磨き上げる、という考え方は、組織文化の育て方にも通じます。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

時勢潤色自然当然授受効習学

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